初騎乗
「こっちだよー。」
アシュは身をひるがえし、華麗に、闘牛士のように私をかわしていく。
真っ赤なトマトはまるでマントのようだ。
私の腹を潜ったかと思ったら、いつのまにか遠くを走っている。
アシュは私の死界によく消えた。
馬の視野は350度。つまり、私から隠れるには残りの10度に居なければならない。
長年馬と過ごしているパパですら、そんな芸当はできなかった。
手綱や鞍の慣らしはアシュの腕前にパパも感心したものだ。その他にも、牛たちのブラッシングや、誘導など、この1ヶ月足らずでアシュは並々ならぬ才を見せた。
アシュは何者なんだ。
ふと、アシュが目の前に現れたと思うと。
「ほれ!」
アシュが空高く赤を投げた。
私の目は自然にそれを追う。
輝くガーネットが高度が低い太陽に重なる。
眩しさに思わず目を瞑る。
瞼が開くと、そこにはもう真っ赤な彼女はいなかった。
そして気が付けば、アシュは私の背に乗っていた。
初騎乗である。
いつのまにかパパもミアもそばで見守っていた。
(よし、乗れた。案外大人しいんだな。)
心の声がダイレクトに響く。
体が接すると、よりハッキリわかるのか。
(って、前から思ってたけど、肉すげーな。
本当に一歳かよ。)
ぶっきらぼうなんだ、アシュって。
パパやミアの前ではお人好しを装っている。
馬の事になると、急に冷静になったり、オークションの時みたいにすごい熱で興奮したりする。
マリアナに会ったときも凄かったもんな。
この見事な鱗の重なり!とか漆黒の角はまるで天を突き刺す矛のよう!とかとか……。
これが私だけ直接頭に流れ込んでくるのだ。
迷惑でもないが、反応に困ると言うか……。
色々思い返しているうちに、いつキャッチしたのか、投げ上げられたトマトはミアの口に運ばれていた。
人を乗せる感覚……。
なんだか新鮮だ。
おんぶとはまた違う。
やっと、馬になれた気がした。
大きな一歩を踏み出したんだ。
競走馬ハニーメープルの伝説が始まったんだ。
そして、私は今尻に敷かれている。(物理的に)
などと思っているうちに、妙な視線に気がついた。
「暴れないですね。」
「おう。」
「大人しいですね。」
「おう。」
「珍しいですね。」
「おう。」
首をかしげる2人。
「メープル、えらいえらい!おりこうさん!」
大事をとって私から距離を置いていたミアが手を叩いた。
もっと抵抗すべきだったかな。
私は馬好きだが、仔馬の調教までは知らない。
暴れろ、と言われても、アシュを振り落とすことになりかねない。そんなこと、かわいい年下に出来る訳がない。
しかし、それは杞憂だったのだと知る事になる。
今日の分の一通りの調教を終え、馬房に帰って来た。
私ほどの月齢だともう親離れをする頃だが、他に行くところも無いので、今はマリアナの隣の部屋だ。
私が大きくなり過ぎたのもあるらしいが。
「ミアちゃーん、どこ行くのー。」
「こっちこっちー!」
夕食を終えたのだろうか。
もう西日が眩しいのに今頃何をする気なんだろう。
と、ミアは馬房の外側、私が顔を出す小窓の下にしゃがみ込んだ。
そのすぐ後をアシュが靴を履きながら出て来た。
アシュの足が重い。昼間の疲労だろう。
トマト作成の後、アシュはミアの遊びに付き合い、ずっと走らされていた。
対してミアは、すっかりご機嫌のようだ。
キョロキョロ辺りを見渡したミアは、立ち上がって近くに落ちていた小枝を拾ってきた。
そして、地面をなぞった。
「『ミ・ア』。ミアってこう書くんだよ!」
「えっ、あっ。」
「だーかーら。これでミアって読むの。」
「習ったの?」
「ふふーん。」
「私に…教えてくれるの?」
「うんっ!だってアシュお姉ちゃん、メープルとミアと遊んでくれたもん!」
アシュは手渡された枝で、つたないミアの字をなぞった。
アシュは本当に嬉しそうに微笑んだ。
ミアも、持ち方が怪しいのを悟られぬよう、苦笑いを浮かべ、誤魔化していた。バレバレだけど。
「『アシュ』はどう書くの?」
「うーん。ア…、シュってなんだっけ。シュ…シュ…。覚えたのに忘れちゃった。」
「そっか、じぁあまた教えてくれる?」
「うん!ぜーったい!今度は『メープル』も覚えてくるね!」
「うん。」
この日、ミアの読み書き講座が始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます