仔馬と自然


(あっ、あれは!)


楚歌の子牛仔馬の遥か後方に筋骨たくましい雄牛が猛進してきていた。その一馬身あとにマリアナが続く。


(ボス!それにお母さんっ。)


良かった。助けが来た。

もう逃げられる…。


でも、希望の灯りはすぐに消え去った。


「モーッ。」


ハッと嫌な予感がして、隣を見た。

タレちゃんが居ない。

やられた。


視界の端に森に消えていくオオカミが見えた。

柵を潜っていく。

柵の一部が壊れていたのだ。

侵入経路も同じだろう。


タレちゃんが食べられる。

心の底から、今まで感じた事の無い恐怖が湧き上がってきた。

被捕食者の感じる死への恐れ。

私はもう人間じゃない。食べられる側のか弱い仔馬なのだ。


ボス達も向かってきてはいるが待ってはいられない。

すくんでいた脚を持ち上げ、思いっきり蹴り出した。


心臓がバクバクする。今すぐにでも逃げ出したい。逃げろ。そう本能は告げる。

 

(見つけた。)

森の斜面を登るように、オオカミが2頭走っていくのが見えた。

タレちゃんは四肢をツルのようなもので縛られ、引きずられていた。拘束魔法か。

確かに知性があるとは思っていたが、魔法まで使えるとは。この世界の魔物は恐ろしい。


私も遅れをとらず、駆け上がる。

しかし、なかなか進まない。

傾斜が急な上に、ふかふかの落ち葉が表面を覆っているため、脚が滑るのだ。

そもそも、草原を走る馬に坂は適さない。


「ヒーヒヒヒィ。」「ムォー。」


私を追っていた母達が斜面の下に着いたようだ。

2頭も同じ登ろうとするが、体格の良さが仇となってどちらも、にっちもさっちもいかない。


なんとか登り切ろうかというとき、4本の爪が右頬を掠った。一頭が追っ手を待ち構えていたらしい。


私はすんでのところで交わしたが、のけ反った勢いでバランスを崩してしまった。


(あっ死ぬ。)



覚悟はしたものの、落ち葉のクッションのおかげで一命は取り留めた。2度目の走馬灯は見ずに済んだみたいだ。


(助かった。でもタレちゃんが。)


再び斜面に立ち向かう。

しかし、ボスに尻尾を掴まれた。


(離して。)「ヒーッ、ヒーッ。」

暴れれば暴れるほど、草食動物の平たい切歯が食い込む。牛には上の前歯が無いから、噛み切られはしないだろうが、血が滲んでいるのは感じた。


奮闘虚しく、最後は母によって地面に押し倒された。


(行かせて。お願い。)

頭を持ち上げた時、


「「ゥゥモォォォーッ。」」


ボスの威嚇か。そう思ったら、自分の脚が動かないことに気づいた。

脚だけじゃない。全身の力が抜けている。

(そんな。)


おそらくボスのスキルだ。

咆哮し、威圧することで相手の気力を奪う。


何回かボスが、群れの規則を守らない牛に使っていたのを見た事がある。

牛たちもそれを知っているからか、滅多に問題を起こさない。

長にふさわしいスキルだ。スキルのおかげで群れのトップになれたのか、ボスになったからスキルを得たのか、まあどちらでもいい。後回しだ。


今は一頭の子牛の救助が最優先だ。



(どうして。どうして助けに行かないの…。)


オオカミたちを追いかけるのかと思いきや、ボスは踵を返し、来た道を戻ってゆく。

母も私にその場を離れようと促してくる。


(なんで。子供がさらわれたんだよ。なぜ帰るの…。)



後ほど考えたのだが、ボスは純正に彼の責務を果たしたのだった。

ここは異世界とはいえ、牧場を出れば弱肉強食の自然界。この摂理は同じ。


そして、ここにおいて群れを守るのがボスの役目。

一頭を助けているうちに、他の牛が危険に遭うかもしれない。

群れを放っておくことは出来なかったのだ。


だが私はそんなクソ真面目ボスを裏切って、一頭を救いに行く。

私はボスじゃない。本能の操り人形でも無い。中身は人間だ。

命を見捨てるのは私の道徳的にアウトだ。



(私は行くぞ、愛と勇気が友達だぁ〜。)

うん、なんか結局ヤケクソになっちゃった。



単身でさらに深い森に突っ込む仔を、母親はもちろん放っておくことはできなかった。


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