持久走

「ハッハッハッ……」


「さつき、暑いねぇ。ゼーゼー……、なんでっ、こんな日にぃっ。」ゼーゼー。


「岡ティーは何考えてんのやら。ハッハッ……。」


「あっ、岡ティーだ。」


「おーい、2人とも。後ちょっとや。」


「はーい。」

「分かってるって。」


最近、中学からの親友、夏実が陸上部に入った。

この高校の陸上はそんなに強くないし、力も入れていない。私も中学からの延長で入ってみたまでだ。


「はぁー。」

「ほんと、さつきはバテないんね。」

「そう?」

「だって、もうストレッチしてるし。

やっぱベテラン陸上部はちゃうわ。」

「長距離だけやって。」

「そやかて、もうすぐ体育祭やろ。そんときはきっと、さつきがアンカー間違いなしや。」

「えー。」


私愛用のスポーツウェアは、今年入学祝いに母が買ってくれたものだ。

試しに裾を絞ってみたりする。

隣で、体操服をはためかせる夏実の頭はナイアガラだった。 


「コツは差しや。」


2人とも息が整いはじめた頃。

吐息多めで、彼女はそう口を開いた。


「急にどうしたん、ナツ。」

「持久走の奥義。」

「何やそれ。」

「へへーん。さつきも知りたい?

これは私の経験上なんだけどー。」


「あんた、陸上やったっけ?」

「ううん、かるた。」


夏実お得意の知ったかぶりだ。

こういうときは語尾にあれがつく。


畳の癖か、正座をくずした格好をして、夏実は自論の説明を続けた。私はアキレス腱を伸ばしながら、うわの空で話を聞いた。


「それで、こう思う訳よ。まぁ、知らんけど。」

ほら出た。

「知らんのかい。」 

お決まりだ。


内向的な方である私だから、高校では夏実は数少ない友達だ。

確か、夏実との出会いも持久走だった気がする。

中1の秋。2クラス合同で行われた体育の授業。


走り慣れている私をペースメーカーにして、ピタリと後ろにつける、隣のクラスの女子がいた。

別にそれは私には問題なかったのだが、結局その子は最後の上り坂で落ちていった。

その時、背中からこんな声が聞こえた。


「早いなー。大逃げやん。」


大逃げという言葉に思わず私は振り返ってしまった。

その子は既に10メートルほど離れたところをトボトボ歩いていた。


「あっ、ははっ。」

目が合うと、大きく開いた口の端がクイッと上がった。



夏実は本当に良い奴だ。

話が合う訳ではなかったけど、私の話に耳を傾けて、理解しようとしてくれた。

私が大の競走馬好きで居られたのも、彼女のおかげだ。


中学生になり、社会について少しずつ分かるようになってきて、私は父の行いが恥な事なんだと気づいた。父は限度を守って、娯楽としてやっているだけだと言っていた。 


でも、それは間違っているんだ。そう思った。


だから競走馬は馬とはいえ賭け事に利用されている可哀想な生き物、そして、その競走馬たちを好きになった私も、間違っているんだ。


その頃から、私は馬を見ないようになった。  

父と距離を置き、週末に父が出かけようとしたときには、今までいないほどの叫び声をあげた。

危うく大喧嘩になると思ったが、父は黙って頷き、私に頭を下げた。

そして、父は競馬を辞めた。



半年経ち、私はすっかり馬のことを忘れてしまった。心から消し去ってしまったはずだった。


女子というのは群れたがる。それが私の知見だ。

私は1人を好む。でも、教室の端の騒がしい笑いに寂しさを覚えないこともなかった。


賭け事が好きな女子なんかいない。それは私じゃない。私は私を捨てて、グループの輪に入った。

でも話についていけず、私は私のままだった。


やっぱり、だめなんだ。



「競馬、好きなんだって?」


「えっ。」


持久走で見事ぶっちぎりの一着でゴールした私に数名の運動好きが賞賛の言葉を送ってくれた。

私は少し鼻が高くなって、坂の出来事を忘れかけていた。

皆がそれぞれの休憩場所へ去っていくなか、水筒を持ってあの子は私の隣に腰掛けた。

そして、開口一番そう言い放った。


私は戸惑い、口が半開きのまま動かなかった。


「あら、違った?」


「えっと、馬の方。」

「馬?」


あの日から、夏実は私にくっつくようになった。

どうやら、私の話が面白いみたいだった。

芦毛が好きだの、筋肉がどうだの、他の誰もが興味のないような取るに足りない話も、その女の子は真面目に、楽しそうに聞いてくれた。

私はこのままでいいと、教えてくれた。



実は、一度だけ、私が持久走で夏実に負けたことがある。中3の時だ。


あれは“差し”を使ったんだと言った。

“大逃げ”の私を倒すために。



今年は、体育祭の後に持久走大会がある。

高校は人数が多いからクラスごとで授業中に行われる。夏実と私は同じ2組だ。


今度は負けない。

差しても差しきれないほどの大逃げを見せてやる。

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