第70話 球技大会本番の朝

 球技大会本番の今日は雲の多い空模様となった。ただ、天気予報では雨の心配はなさそうとのことだ。

 もういつ梅雨に入ってもおかしくない時期のため、そう考えれば、少々蒸し暑いが、なんとか一日もちそうな天気といったところだろうか。


 教室では、すでに全員が上はクラスTシャツ、下はハーフパンツに着替え、朝のホームルームを終えた。蓮達のクラスTシャツには、太陽と虹、そして色とりどりの花がメルヘンタッチで描かれている。ちなみに、このクラスTシャツ、実は杏里のデザインだ。


 一年のときに、ひょんなことから蓮と柊平は杏里が絵を描くのが上手いことを知った。そして二年でも同じクラスになったときのことだ。クラスTシャツのデザインは立候補制なのだが、デザインをしようという者が誰もおらず、ロングホームルーム中のクラスメイト達は途方に暮れていた。そのとき、蓮と柊平は杏里が絵が上手なことを思い出し杏里に頼んだ。杏里はクラスTシャツの絵を描くことに乗り気ではなかったのだが、蓮と柊平が自分達も手伝うから、と頼み込むと、仕方なくスイーツを奢ってもらうことで了承したのだ。

 そのときのクラスTシャツの評判がよく、今年はそれを知っていた他のクラスメイト達が率先して杏里にお願いし、今年も杏里がデザインすることになったという訳だ。

 ちなみにこのとき杏里はクラスメイト達に対価としてスイーツを、というか何も要求せず引き受けたため、蓮と柊平は驚きとともに解せないと目を見合わせてしまった。


 閑話休題。


 クラスメイトが教室を出て、テニスコート、体育館、グラウンドとそれぞれ目的の場所に移動していく。多くの人は朝一で試合のある種目の応援だろう。

 これまでなら蓮と柊平は試合以外の時間、応援にも行かず、それぞれの場所でダラダラと過ごしていた。加えて試合も全くやる気なくすぐに負けた。これまで例外的に応援に行ったのは杏里の試合くらいだ。

 ただ高校最後の年になって、今年は色々と変化している。まず、柊平が出場種目であるフットサルにどういう訳かやる気を見せている。そしてそれは蓮もだった。なぜなら保健室で美桜と約束したから。それと女子フットサル、というか美桜の応援は蓮にとって最優先事項だ。こちらも美桜と約束したから。


 蓮と柊平は杏里達女子フットサルメンバーとともにグラウンドに向かう。第一試合、早速杏里達の出場する試合があるからだ。

「蓮も柊平も私達のことしっかり応援してよね?」

 今日の杏里は髪を後ろで結んでおり、美桜もいつもの二つ結びではなく、後ろで一つに結んでいる。髪の長さは違うが、どうもお揃いでポニーテールにしているようだ。二人ともよく似合っている。

「わかってるよ。だからこうして一緒に向かってるだろ?」

「いるだけじゃなくて、ちゃんと応援してよ?私達も応援してあげるんだから」

「ああ」

 蓮の返事に満足したように一度頷いた杏里は続けて美桜に顔を向ける。

「でも私達は蓮達の応援なんて気にせず楽しもうね!」

「もう、杏里ってば。そんな言い方したら蓮くんと日下君に失礼だよ」

 杏里が楽しそうに言っているので、美桜にも冗談だとわかり苦笑が浮かぶ。

「いいの、いいの。二人のことはこれくらいで」

 だって見てもらえてる、なんて考えすぎたら緊張してしまうから。杏里は内心でそう付け足した。

「ふふっ、そうかも。意識しすぎたら緊張しちゃいそうだし」

 杏里が心の中で思っただけのことを美桜は言葉にする。

「でしょ」

 杏里は美桜の言葉に対し、笑顔で自分の感情を隠しながら同意した。


「それで杏里達は勝てそうなのか?」

 柊平が尋ねる。

「ん~、どうだろ。つばき以外は皆素人だしね」

 答えながら、たははっ、と笑う杏里。

「そっかぁ」

 柊平は、じゃあ二試合で応援も終わりかな?と思ったが口には出さない。それくらいの心、というか常識はあった。

「でもみんな運動神経いいから。私が足を引っ張らなきゃ予選突破は目指せそうだよね」

 言いながら美桜は気合を入れる。どうやら本気でそう思っているようだ。

「美桜も大丈夫だよ。練習のときどんどんうまくなってたじゃん」

「ああ、美桜なら大丈夫。自信もって」

 杏里の言葉に蓮も重ねる。

「うん。ありがとう、杏里、蓮くん」

 美桜は嬉しそうにはにかむ。

「ちょっと蓮、私にも何かないの?」

「杏里がスポーツできるのはもう知ってるからな。まあ、あんまり調子に乗って無理して怪我だけはしないようにな?」

 杏里が頑張ってしまうタイプだとわかっているからこその心配だった。

「む~、なによ調子に乗って、って。失礼だなぁ」

 が、杏里は蓮の言葉にふくれっ面になる。本気で怒っている訳ではないが、もう少し言い方があるだろう、と思う。

「ははっ、悪い悪い。まあ言いたかったのは、さっき杏里が言ってたとおり二人とも楽しんで、ってことだよ」

 杏里の可愛らしい拗ね方に蓮は笑って謝ると、杏里と美桜、二人に向かってエールを送った。


 グラウンドに着くと彼女達はすぐにアップを始めた。

 蓮達のクラスは同じく第一試合に男子バスケの試合があり、比べるとそちらの応援に行っているクラスメイトの方が多いかもしれない。ここにいる応援の集団は女子の比率が高い。そんな応援にやってきた他のクラスメイト達の集団の中、ちょっと居心地の悪さを感じつつも、杏里達のアップをぼんやりと眺めながら柊平は隣に立つ蓮に話しかける。

「華賀、元気になってよかったな」

 視線の先では五人とも実に楽しそうだ。一昨日までのままであったなら少なくとも美桜の笑顔はなかっただろう。そして杏里もあそこまで楽しそうにはしていられなかったと思う。

「ああ、本当にな。今回のことは自分の不甲斐なさを痛感したよ」

 蓮も同じことを思ったのか、苦い表情になった。

「まあ確かに、らしくはなかったな」

 柊平は横目でチラリと蓮を見て言う。自分の知っている今までの蓮なら、同じような行動をするにしてももっとうまくできたと思う。誰も傷つけることなく、周囲に気づかれることもなく自然に。そのための広く浅い人との付き合い方だと思うから。今回の蓮はそれができなかった。それはつまり美桜とのつながりをあっさりと切り捨てることができなかったということだ。

「俺も色々考えたんだよ。……けど、全部裏目に出た」

「まあそうだろうな。でも丸く収まってよかったじゃないか」

「まあ、な」

「それどころか呼び方まで変わったみたいだし?」

 柊平は片手で眼鏡を押さえるようにしながら蓮の反応を探る。

「柊平のことも杏里のことも名前で呼んでるって言われたら断る理由なんてないだろ?」

 だが、蓮の反応は特になく、普通の返しだった。

「そりゃな」

 呼び方を変えたことなど確かに大した変化という訳でもないだろう。ただ、この明確な変化には杏里だって気づいているはずだ。杏里の気持ちを考えると柊平は心苦しかった。


 そんな風に二人が話しているとあっという間に開始時間となった。

 明政の球技大会は各学年一クラスずつの三クラスが総当たりで予選を行い、一クラスが決勝トーナメントに進出できる。誰でも二試合は必ず出場するということだ。高校の部活を続けてきて、体のできあがっている上級生が有利に思えるが、時々ジャイアントキリング、というほど大げさではないが、一年生チームが決勝トーナメントに行くこともある。


 杏里達の初戦の相手は二年生だ。

 コートにメンバーが集まっていき、試合が始まった。

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