「これ、着ていいよ」


 ある日突然、ひよりは俺に男性用下着、パーカーにジーンズを渡してきた。

 そしてずっとつけっぱなしだった拘束を解いた。


「え、どうして……?」


 拘束が解かれて嬉しいはずなのに、何故か不安な気持ちになっていた。


「今日はちょっと千尋くんとドライブに行きたいなって」


 ひよりは笑顔でそう答えると、車のキーを俺に見せる。


「ドライブ……?」


「うん。行き先は……ひ・み・つ!」


 そして俺は久しぶりに衣服を身につけ、外へ出た。外は夜でパーカー一枚では少し肌寒い。それに今までベッドの上で過ごしていたせいですこし足がフラフラする。


「さ、乗って乗って!」


 外に出ると白い車が停めてあった。そしてひよりに促され俺は助手席に座る。


「じゃあ行くよ」


 こうして行き先不明のドライブが始まった。


 ♢♢♢


「ねぇ、千尋くん。私達の出会った頃の話……してもいい、かな?」


「え? うん、いいけど……」


 車に乗って10分程が経ち、それまでお互い無言のままだったがひよりが口を開いた。

 いつもよく喋ってくれるひよりには珍しいことだった。


「初めて千尋くんに出会ったのは中学生の時。私は親の都合で引っ越してきてたから誰も友達がいなくて、いつも一人で教室の隅にいたの」


「俺とひよりは同級生……だったのか」


「ふふ、これは記憶を失う前の千尋くんでも覚えてないかもしれないね。それくらい私は地味で目立たない存在だったから」


「……」


 そう言ってひよりは自虐的に笑う。今ではこんなに明るくて可愛くてとても地味になんて見えない。


「……それでね、ある日私は病気で1週間ほど学校を休んだ事があって、そのせいで補講を受ける事になったの。そこで会ったのが……」


「俺……か」


「そう。それまで一度も話した事なかったの。だって千尋くんクラスでも人気者だったから……。でも勉強は苦手だったみたいで。偶然補講の隣が席だった私が教えてあげたの。そしたら千尋くん凄い褒めてくれて。嬉しかったな〜」


 ひよりは少し照れくさそうに笑みを浮かべる。


「でも結局それだけ。私はずっと千尋くんを眺めるだけの日々だった。そして高校は別々になっちゃって……でも卒業してからのある日、街で偶然再会したの」


「へぇ……なんかドラマや漫画みたいだな」


「……千尋くんは気付いてなかったけどね。でも私が千尋くんを助けてあげたことで、付き合ってくれることになったの。もう嬉しくて……泣いちゃうくらいに!……っ」


 そう話しながら何故かひよりの目からは涙がこぼれ落ちていた。


「? どうしたんだ?」


「ううん、ごめんね。色々思い出しちゃって。……どう? 何か思い出した?」


 ひよりは袖で涙を拭き取ると、俺に笑顔で問いかける。


「いや……ごめん。全然思い出せない」


 そんな運命的な出会いをしたというのに俺は全然覚えていないなんてなんて情けない話なんだ。

 しかしそうだとしても何故俺を拘束するまでするほどの関係になったんだろうか。


「……そう。あ、ついたよ」


「ここは……学校?」


 窓から外を見ると、そこには学校があった。校門には○○中学校と書かれていた。


「降りるよ千尋くん」


 俺はひよりに促され車を降りる。外の夜風はさらに冷たくなっていた。


「さむっ!」


「もう夜中だもんね。でもだから誰もいなくてちょうどいいの……っしょ!」


 ひよりはそう言いながら懐中電灯を照らし、大きめの鞄を担いで校門をよじ登る。


「千尋くんも早く!」


「う、うん」


 こうして俺たちは深夜の学校に侵入した。ひよりは迷いなく進んでいく。それに俺はついていった。


「わー、懐かしいなぁ〜。ここは私たちの思い出の中学校……なんだけど覚えてないよね?」


「ごめん……」


 辺りを見渡しながら懐かしがるひよりと対照的に、俺が通っていたはずの所だというのに記憶を無くした俺には何も感じるものは無かった。


「……」


 階段を登り二階に来てすぐの教室でひよりは足を止めた。教室には1ー1と書いてあった。


「ここが私たちが出会った教室……やっぱり鍵かかってるか」


 ひよりは鞄からハンマーを取り出すと、それを振りかぶり教室の窓を割った。

 そして割れたところから手を入れて鍵のロックを外し、窓を開けた。


「さ、入ろ」


「……あ、ああ……」


 いま目の前で起きている事に脳の理解が追いつかない。そして何か胸騒ぎを感じる。勝手に学校に侵入した事、窓を割った事、後で捕まるんじゃないかという事、そんな事とは違う何か嫌な予感を感じていた。


「ここが私の席で、千尋くんの席はあそこ! 後ろから千尋くんの事チラチラ見てたんだよね……ハハッ、今思うとストーカーだよね」


 ひよりはそう言って机の上に鞄を置き、懐中電灯の電源を落とした。

 辺りは一気に暗くなり、月明かりだけがひよりを微かに照らしていた。


「……ひより?」


「ねぇ、千尋くん。お願いがあるの」


 ひよりは鞄を開け、中から白い布で巻かれたような長いものを取り出した。


「お願い?」


「そう。ここで私と一緒に死んで欲しいの……!」


 その瞬間、布が解かれ月明かりを浴びてソレは銀色の閃光を放った。


「えっ……!? ひより!? ど、どうして!?」


 突然のことに意味がわからず思考が追いつかない。


「あの日の転落事故、あれは事故なんかじゃない。私が……私が千尋くんを突き落としたの」


「ひよりが……俺を!?」


「悪いのは千尋くんなんだよ! あんな事言うから……。私は必死で千尋くんの為にって辛い事も苦しい事も頑張ってたのにっ!」


「あんな事……?」


 ひよりは涙を流しながら大声を上げる。凶器を持つ右手が震えているのがわかった。


「千尋くんが記憶喪失になったのは本当に偶然。でも私はそれを利用して貴方を支配した。私の事をずっと必要としてくれるように……。けれどそれじゃダメだって気付いたの」


「待ってくれ! 前の俺が何をしたのか分からないんだ! ……だから話してくれないか? そしたら何か解決法が見つかるかも……」


「そんなことしても意味ないよ。確かに今の千尋くんは優しいし、暴力も振るわない。何より私を必要としてくれている。……でもそれは私が愛して欲しかった千尋くんじゃない!」


 ダメだ。なんとかひよりを落ち着かせようとするが、もう俺の話を聞くつもりはないようだ。


「も、もしかしたらいつかは俺の記憶が戻るかもしれない。そしたらひよりが好きだった前の俺に戻るかもしれないだろ?」


「もういいの。もし記憶が戻ったら千尋くんはもう私を受け入れてくれないから。……だから今の千尋くんの間に一緒に死の?」


 その瞬間、俺に向けられていた銀色の光が消え、刃が首筋に当てられるのを感じた。


「ひ、ひよ……っ!?」


 一瞬にして俺の首から血がスプリンクラーのように飛び散る。そして今まで感じたことのない熱さと痛みが込み上げてくる。やがて体を支えきれなくなり辺りの机や椅子を押し倒して、うつ伏せに地面に倒れ込んだ。

 薄れゆく意識の中で頬に生暖かいものが広がるのを感じる。

 ひよりと何度も言おうとしたが口からは血が溢れ、首から血が吹き出すだけだった。


「ごめんなさい。私もすぐに逝くから。これからも、死んでもずっと一緒でいてね……千尋くん!」


 目はもう見えていなかった。ただひよりの声がしてしばらく経った後、俺の背中に何かがのしかかってくるのを感じた。それを最後に俺はもう何も感じることはなくなり、俺の意識は暗い闇の中へと消えていくのだった。



 ★★★


 本編はこれで終わりですが、ひより視点の話をやって完結とします。

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