第63話 彼は本当のことを知る
放課後。帰りのホームルームが終わってすぐに蓮は一人教室を出て保健室に向かった。
ノックをして保健室に入ると養護教諭が机に座って何か書類仕事をしていたようだったが、手を止めて蓮に尋ねる。
「どうしたの?」
「あの先生、華賀さんがここで寝てると思うんですけど……」
「ああ、彼女のお見舞い?」
養護教諭は蓮が二人分の鞄を持っていることから一つは美桜の物だろうと考えた。片方には白くまの可愛らしいキーホルダーもついているし。
「ええ、まあ、そんなところです。同じクラスの天川です」
「そう。大分寝不足だったみたいでね。まだ眠ってるわ」
「そうですか……。あの、傍にいてもいいですか?」
蓮のどこか必死な様子に養護教諭は何かを感じたのかもしれない。
「…ええ。でも起こさないであげてね?」
「はい。ありがとうございます」
蓮は頭を下げる。
「私はこれから職員会議だからちょっと外すけど、起きたらそのまま帰っていいから。天川君から華賀さんにそう伝えてくれる?」
「わかりました」
養護教諭の許可を得て、蓮はカーテンで囲われた中に入っていく。
そこでは美桜が右肩を上にして横向きになって眠っていた。両手が顔の前にあり、少し布団がずれて肩が出てしまっていたのでそっと直す。次に、美桜の頬に髪がかかっていたのをそっと右手で横に流した。
そのとき、顔の前にあった美桜の右手がゆっくりとした動作で髪に触れた蓮の手を掴む。そして掴んだまま元の位置に戻した。一瞬美桜の口元に笑みが浮かんだが、蓮は気づかなかった。蓮の右手は美桜の両手に包まれるような形になってしまった。起こしてしまったかとどきりとする蓮だったが、美桜は目を瞑ったまま、息遣いも規則正しい。ほっと安堵する蓮だったが、思いの外しっかりと握られており、蓮の手を離してくれそうにない。
蓮は片手を握られた状態で、そのままベッドの横にある丸椅子に座った。美桜の顔を見ると、穏やかな寝顔をしているが、目元には涙の跡があった。蓮の顔が苦痛を感じているように歪む。
(本当によく寝てる……。寝不足だった、か……。本当にごめんな、華賀さん……)
廊下やグラウンドからは生徒達の元気な声が保健室の中まで聞こえてくるが、保健室内は静謐な空気が漂っている。
そんな中、蓮は杏里から聞いたすべてを思い出していた。
休み時間に入ってすぐ、教室を出た蓮と杏里はそのまま渡り廊下まで移動した。
「蓮。単刀直入に聞くけど、どうして美桜を避けるようになったの?」
「っ、それは……」
「言えないの?じゃあ、美桜に……、昼休みのとき、他のクラスの男子を使って、美桜に嘘の告白をさせたのは蓮?」
一瞬言い淀んだ杏里だったが、勇気を振り絞って最後まで言い切った。だが、答えを聞くのを怖がっているのか、その顔は強張っていた。
「?何の話だ?」
だが、蓮には杏里が何を言っているのかわからない。その困惑がありありと表情に出ていた。
そんな蓮の態度と言葉に、肯定されたらどうしよう、お願いだから肯定しないで、という思いでいっぱいだった杏里は一瞬ぽかんとしてしまう。
「……わからない、の?」
「?ああ。なんだよ、華賀さんに嘘の告白って」
首を傾げる蓮。
(やっぱり蓮じゃなかった。蓮は関係なかった!)
その様子に杏里は全身から力が抜けるほど安堵した。だが、そうすると美桜を避ける意味がわからない。そもそもの始まりは蓮が美桜を避けるようになったことなのだから。
「じゃあどうして美桜を避けてるの?答えて、蓮」
気合を入れ直して杏里は問う。
蓮の疑問を無視する杏里に少し苛立つ。嘘の告白なんていう不穏な言葉の説明をしてほしい。昼休み、教室に戻ってきたときの美桜を蓮も見ているのだから。その後、杏里が保健室に連れていったことを考えれば、今杏里が訊いてきている内容は美桜の様子に直結しているのだろうと容易に想像がつく。
(嘘の告白って何のことなんだ……?)
だけど、こうして拘っているということはこれも関係しているのだろう。自分が美桜を避けていたこと。なるべく感じさせないようにと思っていたが、やはり気づかれていたのか。ふぅっと息を吐いて、蓮は答えた。
「……水波に言われたんだ」
誤魔化すのは無理だと、諦めたような口調だった。自分が『他人の彼女』にちょっかいを出して彼氏に咎められた。そんなこと誰かに話したい内容ではないし、話すべきことでもないと今でも思っているが、話さないと先に進めないだろうから。
「水波、君?」
蓮の口から突然出てきた名前に今度は杏里の方が困惑する。
「ああ」
そして蓮はあの日屋上で昇から言われたことを杏里に話した。
「ま、待って、ちょっと待って。何、それ……」
すべてを聞き終えた杏里は動揺を露わにする。蓮の語る内容は杏里にとって一から十まで頷けるものではなかった。だってそうだろう。昇が蓮に言った内容はすべて嘘だ。それを杏里は知っているのだから。
「言わなかったのは悪かったと思ってるよ。けど、そういうことだから俺は―――」
「だから待ってってば!」
「杏里……?」
ここでようやく蓮は杏里の様子を不審がる。なんだか焦っているようにも見えるが、いったいどうしたというのだろうか。
「蓮、よく聞いて。私が知ってること全部話すから」
今度は蓮が呆気に取られる番だった。それほど杏里が語った内容は衝撃的だった。何よりも美桜と昇が付き合っていないというのは青天の霹靂と言っていいかもしれない。なぜならそれはすべての前提が崩れるということなのだから。
加えて、先ほど美桜が男子生徒から嘘の告白をされたが、それは賭けが目的で、蓮が主導していたとその男子生徒が暴露したと言うのだ。もちろん蓮はすぐに自分ではないと否定した。
どれもこれも嘘ばかりだ。
「美桜も、話を聞いた私も、蓮がそんなことするはずない、って自信を持って言いたかったんだよ?でも美桜を避け始めた時期からタイミングが良すぎて……」
「ああ、それはそうだろうな。そんな馬鹿げたことしたやつが自分から白状するように言ったんだし、俺だって疑うわ」
蓮は笑うしかない、とでもいうように苦笑を浮かべる。
「蓮……。蓮に言ったこととか考えると怪しいのは水波君だけど、証拠なんてないし、美桜もショックが大きすぎて嘘告した男子のことちゃんと憶えてないみたいで……」
「そっか。…状況的に俺もそう思う。本人に言っても白を切るだけだろうけどな」
「うん……」
「……けどさ、それなら俺は、いったい何のために……」
悔しそうに蓮は言う。
自分のしたことが無意味どころか美桜を傷つけただけだなんて……。
そして疑問に思う。
どうして昇はこんな嘘を?こんなの美桜か自分が誰かに話せばすぐにバレる。……もしかして話さないと思っていたのか?確かに自分は誰かに話そうとは思わなかった。もしかしたら美桜も?それを見越していたのか?でもどうしてそこまでする?
一つ、思いついたが、そんな理由でここまでのことをするものだろうか……。少なくとも自分の感性ではありえない。
「ねえ蓮、美桜とちゃんと話した方がいいと思う。誤解だってわかったんだし、美桜にそのこと直接伝えてあげて?」
「ああ、ちゃんと謝る。許してもらえるかはわからないけど……」
「……そんなの、大丈夫に決まってるじゃん!」
そう。美桜が蓮との仲直りを拒むなんてことはあり得ない。きっと美桜は……。
杏里はこのとき自分も後悔しないようにしようと決めた。
休み時間が終わり、次の授業が始まっても、それどころか帰りのホームルームが終わるまで美桜は教室に戻ってこなかった。
その時点で、杏里は美桜の荷物をまとめて、それを蓮に渡した。てっきり杏里も一緒に保健室に行くのかと思った蓮だったが、杏里は他にすることがあるらしい。
そうして、蓮は自分と美桜の荷物を持って、放課後保健室までやって来たのだ。美桜とちゃんと話して、謝るために。
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