第68話 彼と彼女の決着

「……わかった。もう、いいよ。もうわかったから……」

(この人はこんな人だったんだ……)

 今まで気づかなかった。いや、自分が気づこうとしてこなかったのだ。美桜の中で昇への失望が大きくなる、と思ったがどうも違う感じだ。これは―――。

「そうか、わかってくれたんだな!よかった。美桜は俺のこと信じてくれると思ってた!?……美桜?」

 美桜の言葉に昇は喜色の笑みを浮かべ、下にやっていた視線を美桜の顔に向けた。だが、そこにあったのは美桜の冷え冷えとした目だった。昇にはそう感じた。


「私からの話をさせてもらっていいかな?私から言いたかったことは一つだけ。もう二度と私に関わらないで。私からあなたに望むのはそれだけです」

 美桜は何か大きな決断をしたみたいにその表情を引き締めていた。

「お、おい美桜?急に何言い出すんだよ?」

 美桜の言葉に昇は焦る。イライラもどこかに吹き飛んでしまった。だって美桜から出てくるとは思えない言葉を言われたから。

「急とかじゃないよ。ずっと違和感はあったの。あなたと一緒に登下校するときも、お互いの家でも、いつも私はあなたの言ってることの意味が全然わからなかった。ただ相づちを打つことしかできなかった。でもあなたはそんな私のこと、気づいてもいなかったよね?もちろん私がちゃんと伝えなかったのも悪かったんだって今はわかってる。ちゃんと話を聴いてくれるっていうのがどういうことか私は知ったから。私達はお互い相手のことを知ろうとなんてしてこなかったんだよね。今なら本当に、よくわかる」

「は?」

 美桜は突然何を言い出すんだ?、と昇はぽかんとしてしまう。


「幼馴染だし、それだけなら別に何とも思わなかった。知ろうとしなかったのは私も同じだしね。けど、今回蓮くんに言ったこと。私この間、あなたにちゃんと言ったはずだよね?付き合ってるなんて勘違い誰にもされたくない、って。それなのにあなたは蓮くんを騙した。騙して蓮くんに私と関わるなって言った。おかげで私はすごく悩んだよ。自分のせいなのかって。今はもう誤解は解けたけど、そうでなかったらって考えると今でも怖くて怖くてしょうがない。…私からを引き離そうとした、それがあなたが私にしたこと。それをあなたは私のためだって言ったの。そんなの決して認められない。あなたはよく私のためって言葉を使うよね?私を思って、とか。でもそれは、、じゃないの?最近そのことに気づけた。だからそんな言葉受け入れられる訳がない。そんな押し付けられた理由で私は今をめちゃくちゃにされたくない。……だから、あなたにもう関わってほしくない。それだけです」


 緊張で全身に力が入っていたようで美桜の消耗は激しかったが、勇気を振り絞って言い切った。思えば昇にこれほど自分の考えや気持ちを話したのは初めてだ。もっと早く伝えることができていればまた違ったのかもしれない。けれどもう遅い。今回昇がしたことはそれだけ許せないことだった。

 ちなみに、大切な人と言ったことに美桜自身は気づいていない。自然と出てきた言葉だったからだ。が、蓮はしっかりと聴いていた。ただ、友人という意味での言葉の綾だろうと深くは考えなかった。


「っ、……ふざけるな」

 俯いた昇は呟くように言った。が、次の瞬間、カッと顔を上げると、感情が爆発したように怒鳴る。

「ふざけるな!なんだその言い方!?だから天川達なんかと付き合うなって言ったんだ!こいつらと親しくなってお前は変わった!だから俺は邪魔なこいつらを遠ざけるために今回のことを!中学のときだってそうなんだぞ?お前が変な男の方を向かないようにって、俺は!…天川を悪者にすれば、お前は元に戻ると思っていたのに!お前は元に戻って俺と付き合うのが正しいんだ!そのために俺は、ずっと!……おばさんだってそれを望んでるんだぞ?おばさんは俺がお前の彼氏だと思ってる!おばさんの気持ちをお前は裏切るのか!?どうして俺の言う通りにしないんだよ!?」

 昇は勢いに任せて言ってはいけないことを言ってしまった。美桜のためという言葉に隠されていた自分本位な考えを。


 志保は美桜と昇が付き合っていると思っている、そう言われて少し驚きはあったが、不思議なことに美桜に大きな衝撃はなかった。むしろ納得してしまった。よくわからなかった志保と昇の会話の数々だが、この前提があるだけで意味のわかることが多い。


「……。やっぱり全部あなたが仕組んだんだね。……でも、もういいです。昼休みのことも、中学のときのことも。それに私があなたと付き合うなんてことは未来永劫絶対にありえない。私はあなたのこと、好きではないから。母さんの誤解は自分で解きます。だから本当にもう関わらないで。私の話はそれで終わりです」

 美桜は昇が喋っている間、じっと昇のことを見ていたのだ。

 そしてわかった。昇が嘘を吐いているということが。伊達に幼い頃から近くにいた訳ではない。美桜は昇が嘘を言うときの癖を知っていた。目を泳がせ、視線が下に行く。そして喉元を摩るように触る。わかりやすい態度だ。叱られたとき、言い訳を言っているときなどによく見た仕草。心の準備ができていればまた違ったのだろうが、考える時間がなく、場当たり的に話をしていた昇はそうした癖がもろに出ていた。

 そしてふざけるなとキレてからの言葉にはそれらの仕草はなかった。本音だったのだ。内容は酷すぎるものだったが。


 美桜はそんな昇を見て心を決めてしまった。最初は本当にちゃんと話がしたい、と思っていた。誤解や行き違いがあるのなら言葉にして、謝るべきところは互いに謝って。そうして今までのようにはいかなくても、蟠りはなくすことができるのではないかと思ったのだ。


 だが……。好きの反対は嫌いではなく無関心、とはよく聞く言葉だが、今の美桜の心情はまさにそれだった。だから失望なんてしない。嫌う、という感情すら湧いてこなかった。もう昇に一切の関心がない。ただただ、もう自分に関わってほしくない、それ以上は何も望まない、そんな気持ちだった。


「なっ……!?美桜?」

 美桜の間違えようのない拒絶の意思表示に昇は言葉を失くし、縋るように名前を呼ぶ。

「……………」

 何か言葉が続くのなら聴く耳はあるが、名前を呼ばれたくらいではもう美桜が応じることはない。

「……………っ、……何なんだよ……。何なんだよそれは……。それじゃあ俺はいったい今まで何のために……。なんでこんなことになるんだよ……?」

 美桜の言葉、表情、彼女のすべてから昇は心底理解してしまった。できてしまった。今の言葉が本気で、美桜が本当にそれだけを望んでいる、と。それしか望んでいない、と。

 その事実に昇は深く傷つく。

 今までの努力は何だったんだ?今日の昼休みまでは本当に自分の思い通りだったはずなのに。もう少しで美桜を自分のものにできたはずなのに。どこで狂った?


 美桜への違和感の正体は、自分に対して興味関心が薄れていた目だったのだ。そして今、昇という人間に対して完全に関心がなくなった。その他大勢、関わる気がない相手に向ける目。幼い頃から近くにいたのだ。昇にはそれがわかってしまった。

 だが、昇は勘違いしている。最初に違和感を感じた美桜の目、それは決して昇の考えているようなものではなかった。美桜は最初、ちゃんと話そうと強い決意を持っていたのだ。そんな心を強くした美桜を知らない昇にはそれすら伝わっておらず、嘘ばかりを並べ、結果、美桜を諦観させてしまった。


 昇は放心したようにその場で膝から頽れる。

(どこで間違えた?何を間違えた?)

 そんな疑問ばかり出てくるが答えはわからない。ただ、もう美桜が手に入らないという事実だけがはっきりとしてしまっている。


「水波……」

「…………」

 蓮が昇に手を差し出す。だが、昇がその手を取ることはなく、一瞥もせず、払い除けた。蓮は弾かれた手を引き、元の姿勢に戻る。


 ずっと話を見守っていた蓮は、あることに気づいていた。昇の気持ちは好きなんていう気持ちではないのかもしれない。これは執着ではないだろうか、と。美桜という個人なんて見ちゃいない。まるで自分の所有物かのように、美桜をこうあるべきと当てはめ、それを押し付けようとする。そこから外れたと感じれば、無理やり修正しようとする。それは一人の人間に対して、他人がしていいことではない。


「美桜には美桜の考えがあるんだ。水波、どうしてそれを無視するようなことばかりしたんだ……」

 美桜の気持ちを考えるとやるせなくて、蓮の表情が歪む。

「美桜の考えなんてわかってる。だから俺は―――」

 美桜のことを言われ、反射的に言い返す昇。

「わかってないからこうなったんだろう?もっと美桜の言葉を真剣に受け止めていれば……」

「っ、…………」

 わかってなかった?美桜の言葉って何のことだ?頭には色々浮かぶのに、口からは何も出なかった。その頭に浮かぶ疑問こそが蓮の言う通り、わかっていない証拠のようで、昇の表情が激しく歪む。

「もういいよ、蓮くん……。何を言ってもきっと伝わらないから……」

「っ!?」

(伝わらないってなんだよ……?それじゃあ天川の言うことが正しいって言うのか?)

「美桜……」

 美桜の中で結論は出ているのだろう。それが蓮にも伝わった。

「今日は一緒にいてくれて本当にありがとう。行こう?」

「ああ、わかった」

「さようなら、水波君」

 美桜は最後に昇に目を向け、別れを言うと、蓮と二人で公園を後にするのだった。


(俺が悪かった、のか……?美桜を自分のものにしようとしたことがダメだったのか?俺はただ……美桜のことが好きだっただけなのに……。俺は……間違っていたのか……?)

 一人残された公園で、昇は茫然とそんなことを考えていた。だが、美桜との関係は完全に終わってしまった。もう幼馴染としての関係も続けられないだろう。昇は自らを省みるきっかけを得たが、その代償はあまりに大きかった。

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