第5話
久しぶりにダンジョンに潜るので、準備は念入りにしている。『不老不死』を得て、メイベルの案内があるとはいえ、俺にできることは変わっていない。
ダンジョンに潜るときはスーツと相場が決まっている。耐久性、俊敏性、柔軟性のすべてを兼ね備えている。下手なモンスターの攻撃なら無傷で済ますことができるので、力のない俺には大事なものだ。後は、普通にスーツを着ると身が引き締まる。
「隆司さまのスーツ姿を見るのは久しぶりです」
「そういえばそうだね」
俺自身は会社を辞めても、転職活動のためにスーツはよく着ていた。今ではオフィスカジュアルとか色々あるらしいけど、私服というのはどうにも慣れない。
「隆司さま、ネクタイが乱れております」
すると、メイベルが俺のネクタイを締めてくれる。
「ふふ、新婚みたいですね」
「ああ、うん」
メイベルが一生懸命に俺のネクタイをしてくれているのだが、正面から向き合っているので凄い恥ずかしい。お互い緊張で頬が赤くなってしまっていた。はたからみたら、リアジュウ爆発しろ案件なはずだ。
最後にキュっとネクタイを引っ張って、メイベルとの新婚ムーブは終わった。
「では、行きましょう」
「ああ」
俺は壁に空いた黒い穴の中に足を踏み入れた。
「ワン!」
「わっ、ファティか」
『不死王ダンジョン』に入ると、待ち構えていたファティが甘えてきた。家に来た時の普通犬のサイズではなく、本来のフェンリルの大きさだった。
この大きさだと迫力があるが、甘えてくるもふもふを撫でる。すると、お腹を見せて俺にもっと撫でてくれと言ってきた。俺は注文通りお腹を撫でる。
「お~よしよし」
「ワフ~」
大きかろうと小さかろうとファティの撫でられたときの反応は同じだった。スーツが毛だらけになり、クリーニング代がかさむが、ファティのためなら惜しくない。
「む~、ファティだけズルいです…」
メイベルが俺の背中に甘えてくる。首元から顔を出しているメイベルの頭を撫でるとファティのように蕩け切った表情を浮かべた。
(モフモフのファティと美人妻、メイベルに囲まれるなんて俺はもう死ぬんじゃないだろうか?あっ、『不老不死』だった)
ダンジョン内なのに、俺たちの間に緊張感など全くなかった。気を引き締めるために、気合をいれてきたのに完全に忘れてしまっていた。
「では、行きましょうか」
「ああ」
「ワン!」
数分後、俺たちは立ち上がって、ダンジョンの探索に乗り出した。
「メイベル、今俺たちが向かってるのって『スキル石』があるところなんだよね?」
「はい」
「メイベルを疑うつもりはないけど、そのあたりは探索しまくったはずなんだけどなぁ」
『不死王ダンジョン』は大きく分けて、上層、中層、下層、深層がある。ファティは下層と深層を行き来するためのフロアで攻略者たちを受けて立つ中ボスだ。メイベルはもちろん深層のさらに奥、最奥を拠点としている。
ちなみに俺が勉にクビを言い渡されたは上層だ。うちの会社は中層を攻略中だった。
で、今回俺たちが行く場所は、上層も上層。モンスターも出ないし、碌な資源もない。あらかた探索しきった場所だった。そんなところに『スキル石』があると言われても疑ってしまうのは仕方がない。
「隆司さまが見落としてしまうのも無理がありませんが、『スキル石』は確実にそこにあります」
「そうは言われてもねぇ」
実感が湧かないが、メイベルが言うからそうなのだろう。ちなみに『スキル石』の中身に関してはメイベルも分からないらしい。ランダムな力だから、最悪の場合は『浄化』並みに弱いものを引いてしまう可能性があるのだ。
「後、何度もいいますが、私とファティは。自衛のためなら戦えますが、攻略者を援助するような戦い方はできません。そこは注意してください」
「ああ」
ファティとメイベルは強い。だから、精気を絞られた後に、メイベル達に力を借りられないかとふと思ったが、それは無理らしい。というのもダンジョンの構造上、本来は攻略者、そして、『不死王』は対立する存在だ。
メイベルは俺に攻略してほしく思っても、ダンジョンは俺のような異物を受け入れることはできない。例えば、メイベルにはダンジョンの最奥に一瞬で移動できるという裏技があるが、俺はそれの恩恵をあずかれない。
いわば、ダンジョンはメイベルの建造物だが、意志を持った分身なのである。
「せいぜい私にできることはアイテムがあるところと最適な通路を教えるということだけです。力になれなくて申し訳ありません…」
「いやいや、それだけでも破格すぎるって」
『不死王ダンジョン』の主がくれる情報なんて、攻略者たちからしたら、喉から手が出るほど欲しいものだ。それだけで一生食っていけるぐらいにお金が入ってきそうだ。
長い一本道を抜けると、ひと際大きな空間に出る。ここが目的地だった。
「久しぶりに『血の池』に来たな」
アメジストに輝く鍾乳洞がフロア全体の輪郭を把握することを可能にしている。そして、特筆すべきはこのフロアには大きな湖、通称『血の池』がある。
フロアの中心に円状にあり、半径三十メートルほどの大きさだ。深さはどれくらいあるか分からないが、結構深そうだ。美しい湖に似つかわしくない名前だが、その湖の特徴を完璧に捉えている。
その湖は酸の湖だ。俺たちの先人がモンスターから資源を奪い取ると、死骸をすべてこの湖に捨ててしまっていたらしい。その結果、この湖には悪霊が大量発生し、それらが酸を吐き出し続け、今の状況になっていた。
「全く…本当に人間は度し難いです。昔はただの湖だったというのに…」
「グルル…」
メイベルが苦い顔をする。そして、主人の怒りを感じ取ったファティも唸り始めた。
「ごめんよ」
「いえ、隆司さまが謝ることではありません」
そうは言われてもその原因の組織の一員だった人間だ。責任の一端はある。
だからこそ、『血の池』を『浄化』を使って戻そうと考えた時もある。だが、『浄化』ができても、酸に触れれば手がただれてしまう。そのせいで俺は全く手が出せないでいた。
けれど、とりあえずそれは一回置いておこう。問題は『スキル石』の存在だ。
このフロアには『血の池』という大きな特徴があるが、それ以外には何もない。
(到底、こんな場所に『スキル石』があるとは思えないんだけどな…)
陸地の部分に目を向けても、それらしい石は見つからない。すると、
「ふふ、隆司さまが『浄化』を持っていることは運命だったんでしょうね。そして、私のエゴだったとはいえ『不老不死』を得たことは結果的に良いことでした。これも必然だったのかもしれませんね」
メイベルが意味深なことを呟いた。
「どういうこと?」
「文字通りの意味です。『浄化』、そして、『不老不死』がなければ『スキル石』は手に入りません」
「ワン!」
メイベルとファティが俺から視線を外した。それを追っていくと、俺の中である推測が成り立った。
「まさか…」
「はい、そのまさかです。『スキル石』は『血の池』の中にあります」
「うそやん…」
俺は『血の池』を見据える。酸の湖ということで探索できないという固定観念がその可能性を完全に排除していた。メイベルが普通の人間には見つけることができないといっていた理由が良く分かった。
(仮にここに『スキル石』があるなんて言われても無理だろ…)
少なくとも、同僚では絶対に攻略できないと結論付けられる。
すると、ファティが立ち上がり、俺の方に寄ってきた。
「ワン!」
「ん?ファティ、どうかし、って?何してんの?」
ファティは俺のスーツの襟の部分を噛んで俺を持ち上げた。その不可解な行動の理由に俺はクエスチョンマークが踊るが、答えが返ってこない。
ただ、ファティが楽しそうな顔をしていた。なんとなくだが、そんなファティを見て嫌な予感がしてきた。
「隆司さま、分かっていると思いますが、『血の池』には悪霊が住み着いています。『浄化』を使うのを忘れないようにしてくださいね?呪われてしまうと『不老不死』と言っても地獄のような痛みを一生味わうことになってしまいます。下手したら隆司さまが悪霊になってしまう可能性がありますから」
「ああ、うん。うん?」
(聞き間違いか?俺に『血の池』に潜れと言っているような…)
「それじゃあファティ、準備はいいですか?」
「ワン!」
「『ワン』じゃない!本気で俺を『血の池』に放り投げるつもりか!?死んじゃうじゃないか!」
「ふふ、隆司さまったら、ご冗談を。隆司さまは『不老不死』ですよ?死ねるわけがないじゃないですか」
「あっそうだった…ってなるわけがない!」
『不老不死』ということに安心なんかできるわけがない。まだ一度も死んだことがないのだ。
「泳ぐよりもファティに投げ飛ばしてもらった方が早いです。安心してください。ファティは投擲能力に関しては『不死王ダンジョン』随一です」
「ワンワン!」
胸を張って任せろとファティが言っているが、別にそこの心配などしているわけがない。
「いやいやいや!酸の中に潜るなんて痛いじゃん!あっ、『不老不死』には痛みを遮断する力でもあるのかな?」
「いえ、普通に痛いです。根性で乗り切ってください」
「なんの解決にもなってないじゃん!?」
「大丈夫ですよ。痛みも慣れれば快楽になります」
「そんな経験したくない!」
「さぁファティ。準備はいいですね?」
「ワン!」
「いや、よく━━━」
「ない」と言おうと思ったが、ファティはそのまま俺を投げ飛ばした。俺は鳥になったような気分だった。
(鳥ってこんな気持ちなのかな)
鳥の気持ちに共感できたのも束の間。しぶきを上げて、『血の池』に放り込まれたのだった。
━━━
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