第49話 彼と彼女の関係に亀裂が入る

「なんでって、そんなのはおばさんに自分で訊いてくれよ」

 自分から話しかけておきながら美桜の疑問に答える気はないようで、昇は投げやりな態度で吐き捨てるように言った。

「そう……、わかった……」

 モヤモヤとしたものを感じる美桜だったが、この話題をこれ以上食い下がることはしなかった。

「ふん。それじゃ」

 昇は美桜から離れて行こうとする。

「あっ、ちょっと待って」

 そこに美桜が声をかけ、昇の足が止まり美桜に振り返る。

「何だよ?」

「どうしても昇君に確認したいことがあるんだけど」

「だから何?」

 心底面倒くさそうに昇が言う。そんな昇の態度に気圧された美桜だが、耐えるように胸元で手をぎゅっと握り勇気を出して何とか言葉を続けた。

「……昇君は学校での噂知ってるよね?私と、昇君の」

「っ!?」

 全く予期していない問いだったのか、昇が目を大きくして固まる。だが美桜が何について言っているのかはしっかりと理解していた。

「今までいろんな人から本当か訊かれたんだよね?どうして否定しなかったの?」

「……何だよそれ。さっきから一方的に何言ってんだよ?」

 昇の目は泳ぎ、手を無意味に動かすなど落ち着きがなくなる。声もどこか弱弱しい。

「お願い、答えて」

 美桜は真剣な目で昇を見つめ言葉を重ねた。

「そんなの……」

「そんなの?」

「……そんなの美桜のために決まってるだろう!?そう思われてた方が美桜のためになるから!だから俺は!」

 まるで理由を見つけた、というように昇は声を大きくする。

「っ、……私のため?」

「ああ、そうだよ。それ以外に何があるんだよ!?ちょっと考えればわかるだろ。誰に何を吹き込まれたか知らないけど、今までの美桜なら考えられなかったな。人の親切心を疑うなんて」

 昇の顔が美桜を蔑むように歪む。

「……周りの人に私達が付き合ってるなんて勘違いさせることのどこが私のためになるって言うの?」

 それでも美桜はこのことに関しては簡単に引き下がらなかった。

「別に俺が勘違いさせてる訳じゃない。あいつらが勝手にそう思い込んでるだけだ」

「けど、昇君は否定しないんでしょう?そんなの肯定してるようなものだって私でもわかるよ。私達付き合ってなんかないし、ただの幼馴染だよね?なのにどうして否定しないの?」

 美桜は非難するような目を昇に向ける。

「っ、だから美桜のためだって言ってる。俺が否定しないおかげで、他の奴らは俺達が付き合ってるって思い込んだ。だから今まで美桜は平穏に過ごせてきたんだろう?感謝されこそすれ、こんな風に責められるように言われるなんて心外だ」

 美桜のただの幼馴染という言葉に昇は激しく心を揺さぶられる。そんなはずはない。そんなはずはないのだ。ずっと一緒にいて、親公認のような形にもなっていて。美桜だってその状況をわかっていて何も言わなかった。つまりは受け入れていたということだ。だから自然と周囲の勘違いは真実になるはずだったのに。それがここに来てこんなことを言うなんて。やっぱり最近美桜はおかしくなった。良くない方向に変わってしまったように思う。その原因は―――?

「平穏に、って何?」

 自分が必死に考えているというのに、疑いの眼差しを向ける美桜に昇はカッとなる。

「だから、中学のときみたいに、ウソ告されて、それを賭けの対象にされて、そうしてまた傷つきたいのかってことだよ!」

 だから美桜が抱える一番のトラウマ、美桜が言われて一番傷つくだろうことに触れた。言って昇自身実感する。そうだ。自分はそんな風に美桜が再び傷つくことがないように守っていたのだ。美桜は美人でスタイルもいい。表情が乏しく人付き合いが下手な彼女だが、それでもと考える男はいるだろう。そんな彼女に変な男が近づかないようにしてやっていたのに。それなのにその事実にも気づかずに自分を責めるなんてありえない。こんなに美桜のことを考えてやっているのに当の本人がそれに気づかないのは自分への裏切りではないか。だが、ここまで言えば気づくだろう。自分がどれほど美桜のことを考えてあげているか。これで元の美桜に戻るに違いない。昇は自身の中で次々とそんな理屈を構築していく。

「っ!?」

「わかったか?だから俺は―――」

「どうして?……どうして昇君が賭けなんて、そんなことまで知ってるの?」

 自信を持って言い切ろうとした昇の言葉を美桜が遮る。胸元で握っていた美桜の手に力が籠もる。胸がズキズキと痛い。同級生の男子に嘘の告白をされて笑いものにされた、そのことは昇が何度も聞いてきたので本当は誰にも話したくなんてなかったけど仕方なく答えた。きっと自分が暗く沈んでるように見えたせいで心配をかけてしまったのだと思ったから。けれどその嘘の告白に対して自分がどう答えるかが男子達数人による賭けの対象だった、なんてことまで言った覚えはない。

「っ、あ、ああ。それはあいつらが言いふらしてたのを聞いたんだよ。美桜はそんなことになってるって知らなかったみたいだけどな」

 焦ったように言葉を続ける昇。

「……本当に?」

 そんな昇の態度を見て、美桜の瞳には昇への不信が色濃く映っていた。その目が昇の神経を逆なでする。

「なんで……、なんで俺の言うことが信じられないんだよ!?否定しようとするんだよ!?美桜はそういう人間じゃないだろ?高頭達と付き合うようになってやっぱりおかしくなったんじゃないのか?だから俺は美桜のことを思ってあんな奴らと関わるのはやめとけって言ったんだよ」

 自分の言うことを素直に聞き入れようとしない美桜に苛立ちが募る。美桜が自分の言うことをこんなに否定するなんて今までありえなかったというのに。やはり美桜はおかしくなった。だからその原因を取り除くべく言及した。美桜は早く自分の言う通りにすべきなのだ。元の美桜に戻るべきなのだ。


 一方、美桜の心は急速に冷えていっていた。同じだと感じたのだ。志保と昇は。言葉では美桜のことを考えている、美桜のため、と言うが、美桜のことなんて全く見ていないのではないか、そう思わずにはいられない。彼らの思い描く『華賀美桜』から外れた自分はおかしい存在で、認められない存在で……。だから今の美桜を否定するのではないか、と。

 そのことを今の美桜は理解できてしまった。自分に寄り添ってくれている、自分を見てくれている、自分のことを考えてくれている、相手がそう言うのではなく、自分自身がそんな風に感じる人と出会えたから。

「……もういい」

 美桜が諦めたように言う。結局、自分の疑問には美桜のためという言葉しか返ってこない。志保との言い合いを経験したからか、これ以上話してもこちらの言いたいことが伝わらないということもわかってしまう。

「何?」

 その態度が昇をさらにイラっとさせる。

「……もうわかったから。けど私はそんな誤解されたくないの。だからもうと一緒に登校はしない。あなたの家に行ったりもしない。母さんがあなたを家に呼ぶのも止めてもらう。もし止めてもらえなくてもその場に私はいないようにするから」

 だから美桜はわかってもらおうとするのではなく、しっかりと自分の意見を言うことにした。疑問に思いながらも、内心では抵抗があっても、何でも言うことを聞いていた今までの美桜とは違う。

「は?」

 昇は何を言われたのかわからないというように、間の抜けた表情を晒すが、美桜はそれじゃあ、と自分から会話を切り上げ、家に向かって歩き出した。そんな美桜を昇は呆然と見送ることしかできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る