Pink Girl 全1話
Pink Girl
某国に留学して心理学を専攻していた頃、キャシーという女性と知り合った。
キャシーというのは愛称で、本名はもっと長くて覚えにくい名前だったと思う。上手く発音できない私を見兼ねて、「キャシーと呼んで」と自己紹介された気がする。
こういう言い方はどうかと思うけど、初めてキャシーに会った時——なんて付き合いづらい人なんだ、と思った。
運悪く席が彼女の隣になってしまった時は最悪だった。ノートのページをめくる音を立てるだけで睨まれた。かと思えば、教授が重要な話をしている時に限って引き攣った笑みを浮かべながら話しかけてきた。
喜怒哀楽が激しく、彼女はいつも不安定だった。
でもしばらくして、何かの拍子にその理由を知った。
「ずっと言おうと思ってたけど、それ使うのやめてくれない? 私、ピンクが怖いの」
キャシーにそう言われて、私は手元に視線を落とした。日本にいた時から愛用していた、薄い桃色のバインダーノートが机の上に置かれている。
キャシーに視線を戻すと、ピンクのノートを見る彼女の目が、まるで肉食獣に鉢合わせた草食動物のように怯えている事に気が付いた。
キャシーが不安定だったのは、私がこのノートを持っていたからだったんだ、とその時になってようやく思い至った。
次の日からバインダーノートを現地で買った黄色の花が書かれたノートに替えると、キャシーの隣に座っても普通に授業を受ける事ができた。その授業の終わりに初めてキャシーの引き攣っていない笑みを見て、えくぼが可愛いと思った。
私のピンクのノートを怖がっていたキャシーは、不安を紛らわそうとしてあのような態度をとっていたらしい。
しかし、ここまでピンクが怖いなんて……是非とも理由を聞いてみたいものだ。
思い切って質問をぶつけると、キャシーは困ったような顔をした。
「それが……全然わからないの。原因どころか、いつからそうなったのかもわからない。気付いたら、私はピンクを見ただけで息が苦しくなるようになっていたのよ。でも、いつか原因を思い出したいと思っているわ」
それを聞いた私は、原因を探るよりもピンクを見た時にパニックにならない方法を探した方がいいんじゃないかと提案した。
なぜかと言うと、彼女はピンクに何か強いトラウマがあるように感じていたからだ。そしてトラウマの原因は、本人も覚えていないことが多い。その理由は大抵、自分自身を守る為に忘却したという結果に終わる。
だけど、キャシーは納得できないようだった。
数か月して、私は帰国した。
私の留学中にキャシーがピンクを克服することは遂になかった。だけど最近になって、彼女がトラウマの原因を思い出したとSNSで知った。
「Finally :)」
という短い言葉の後に、一枚の写真が載せられていた。
それは、頭の先からつま先までを写したキャシー本人?が微笑んでいる写真だった。自信がないのは、写真に写っている彼女がピンク色のアメーバのように溶けていたからだ。
彼女がよく着ていた服と、あの日見たえくぼを浮かべた彼女の面影が僅かに残っていたことから、これはたぶん私が知っているキャシーの今の姿なんだと推察した。
その投稿は、数分もしない内に本人に消された。いや、写真どころかアカウントそのものが削除されてしまった。
その後、キャシーと繋がりがある人達に事情を聞いてみたけど、みんな同じようにショックを受けていて、キャシーに何があったのかはわからなかった。
でも、みんな口に出さないけど、この件にはもうあまり関わりたくないようだった。キャシーのことは気になるけど、私も忘れる事にした。
あの写真を見てから、ピンク色を見る度に視界の端にピンク色のキャシーが写り込むようになってしまったから……。
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