第53話 彼女がここに来た理由

「どうしたの?こんなところで」

「ん?ああ、個人面談まで時間があるからさ、ここで時間潰してたんだ」

 美桜の姿を見た瞬間から蓮の鼓動が速く煩い。さっきまで考えていた相手が突然目の前に現れたのだからそれも仕方がないことだろう。なんとか平静を装って答える蓮。

「そうなんだ」

 一方、返事をしながら美桜はどうしようかと考える。こんなところに蓮がいるだなんて思ってもいなかった。

「…華賀さんこそどうしたんだ?そんなもの持ってこんなところに」

 美桜がこんなところに来たことも不思議だが、もっと不思議なのはなぜかサッカーボール―――—いや、サッカーボールよりも小さいため、フットサル用のボールだろうか、を持っていることだ。

 そんな疑問が頭の中に広がったことで落ち着くことができた。

「あ、えっとね、ちょっと練習しようと思って。部活動で体育倉庫開いてたから体育の先生に話して借りてきたの」

「練習って、球技大会の?」

「うん。男子も同じだと思うんだけど、体育の授業でね、球技大会の練習をしたんだけど、私どうしてもまっすぐボールを蹴れなくて……。後、トラップ?も上手くできなくて。皆はちゃんとできてたから私も皆の迷惑にならないようにそれくらいはできるようになりたいなって」

 球技大会までの期間、体育の授業はそれぞれの種目を練習することになっている。二クラス合同での授業のため、ゲーム形式で練習ができる、という訳だ。

「そっか。頑張ってるんだ」

「全然!頑張ってるなんて言えないよ。昔からそうなの。私いつもできるようになるのが人より遅いんだ。だからいっぱい練習したり、勉強ならいっぱい復習したり、そうしないとできるようにならないから……。今回もね―――」


 美桜は自嘲するような笑みを浮かべると、詳しく教えてくれた。初めての練習のときに皆ができていたことが自分にはできなかったらしい。実は美桜だけ体育でもサッカーをやったことがなかったそうで、このとき皆に言い出せなかったことを謝って正直にそのことを伝えたそうだ。他のメンバーは気にしなくていい、すぐにできるようになるとフォローしてくれたし、つばきがコツなどを教えてくれたらしいのだが、美桜はできるだけ早く自分もできるようになりたいと思った。それからこうして練習しているのだとか。と言っても、帰りが遅くなる訳にもいかないため一時間くらいらしいが。美桜は少ない時間だと思っているようで苦笑したが、蓮からすればすごいことだと思う。体育で球技大会の練習が始まったのは月曜日だ。つまり、一人で練習を始めてもう三日目ということになる。


「……それを頑張ってるって言うんだと俺は思うけどな」

 蓮は感嘆した気持ちを素直に言葉にする。

「っ、ふふっ、ありがとう、天川君」

 本当にいつも蓮は自分のことを肯定してくれる。


 美桜は幼い頃からずっと志保に言われ続けてきた。

「どうしてこんなこともできないの」「もっと頑張りなさい」「できるまで努力しなさい」

 同級生、主に昇を引き合いに出されることも多かった。できなければどれだけ美桜が頑張ったかは関係がなかった。

 その後は決まって同じ言葉。

「美桜はやればできる子なんだから」「お母さんちゃんとわかってるから」

 だから志保の期待に応えられるように美桜は一生懸命努力してきた。できなければ頑張りが足りないと叱られるから。

 そうして時間がかかってでもできるようになれば志保は褒めてくれたが、最後にはこう続く。

「ほら、お母さんの言った通りでしょう?」「だからもっと頑張りましょうね?」

 美桜は、志保に『頑張っている』こと自体を褒められたことはほとんど記憶にない。


「いや……それじゃあ俺がいたらやりにくいだろうし俺は別のところに行くよ」

 感想を言っただけでお礼を言われてしまった蓮は、何と言っていいかわからず、言葉を濁すと、ベンチから立ち上がり、その場から去ろうとする。

「あっ、待って!」

 それを美桜が慌てたように止める。

「ん?」

「あの、えっとね、あの……」

 思わず引き留めてしまった。こんな風に偶然蓮に会えて、やっぱり蓮とのお喋りは楽しくて嬉しくて、もう少し蓮と話していたくて、話せなくても一緒にいたくて……。

(どうしよう……、どうしたら……)

 焦りばかりが増し、言葉が続かず、美桜の目が泳ぐ。今のこの状況、そして以前聞いた話から、蓮にお願いしたいことはある。けど迷惑だと思われるかもしれない、嫌な顔をされるかもしれない。そう考えると言葉にするのが躊躇われる。

「ゆっくりでいいよ。どうした?」

 言葉が見つからないのか、言い淀んでいるのかはわからないが、言いたいことがあることはわかったため、蓮は笑みを浮かべて促した。

(っ、頑張れ私!頑張れ!)

 蓮からも勇気を貰った美桜は自分を奮い立たせた。

「うん、ありがとう。…あのね、もしよかったらなんだけど、教えてもらえないかな、って」

 手に持ったボールを少し前に出すようにして美桜は言った。

「え?」

 美桜のお願いに蓮は目を大きくする。

「天川君、すごく上手だってこの前聞いたから。ダメ、かな?……あ、もちろん迷惑だったら断ってくれて全然……」

 蓮の反応が芳しくないと感じ、美桜の言葉は尻すぼみになっていく。

(ああ、そうか……)

 日葵が美桜達の前で言ったことを思い出し、蓮は美桜がどうしてこんなことを言い出したのかその理由に納得した。

「…………」

「えっと……天川、君?」

 返事がない蓮に対し不安そうに名前を呼ぶ美桜。蓮はその呼びかけで意識をこの会話に戻した。美桜を放って考え事なんて失礼だったと反省する。

「ごめん、ちょっと考え事してた。…俺でよければいいよ」

「っ、ありがとう!」

 美桜の表情がぱあっと明るくなったのが蓮にもわかった。本当に美桜は表情豊かになってきている。


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