第62話 彼女達は信じたい
美桜が教室に戻ってきたのは昼休みが残り十分といった時間だった。
心は乱れたままだが、涙が枯れたため、教室に戻ってきたようだ。ただ美桜自身、心ここにあらずで、どうやってここまで来たのかは朧気だった。
教室に入った瞬間、蓮の姿が目に入り、美桜の身体がビクッと震え、思わず足を止めてしまう。
「美桜、遅かったじゃない。もうすぐ昼休み終わっちゃうよ。何してたの?」
「杏里……」
そんな美桜のもとにすぐに杏里がやってきた。今まで雪乃と詩音の三人でお喋りをしていたようで二人も近づいてきていた。だが、美桜の顔を見て杏里は息を呑む。美桜の目元が腫れていて、顔色が蒼白と言っていいほど悪かったからだ。
「ちょっと美桜。どうしたの!?大丈夫?」
「杏里……。私、もうわからないの……。私……」
苦しそうに顔を歪める美桜。尋常でない美桜の様子に、杏里の決断は早かった。
「わかった。今はいいよ。ちょっと待っててね。雪乃、詩音」
杏里は近くにきていた二人に振り返り、簡潔にこれからのことを話す。二人はすぐに頷き、心配そうに美桜を見た。
「美桜、私と保健室行こう?」
「……うん……」
杏里に肩を支えられながら美桜は戻ってきてすぐに再び教室を後にした。
その一連の様子を蓮は自席から見ていた。見て茫然としてしまっていた。美桜の様子がおかしいことにはすぐに気づいた。美桜は大丈夫なのか、いったい何があったのか、美桜のことが気になって仕方がない。けど……。昇に言われた言葉が頭を過り、蓮は必死に心を落ち着けようとした。だがその手は力が入り過ぎて震えるほどぎゅっと強く握られていた。
一方、昇は机に肘をつき、手を組んで口元を隠しながら自席でその様子を眺めていた。隠された口元には歪な笑みが浮かんでいた。
杏里と美桜が保健室に着くと、養護教諭は不在で保健室には誰もいなかった。
「先生いないけど、美桜は少しベッドで横になって。ね?」
「うん……」
杏里はとりあえず美桜をベッドに連れていき、横にさせた。美桜は素直にベッドに入る。
「先生が来たら私から説明しておくから美桜は少し眠ったら?」
「…………」
黙ったまま美桜の目が潤んでいく。
「美桜?」
「……ねえ、杏里。話、聞いてもらっても、いいかな?」
普段の美桜なら蓮を貶めることになってしまうようなことは絶対に言わないだろう。だから避けられていると感じても杏里達に何も話さなかった。自分が悪い、とそういう方向にばかり考えがいっていた。今でも全部話していいのか迷いがある。蓮を悪く言うことになってしまうかもしれない。けれど今の美桜はもう一人で抱えることができなかった。それほど心が疲弊していた。
そしてこれは昇にとっても誤算だった。美桜には今まで友達なんていなかった。当然相談をするような相手も。だから杏里達と親しくなったことを知っていても、美桜が誰かに相談する、なんて自分を除けばいないと思い込んでしまったのだ。
「うん、もちろん。私でよければ」
縋るような目で見つめてくる美桜に、杏里は真剣な表情で頷いた。
「ありがとう……」
美桜の目から一筋の涙が流れ枕に小さなシミを作った。
美桜が語った内容は杏里が気づいていたものもそうでないものもあった。
「六月になってすぐの頃からね。天川君から避けられてる感じがしてて……。全然話もできなくなちゃって……」
「うん。それは私も感じてた。柊平も気づいてて、蓮に問い質そうかと思ったんだけど、柊平に下手に出しゃばったら拗れるかもしれないからって言われて、何もできなかったの。ごめん、美桜」
「そうだったんだ……。ううん、杏里の謝るようなことじゃないよ。それまではね、放課後天川君に球技大会の練習付き合ってもらってたの。すごく丁寧に教えてくれて…私嬉しかった」
「っ、……そんなことがあったんだ」
杏里は複雑な感情を抱いたが、今は美桜の話を聴かなければと抑え込んだ。
「うん。でもそれも六月になってすぐ、メッセージが送られてきて、バイトが忙しいからもう一緒に練習はできないって。そのときは無理しないでね、って思ったの。今まで付き合ってくれてありがとう、って。でもね、それからすぐ避けられるようになって……」
「そうだったんだ……」
「理由をたくさん考えたの。嫌われるようなことをしちゃったのか、とか怒らせるようなことをしちゃったのか、とか。もしそうなら謝りたいと思った。でもわからなくて……。そんなことばかり考えてたら最近は眠れなくなっちゃって……」
「美桜……」
今の顔色の悪さは睡眠不足もあるようだ。美桜の気持ちを考えると痛々しかった。
そして先ほどの出来事。話すのも辛そうだったが、美桜はすべて杏里に話した。その内容は杏里にとっても衝撃的なものだった。
「まさか……。蓮がそんなこと……」
話の途中で見せてもらった、今朝美桜の下駄箱に入っていたというメモを握りながら杏里の心はざわついていた。蓮が人の気持ちを弄ぶようなことをするなんて信じられない。
「私も信じたくない。でも……」
「そう、だよね……」
今回嘘告をしてきた男子生徒が説明した内容が問題だ。杏里は元気なく相づちを打つことしかできない。
「私、もう訳がわからなくて……。……私ね、中学のときもこんなことされたの」
「え?」
「嘘の告白をされて、私の返事が何かで賭けをされてたの。派手な遊びをしてるような男子グループでね。だから私はそういう男子が特に苦手になった」
「そんな……」
そんなふざけたことの対象に美桜は二度もされたというのか。
「天川君のこと最初はそういう男子だって勝手に思い込んでたの。チャラチャラした男子だって。でも全然違うって、そういう人じゃないってわかって、それどころかすごく優しくて。……でも、それは全部、嘘、だったのかな?」
嘘であってほしくない、杏里を見つめる美桜からはそんな想いが溢れていた。
蓮の優しさが嘘?そんな訳ない。そんなことあるはず、ない。何かがおかしい。これは何か変だ。あの蓮の優しさが偽物だなんて杏里にはどうしても思えなかった。
「そんなことないよ。嘘だなんてことあるはずない」
言葉にしたことで杏里の気持ちが固まった。
「うん、そうだよ。ねえ、美桜。私が直接蓮に聞いてみてもいい?」
「え?」
「信じたいのに信じきれないから美桜は苦しいんだよね?」
「っ、……うん」
「私にも美桜の気持ちわかるつもりだよ。もし私が同じ立場だったらすごく苦しくて辛いから」
そう。だからこれは杏里自身のためでもあるのかもしれない。
「杏里……」
「だからはっきりさせた方がいいと思うの。蓮がそんなことしてるなんて私も信じられない。…でも、もし蓮が本当にしてたら私が引っ叩いてやるから!」
最後、杏里は欠片もその可能性はないとでも言うように明るく言った。
「……ありがとう杏里」
杏里のその気持ちが伝わったのか、美桜がようやく、本当に小さくだが、笑みを浮かべた。
「美桜は少し眠った方がいいよ。寝不足だと心も疲れちゃって良くない方にばかり考えちゃうってこともあるからさ」
「うん……。杏里に聴いてもらえて少しだけ気持ちが楽になったよ。ごめんね、こんな話……」
「何言ってんの!話してくれて嬉しかったよ。今は兎に角ゆっくり休んで。考えるのはそれから。ね?」
「うん……。ありがとう……」
そのまま美桜は目を閉じた。少しして息遣いも規則正しいものになる。どうやらちゃんと寝てくれたようだ。杏里はほっと安堵の息を吐いた。
さらにしばらくして養護教諭が来たため、杏里が事情を説明する。
「わかったわ。後は私が見てるからあなたは教室に戻りなさい?もう授業始まってるわよ」
「はい。よろしくお願いします」
美桜にはあまりにも漠然とした感覚だったため黙っていたが、何だか気持ち悪いものを杏里は感じていた。誰かが蓮を嵌めようとしているような……。そして美桜との関係を壊そうとしているような。
杏里は授業の途中に教室へと戻った。教師には雪乃達が事情を話してくれていたようで特に何も言われなかった。
そして授業が終わり、休み時間になってすぐ、杏里は蓮のところに行った。
「蓮、大事な話があるからついてきて」
その顔は真剣そのもので拒否は許さないとでも言うような迫力があった。
「…わかった」
こうして二人は教室から出て行った。
それを近くで見ていた柊平は、はぁっとため息を吐くのだった。
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