第71話 応援の力と練習の成果

 試合はどちらも決定機のないまま一進一退の攻防が続いていた。

 杏里達五人は皆、誰も手を抜いている様子もなく、一生懸命走ってパスを繋いでいる。ちなみに、キーパーは詩音がやっていたりする。料理部に所属し、おっとりとした雰囲気の彼女にはあまり似合っていないように感じるが、本人が「意外と反射神経はいい方なんだよぉ?」と言って立候補したのだ。


 そんな中、蓮と柊平はほとんど声を出すことなく、真剣な表情でじっと試合を見守っていた。応援と言っても二人はこんなものだ。これまでの経験からそれがわかっていたからこそ杏里はしっかり応援して、とあえて言ったのだろうが、響いていないように見える。

 どうやら二人にとってしっかり応援、というのは、雑談などをすることなくしっかり見ている、という意味のようだ。確かに二年のとき、杏里の応援に来ていた二人はお喋りしながら観戦していた。だから蓮達からすれば、朝に交わした杏里との約束をちゃんと守っているつもりだった。


 しばらく観戦していて蓮はある違和感に気づいた。

 それは周囲で応援している生徒達が個人の名前を呼んで頑張れー、とか、いけーとか言っているのだが、そこに美桜の名を呼ぶ者が全然いないこと。

 美桜が仲良くなった者は皆一緒に試合に出ているし、これまでの美桜の在り方を考えれば、それも仕方がないことなのかもしれない。

 けれど蓮はそれが何となく寂しくて嫌だった。だから―――。


「美桜!杏里!そこだ!攻めろー!」

 蓮は大声で声援を送った。

 隣にいた柊平は突然蓮が声を張り上げたことに驚いたが、自分でも何か感じていたのか、しょうがない、とでも言うように口元に小さく笑みを浮かべる。

「杏里!華賀!パスだ!パス回せ!そのままゴール前に!」

 そして蓮と同じように大声で声援を送った。


 二人の声は美桜と杏里の耳にも届いた。彼女達の気持ちが高揚していく。美桜が杏里に視線を向けると杏里も同じように美桜に視線を向けており、一瞬、美桜と杏里の目が合った。と同時に、二人ともやってやろうとでも言うかのような挑戦的な表情になる。


 杏里が足元のボールを美桜にパスする。それを美桜は綺麗にトラップした。蓮とした練習の成果だ。走り出していた杏里に美桜がパスを出す。そのまま美桜はゴール前に走り出す。再び杏里が美桜へパス。連続してパスが綺麗に繋がる。美桜はトラップすると一瞬ゴールに目をやった。目の前には相手選手が立ち塞がっている。

 美桜はこのとき自然に蓮から習った動きができた。

 それはパスやトラップがある程度できるようになった後に、簡単だけど、ほぼ確実にワンテンポ相手を遅らせることができるだろうと蓮が教えてくれたフェイントだ。

 左足で右側からボールを跨ぐ。このとき体も左に行くかのように傾ける。ディフェンスに入った相手選手は美桜が左から抜きに来たとそちらに体をやる。跨ぎ終えたらすぐに左足を軸に右足でボールの左側から跨ぐようにして、ただし今度はつま先でボールを右側に押し出すように転がす。シュートを打ちやすい位置に。

 蓮が見せてくれたお手本に比べれば決して上手くできたとは言えないレベルだろう。経験者なら全く動じないレベルかもしれない。けれど、今回は蓮が言っていたとおり、相手選手がワンテンポ遅れた。


 そのまま美桜はゴールに向かってシュートを打った。ゴールキーパーは味方が視界の邪魔になり、かなり反応が遅れていた。

 これは偶然だろうが、飛んだコースもよく、美桜が蹴ったボールはそのままゴールネットを揺らした。


「はぁっ、はぁっ……」

 荒い息を吐きながら美桜は呆然と立ち尽くし、ゴールを見つめていた。心臓がバクバクと激しいリズムを刻んでいる。

(ゴール、できたの……?)

「美桜ー!やったね!」

「きゃっ!?」

 そこに杏里が抱きついてきて、美桜は驚きの声を上げる。

「すごい!すごいよ!美桜!」

「杏里……。ありがとう!」

 ようやく実感が湧いてきたのか、美桜の表情が柔らかくなった。

 さらにメンバーも全員集まってきて、みんなで喜び合う。

 我慢の時間が続いていた分、喜びも一入だろう。


 応援していた生徒達もゴールに沸いていた。そしてそれは蓮と柊平も。

「蓮、華賀やったな!すごいじゃないか!」

「ああ、そうだな。…本当、すごい」

 メンバーみんなに囲まれている美桜はそういうことに慣れていないのか、少しあたふたしているようで、見ていてなんだか微笑ましい。

「なんだ?テンション低くないか?」

「そんなことない。かなり嬉しいと思ってる」

 実際、蓮はテンションが低いのではない。ただ噛みしめているだけだ。美桜がパスやトラップをする度に内心ではドキドキしていた。そしてそれらが無事成功する度に心の中でよし!とガッツポーズをしていたのだ。むしろいつもの蓮よりもずっとテンションが高かった。そんな中での最後のフェイントからのシュート。少しぎこちなさはあったがシュートまでの流れも十分なものだった。動作が始まった瞬間に美桜が何をやろうとしているのかわかり、思わず目を大きくしてしまった。自分が教えたことを試合本番で実践してくれたことが素直に嬉しかった。

 二人でやった練習が実を結んで本当によかった。

「そうかよ。…最後のフェイントも蓮が教えたのか?」

「なんで……?」

 柊平が知ってるのか。思わず柊平の顔を見る。

「杏里がな、保健室で華賀から聞いたんだと」

 柊平は苦笑を浮かべながら蓮が疑問に思っただろうことの答えを言う。

「そっか……。個人面談の頃からな、やってたんだ。それも俺のせいで六月に入ってからはやめちゃったんだけどな」

「ふぅん。…そんな練習してたなら、杏里も誘ってやればよかったのに」

「いや、練習するようになったのは偶然だったんだ。それにやってたのは放課後だったしな」

「なるほど、な」

 理由になっているようでなっていないような気がした柊平だが、それ以上は言わなかった。


 まだ試合の途中のため、すぐに喜びの輪は解かれる。そのとき、美桜と杏里が二人揃って蓮と柊平に向かってピースをした。どうだ!やったぞ!と言わんばかりだ。それに対し、蓮達は拍手をしながら笑顔で返すのだった。


 その後は「華賀さん、もう一点!」など、美桜の名前を呼ぶ応援も増えた。そのことを蓮は内心で嬉しく思う。試合はそれから相手に一点決められ、一時同点になったが、すぐにつばきがゴールを決め、それが決勝点となり、一試合目は勝利で終わった。


 五人が喜び合っているところに、応援していたクラスメイト達もコートに入って混ざっていく。朝一の試合での幸先のいい勝利に、みんな沸いていた。ちなみに蓮と柊平は応援していた場所から動いていない。



 少し離れたところでは、昇も美桜の試合を見ていた。応援している集団の中に混ざるのは気が引けたため一人で、だ。真剣に、そして楽しそうにプレーしている姿を見て、自身の心情を表すように昇はずっと複雑な表情をしていた。今までの球技大会であんなに楽しそうにしている美桜を昇は見たことがない。やはりこれも杏里達と親しくなった影響なのだろうか。それに、美桜がゴールを決めた後、一度応援している生徒———昇の見ているところからは蓮達の反応も見えたため、その相手が蓮達だとわかった、に向かって杏里と一緒にピースをしていた。そのときの美桜の表情も昇は初めて見た気がした。


 一頻り喜び合って満足したのか、みんなでコートから出るように移動していく。美桜と杏里が他のメンバーに一言声をかけ、そこから離れると二人で蓮と柊平のもとへと向かった。何を話しているかはわからないが、四人で楽しそうに話している姿が昇の目にはっきりと映った。


 次の時間には自分が出場する試合があるが、昇は沈んでいく自分の気持ちを止められなかった。

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