ふゑあり様 3/3

 振り返れば、蔵の戸が開いていた。ちょうど僕が通れるくらいの隙間から、真っ暗な室内がぼんやりと見える。


 どうして開いたのか不思議に思いつつ、好奇心が勝った。

 蔵の中に何があるか、どうしても覗いてみたくなった。


 そっと入り口に近づき、頭だけを蔵の中にいれて様子を探る。

 壊れた机や雑誌の束、他にも用途が分からないようなガラクタが沢山——どれも埃を被っていた。うちにある物置とそんなに変わらないと思って、蔵に背中を向けた。


[……って]

 何かが聞こえた次の瞬間、僕は後ろ向きに倒れていた。


 床は埃っぽくて、周りは薄暗くて、蔵の中に倒れたのだとすぐに気付いた。床に頭をぶつけた痛みに耐えながら体を起こすと、何かの気配を感じた。


[か……って]


 ガサガサ ズリズリ ガサガサガサ


 何かが僕の周りを動いている。戸の隙間から入る光が届かない場所から、こっちを見ているような気配がした。その間も、頻りに何か音が聞こえていた。


[……わって]

 その音は、倒れる前に聞こえた音と同じ、まるで人の声のような音だった。


 心臓は激しく脈打ち、背筋は冷たくなっていく。逃げたいと思うのに、体が思うように動かない。


 ガサガサ——


 暗闇の中にいる何かが、動きを止めた。


[かわって]


 何かが僕の足を掴んだ。物凄い力で蔵の奥の方へと引っ張って行こうとしている。咄嗟に、僕は蔵の戸の溝に指を入れて、もう片方の足で踏ん張った。


[かわってかわってかわってかわってかわってかわってかわってかわって]


 幾つもの手が僕の足を掴んで、奥へ奥へと引き摺って行こうとする。


 指の力がなくなってきた時、すぐ近くで姉の声が聞こえた。


「助けて!」


 姉は僕の叫び声に気付くや否や血相を変えて走ってきた。何があったかを聞く前に、僕の手を片手で引っ張りながら、もう片方の手で蔵の戸をこじ開けた。


[ギィイイイイイ]


 眩い夏の太陽が蔵の中を照らすと同時に、僕を引っ張ろうとした何かが一斉に手を放した。耳を劈くような不快な音を立てながら、光から逃げるように闇の中へと気配が去っていく。


 姉は僕を引きずるようにして蔵から出すと、戸を勢いよく閉めて、


「逃げよう」


 呟くようにそう言って、僕の手を掴んだまま走り出した。


 玄関に駆け込んで戸を閉めると、安心した僕はその場にしゃがみこんだ。でも、姉は立ったまま、じっと僕を見つめていた。どうしたのかと聞くと、姉は妙な事を聞いてきた。


「名前は言える? スマブラはいつもどのキャラ使う? ルビサファで最初に選んだポケモンは?」

「えっなんで?」


「答えて」


 姉の剣幕が尋常じゃなかったので、僕はおそるおそる質問に答えた。すると姉は安堵の溜息を吐いて僕に抱き付いてきた。


「よかった。助かって……」


 僕はしばらく、震えながら泣く姉の背中を撫でていた。だけど、やがて落ち着きを取り戻した姉に何があったかを聞いて、今度は僕が震える羽目になった。


 蔵の中には、僕とそっくりの顔の何かがいたらしい。


 でも、それは明らかに人じゃなかったそうだ。僕の顔をしているのに、顔は笑っているような表情で固まったお面のようだった。僕の足を掴んでいた奴の手は、日光に当たると黒っぽくなって溶けて、体は靄がかかったように見えなくなっていったらしい。


 しかも、中にいたのはそいつだけじゃなかったそうだ。姉は——人の顔をたくさん貼り付けたぐにゃぐや動く塊が、蔵の天井にいたのを見たらしい。


「なんとなくだけど、あいつ、あんたになろうとしてた気がする」


 姉は僕が本物の僕かどうかを確かめる為に、僕と姉しか知らない事を質問にして答えさせたようだった。


 大人達に話すかどうか迷ったけど、怒られるのが嫌だったから内緒にしておくことにした。




 あれ以来、僕達は祖父母の家には行っていない。


 大学生になった春、あの蔵は取り壊されたと聞いた。だけど、中に何かがいた痕跡だとか、そういうのは全く聞かなかった。だからといって、あれが夢や幻だったとはとても思えない。奴らは光に弱いようだったから、蔵が壊される前にどこか別の場所に逃げたのかもしれないと思っている。


 あの時はまだ子供で、状況の整理だとかが上手くできなかった。


 だけど、大人になった今は、少し落ち着いて考える事ができる。


 蔵の中にいた何かが言っていた「かわって」とは、その言葉の意味通り「代わって」ということだろう。


 僕の足を掴んだあいつは、僕に成り代わって蔵の外に出ようとしていたらしい。

 もし、あの時姉が来てくれなかったら、戸を開けていなかったら、僕はどうなっていたんだろう。姉には感謝してもしきれない。


 でも、状況を整理したばっかりに、新しく不安が生まれてしまった。


 身近にいるんだ。蔵の中の奴らと同じように——日光に弱い人が。


『日が沈んでも遊び呆けて帰って来なかった』


 祖父の記憶が正しければ、子供の頃の父は日が沈むまで外で遊んでいられるほど、日光に強かったということになる。

 後天的に日光に弱くなることもあるかもしれない。だけど、祖母の話がその考えに影を落とす。


『今みたいに大人しくなったのは、お仕置きで蔵に閉じ込められてから』


 もし僕達の父が日光に弱くなったのが、蔵に入った後なのだとしたら——蔵から出された父は、蔵に入る前と同じ子供だったんだろうか……。


 もし僕達の見たあれが、ふゑあり様だったなら、ふゑあり様と出会った子供が大人しくなるという事は、ふゑあり様がその子に成り代わってしまったからなんじゃないだろうか。


 陽の光を避けるようにサングラスをかける父を見ると、恐怖と不安が胸の中で渦巻いてしまう。


 悪ガキだった父が、蔵の中で怖い思いをして改心しただけなのかもしれない。


 だけど僕達は恐ろしくて、ずっとそれを確かめられずにいる。

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