走り出した今生

かすかに残るオオカミの匂いを頼りに、慎重に走る。森はだんだんと深くなり、ヒヤリと湿った空気が体を撫でる。


オオカミは普通、捕獲した獲物はその場で食べる。

だが、私達が追いかけたことで逃げざるをえなくなった。

拘束したとはいえ、自分より大きい獲物を引きずって逃げ続けるのには無理があるだろう。

追っ手を巻いてから食べるはずだ。


運が良ければタレちゃんはまだ息の根を止められていない。

それを信じて、複雑な森を駆ける。



奥に進むにつれて、辺りは更に暗くなり、不気味な雰囲気が漂ってきた。

何かある。直感に従い、頭を下げる。


「ギャーウ。」


鳴き声と共に、大きな口が素早く頭を掠った。

それは、ケタ違いの食虫植物だった。

(あっぶな。)


間一髪。黒いたてがみが一束、宙を舞った。



しばらくすると、辿っていた獣道が二手に分かれた。しかも、ご丁寧に左の道には足跡とフンまで残して頂いて。右からはプンプン牛の匂いがするというのに。騙そうたって無駄だ。

所詮は魔物。人間に敵うわけなかろう。



(…血の匂い…。)


道に飛び出した岩に、擦れた血痕があった。


(いや、まだ新しい。もう近いはずだ。)


諦めたら終わりだ。

そう言い聞かせて、段々と濃くなる肉食獣の空気を大きく吸い込む。



(いたっ!)


木々の間の開けたところにタレちゃんが横たわっている。

引きずられてきたからか、身体のあちこちに擦り傷ができ、血が滲んでいる。

脚にはまだツルが巻かれていて、抵抗する余地は無かったみたいだ。

ぐったりとしている。早くパパに診せなければ。


そっと傍らに近づく。

(良かった。生きてる。)

気を失っているが、お腹が上下に動いている。

不幸中の幸いだ。


(でも、なんで…) 

オオカミ達の姿がない。


嫌な考えが頭をよぎる。

(謀られた。あの魔物に。)


逃げ出そうとした瞬間、

「ガゥッ。」

背後から一頭が飛び出し、私の背中に食らいついた。咄嗟にバックキックをかますが、手応えはなかった。

その隙に正面に現れた、更に大きく銀色の目立つオオカミが私に魔法をかける。


なす術もなく、タレちゃんのそばに転がった。



コイツら、かなり頭が良い。

私が妨害を潜り抜けて追ってくることを見越して罠を仕掛け、待ち伏せをした。

最初の獲物をおとりに、一挙両得って訳か。


いや、今はそんなことを考えている暇はない。

タレちゃんを助ける以前に、自分が捕まっているんじゃ、どうすることもできないじゃないか。



新たにかかった晩飯に、ヨダレを垂らしながら、近づく3匹の魔物。

身動きの取れない子牛、仔馬。


と、そこに新たな乱入者がやってきた。


「ヒヒヒィーン。」


(マリアナ!?)

なんでここに?


突如現れた、強靭というスキルを持った牝馬は、その強固な身体で敵を薙倒していった。


(す、すげぇー。)


鎧のような体表は、オオカミの牙も通さない。

メスの割には発達した後ろ脚は、骨を折るのには十分な威力を放った。

二匹の子犬たちは手も足も出なかった。ギャウという断末魔を残して動かなくなった。


(要らんことしないでよかった〜。)

あんな蹴りをかまされたら、打撲で済むだろうか。


私は初めてあの温厚な母が怒っているのを見た。

ここは救われたか。母は強し。


その隙に、脚の縄を引きちぎる。

タレちゃんのも噛み切った。

さあ、逃げるんだ。


パチッ。

起こす前に目が開いた。

(あっ…。)


「モォー。」

ドドドドドド…。


(逃げられた。)

目にも止まらぬ速さで、立ち上がり、全力疾走し始めた。

せっかく助けられたのに。


(待ってー、タレちゃーん。)

「ヒーン。」



私のスキルが目覚めたのは、まさにこの追いかけっこの時だった。

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