第54話 二人きりの練習、そして個人面談が始まった

 これまでは校舎の壁、周囲に窓がない一角に向かってボールを蹴ってそれをトラップする、という練習をしていたと言う美桜。実際に一度やってみてもらい、蓮はその様子を見守った。

 その結果。

 壁に向かって蹴ったはずのボールが真横に飛んでいく。

 トラップしようとしてボールに触れもせずトンネルする。

 などなど、中々の状況だった。

 が、見ていてわかった。運動神経がどうこうということではなく、単に足でボールを操るということに慣れていないのだろう。そして一番の問題点は――――。

「華賀さん、ボールを蹴るときもトラップするときも最後までボールを見るようにした方がいいかな」

「?見てるつもりだけど……」

「基本はちゃんと見てるんだけど、蹴る直前は壁の方見てるし、トラップのときも最後までは追ってなかったよ。まあ、試合中とかあんまりボールに目を向けすぎるのは周囲を見れなくなるからよくないこともあるんだけど、それは慣れてからかな。たぶんそれだけで大分できるようになる、と思う」

「わかった!」

 一度大きく頷く美桜。それから蓮が見本を見せながら説明していく。

「トラップはボールに対して垂直な面を作ることを意識した方がいいかな。後はボールに触れるときに少しだけ足を引くとボールの勢いを吸収できるから」

 パスについても、軸足の位置、膝の角度、ボールの蹴る位置の説明をしていく。

 美桜は蓮の動きをじっと見つめながらそれらの説明を一生懸命聴いて、真剣な表情でうんうんと頷いていた。

 蓮は横目でそんな美桜の様子を見て、思わず口元に笑みが浮かぶ。美桜は本当に頑張り屋だと思う。やるからには仮に今日だけでは難しくてもなんとかできるようにしてあげたい、と蓮はあらためて思った。


「って感じだけど、言葉だけじゃあれだから壁にじゃなくて実際に俺とパス交換しようか?」

「うん!」

 蓮の提案に美桜は元気よく返事をする。それから二人は早速パス交換を始めた。

「パスを出す前に一度俺の方を見て、俺の足元を狙って蹴ってみて」

「蹴った後の振りぬいた足はパスを出す相手の方を向けるように」

「そうそう、その調子。慣れてきたらもっと強く蹴っても大丈夫だから」

「今の感じいいね。トラップのときは次にボールを蹴りやすいところに置くことも意識するといいかも」

 時折蓮から指導を受けたり、褒められたりしながら美桜は真剣にボールを止めて、蹴ってを繰り返す。時々、明後日の方向にボールが飛んでいったり、腰の辺りの高さにボールが浮いたりしてしまったが、蓮がしっかりとフォローした。そんな不規則なボールを軽々と綺麗にトラップする蓮に、美桜は謝りながらも若干見惚れていた。また、美桜はトラップをミスしても一生懸命転がっていくボールを追いかけ再び蓮にパスを出した。蓮はボールをトラップしながらそんな美桜の姿を見て、微笑ましく思うとともに不覚にも可愛らしいなと思ってしまい、慌ててその思いを振り払うのだった。

 そんな風にパス交換をしていたらあっという間に時間は過ぎていき、蓮の個人面談の時間が近づいてきた。この三十分足らずの練習でも最初に比べれば少しは上達したと思う。止まった状態でなら大分できるようになったのではないだろうか。やはり美桜は慣れていないだけだったようだ。少しでも成果があったように思えて、蓮はそっと安堵した。


「ごめん。そろそろ俺教室に行かないと」

「うん。今日は本当にありがとう、天川君」

 美桜は充実感を滲ませながらお礼を言う。

「いや、全然。華賀さんはこの後どうする?もう帰る?」

「私は……」

 言おうか言うまいか美桜は迷った。この後、一人でただ練習を続ける、というのは何だか気乗りしなかった。かと言ってすぐ帰るというのも今の気分とは違う。ではどうしたいのか。この後のことで、自分が何を求めているのか本当は美桜自身ちゃんとわかっている。それを蓮に伝えてしまうことに迷っているだけで……。

 けれど最終的には伝えることを美桜は選んだ。今の美桜は選ぶことができた。

「……、ここで練習してようと思うんだけど…いい、かな?」

 ただその表情や声音は少し不安そうだ。

「…わかった。それじゃあ終わったらすぐにここに戻って来るから」

 蓮は美桜の言いたいことがわかったのか、一度驚いたように目を大きくしたが、すぐににこやかな表情になり言葉を返した。

「うん。待ってる」

 蓮の言葉に美桜は心臓がトクンと高鳴り、その表情は微笑みに変わっていた。


 蓮が教室に行くとすでに扉は開いていた。

「天川、ちょっと早いけどよければ始めようか」

 蓮の姿を捉えた担任が中から声をかける。どうやら前の生徒は早めに終わったようだ。

「はい、失礼します」

 蓮が教室に入り扉を閉めると、担任が自分の座る正面を指し示す。

 中央一番前の席が反対向きになっており、その席に担任が座り、その一つ後ろの席に蓮が座る形だ。

 早速個人面談が始まった。

 担任が蓮の進路希望調査票を見ながら尋ねる。


「天川は…、第一希望国立大学、か。それも最難関の。第二以下も内部じゃなくて外部、と。学部は全部文学部。確か一年の頃からずっとこうだったよな?」

 調査票にはどれも明政よりも難関大学か、同等レベルの大学が並んでいる。それは一年の頃から変えていない。担任が知っているということは、過去の進路希望調査票もちゃんと確認していたようだ。

「はい、そうです」

「…なあ、天川。今までも同じこと訊かれたかもしれないけど、教えてほしい。折角って言うのも変だが、付属に入ってきたのにどうして明政の文学部じゃ駄目なんだ?」

 それはこれまでの担任にも言われた言葉。何ならこれまでは文理選択前ということもあり、内部進学を希望していないことだけじゃなくて、文学部ってところにも散々言われた。蓮の進路希望を知っても、理系を勧められたくらいだ。まあそれだけ理数系の成績が良かったからなのだが……。だから蓮は言い淀むことなく答える。

「よりレベルの高いところに行きたいと思いまして」

「けど、中には明政と同じくらいの偏差値の大学もあるが?」

「受けたい授業とか色々調べたらそうなったってだけです」

「明政にはない、ってことか?」

「調べた限りでは」

 蓮はこの面談ももう終わりかな、とそんなことを思う。今言ったのは建前だが、ここまで言えば、もう大丈夫だろう。今までもこれで担任は引き下がってくれていた。……けれど、今回は違った。

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