第69話 親子の会話はかみ合わない
公園を出た二人はそのまま美桜の家に向かっていた。美桜は公園を出たら別れるつもりだったが、先に蓮が送っていくと言ったため、それに甘えてしまった。もう少し蓮に傍にいてほしかったから。
「蓮くん、今日は本当にありがとう」
と言っても、家まではすぐに着いてしまう。だから美桜はあらためてお礼を言った。言っておきたかったから。
「いや、俺は何もしてないよ」
「ううん。一緒にいてくれるだけですごく勇気を持てたから」
「…美桜が頑張ったんだよ。ぎりぎりまで水波と真剣に向き合おうとしてたの、わかったから」
「っ、…うん、ありがとう」
美桜の口元に笑みが浮かぶ。蓮がわかってくれる、それが本当に嬉しい。
美桜の表情を見て、蓮は本当にあれでよかったのか、という言葉を呑み込んだ。それはあれだけ昇と向き合おうとした美桜に失礼だと思ったから。
美桜が納得しているならこれでよかったのだろう。
そして思う。美桜は本当にすごい、と。
昇が口にした言葉が最後以外嘘ばかりだったというのは美桜の言う通りだったのだろう。人の言葉というのはそれほど信用できないものだ。もちろん、相手によるということは蓮にだってわかっている。けれど、その判断は簡単なことではない。だから蓮は浅い付き合いしかしないように心がけているのだから。
それなのに美桜は最後まで諦めなかった。そうして最後の最後に引き出せた昇の本音があれだったというのは何とも悲しいが、そのおかげで美桜は気持ちの整理ができたように蓮には思えた。
そんなこと、自分にはできる気が全くしない。美桜のことが眩しく感じる。
「お疲れさま、美桜」
だから蓮は、柔らかな表情でそう言った。
「蓮くん……。……ありがとう」
蓮の言葉に美桜は顔を綻ばせるのだった。
その後、家の前で蓮と別れた美桜は一つ息を吐き、決意を新たにして玄関のドアを開けた。
「ただいま」
靴を脱ぎ、リビングの扉を開ける。
「美桜、お帰りなさい。遅かったのね」
リビングには志保がいた。
「ただいま、母さん。ちょっと色々あってね」
「そう。もうすぐ夕食だから早く着替えてきなさい」
「うん」
今日も父の総一郎は仕事で遅いようで二人での夕食だ。美桜はちょうどいいと思った。話すなら早い方がいい。
そして、夕食を食べ終えた美桜は志保に切り出した。
「あのね、母さんに言っておきたいことがあるの」
「何?そんなあらたまって」
「水波君から聞いたんだけど、私、水波君とは付き合ってないから。勘違いしたままでいてほしくないから伝えておこうと思って」
「っ、いきなり何を言うの?喧嘩でもした?あなたと昇君、あんなに仲が良かったじゃない」
美桜が昇のことを水波君、と言っていることにもすごく違和感を覚える。
「だからそれが勘違いだって言っているの。今までも、仲が良かった訳じゃないよ」
「勘違いって……。っ、もしかして美桜、あなた昇君を裏切ったんじゃないでしょうね?」
「?何言ってるの?」
急に何を言い出すのだ。志保の言葉に美桜は本気で首を傾げる。裏切るとは穏やかじゃない言葉だ。
「天川君、って言ったかしら?あなた最近その男の子と親しくしているんでしょう?」
「っ!?どうしてそこで蓮くんの名前が出てくるの?ううん、その前にどうして母さんが蓮くんのこと知ってるの?」
志保が蓮の名前を出したことに美桜は目を大きくする。
「蓮君?美桜、あなたもしかして本当にその人のこと好きなの?」
以前扉越しに聞いたときと呼び方が変わっていることに訝しむ志保。
「は?…なんでそんな話になるの!?蓮くんは大切な友達だよ。それより私の質問に答えて。どうして母さんが蓮くんのこと知ってるの?」
志保の言葉に一瞬ぽかんとしてしまった美桜。だが、すぐに理解し言い返す。ただ、好き、なんて言われて少し頬が赤くなってしまった。
「はぁ……。昇君に聞いたのよ。最近、あなたの様子がおかしかったから」
嘆くように答える志保。美桜の必死な様子に志保は頭が痛くなるのを感じる。気持ちの制御が難しいことはわかる。まだ高校生なら尚更。けれど別れた、と言うなら兎も角、付き合っていないだなんて言い方をするなんて。我が娘ながら同じ女性として残念でならない。それに相手は選ぶべきだ。今は大切な時期なのだから余計に。蓮とは付き合っていないようなのがせめてもの救いか。昇なら幼い頃から知っているし、将来のこともしっかり考えていて安心だったというのに……。
「そう、水波君から聞いたんだ……」
そこで美桜は思った。以前、昇が家から出てきたのはこの話をしていたのかもしれない、と。
「…彼、ご両親がいないんでしょう?どうやって生活してるんだかわからないけど、そんな子やめておきなさい。あなたが不幸になるだけよ。絶対に後悔する」
美桜が変な選択をしないように釘を刺しておかなければならないと志保は思った。両親がおらず、一人暮らし。成績はそれなりにいいのかもしれないが所詮は高校の成績だ。現在もバイトをしていると聞いたし、大学にまともに通えるのかわかったものではない。学生のうちの恋愛だと油断していては本当にいい出会いを逃してしまうかもしれない。それに今は感情的になっているようだが、そのうち昇とよりを戻すことも十分考えられる。
「っ、どうしてそんな酷い言い方するの!?」
志保が何を考えているのかなんて美桜にはわからない。けれど、あんまりな言い様に美桜の心は激しく乱される。
「今はわからないかもしれないけどね、あなたのためを思って言ってるの。聞き分けなさい」
そして出てきた。美桜のため、という言葉。昇と同じだ。美桜の心が急速に冷えていく。
「……私が言いたかったのは最初に言ったことだけだから。それだけはわかって」
「ええ。少し離れて冷静になることも大切でしょうからね」
結局最後まで美桜と志保の会話はかみ合わないままだった。
美桜は寝る準備を済ませ、少し早い時間ではあるが、ベッドで横になっていた。だが寝不足の上に、今日は精神的に疲れることがたくさんあったはずなのに中々寝つけない。志保の言葉で美桜の心にはモヤモヤとしたものが広がっており、どうしてか耳の奥の方に痛みを感じる。そんなときだ。美桜のスマホにメッセージが届いた。
『今日は本当にお疲れさま。許してくれてありがとう。今日はちゃんと寝てくれな?おやすみ。また明日』
見れば蓮からのメッセージだった。自然と口元に笑みが浮かぶ。
『私こそありがとう。おやすみなさい。また明日』
メッセージを送り終えると、先ほどまでが嘘のように耳の痛みが治まり、ふわふわとした心地いい眠気がやってくる。
志保との話はうまくいったとは言えないが、美桜はこの日、久しぶりに熟睡することができた。
翌日。
昇は学校に行く気がせず休みたかったが、結局ちゃんと登校した。だが、ベッドの中で行くか行かないかと悩んでいたため、教室に入ったのは遅刻ギリギリになってしまった。
そこで目にする。蓮、柊平、杏里と仲良く話している美桜の姿を。一瞬固まる昇だが、すぐに自席に着いた。そしてちらりと美桜の方を見る。
自分の前では見たことがない美桜。もう何度も思ったことだが、今までは美桜が変わってしまったのだとそう思ってきた。けれど今は……。自分といたときの美桜が本当の美桜ではなかった、ということなのか。
昨日からずっと同じようなことばかりを考えている。おかげで眠るのも遅くなり今日の昇は寝不足で目の下にクマができている。朝、ベッドの中でダラダラとしてしまったのにはその影響もあったかもしれない。
昇は美桜から視線を外し、思案に沈むのだった。
一方、蓮達が朝から話していたのはもちろん昨日のことだった。柊平と特に杏里は、蓮と美桜がちゃんと仲直りできたのか心配していたから。
そして二人から誤解は解け、仲直りできたことを聞けた杏里の喜びようはすごかった。
美桜をぎゅっと抱きしめ、よかった、本当によかったと繰り返していた。その目には薄っすら涙が浮かんでいた。
その後は、杏里から昨日の放課後、昇と話したが誤魔化されてしまったと残念そうに伝えられたため、美桜は昇と話したことを伝えた。そしてその結論も。
柊平と杏里は初めて聴く内容に驚いていたが、美桜が落ち着いて話していたため、杏里は優しい笑みを浮かべ、頑張ったね、美桜、と声をかけると今度はそっと美桜を抱きしめた。
美桜はそんな杏里に小さく笑みを浮かべるとありがとうと返すのだった。
それからは空気を変えるように翌日に迫った球技大会の話を皆でしており、昇が見たのはその光景だった。
この日、美桜は久しぶりに何の憂いもない学校生活を過ごすことできた。そしてそれは蓮も同じだった。
そんな穏やかな一日が終わり、蓮達は球技大会の日を迎えた。
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