第45話 彼女は看過できない

 美桜が小説を書き始めたのは中学生になってスマホを与えられてしばらく経った頃だった。当時から友達はおらず、スマホを持っている意味なんて全然なかった美桜だが、そんなとき小説投稿サイトに出会った。それは本当に偶然だった。最初は人の作品を読んでいたが、いつしか自分で書きたいと思うようになって誰にも内緒で書き始めた。それも当然の流れだったのだろう。なぜなら、昔から本が好きだった美桜は小学生のときに将来は作家さんになりたいと志保に言ったことで怒られているのだから。以来、その夢は一度も口にすることはなく、だからこそ、本当に誰にも教えない趣味として始めたのだ。

 けれどいざ始めてみるとすぐに美桜は熱中していった。元々やりたかったことであるし、物語の登場人物達が自分の意思で動く姿を描くことで美桜は気づかないうちに溜め込んでいた鬱屈した思いを発散することができたからだ。


 ただそれは何もいいことばかりではない。物語を書くことがストレスの発散になってしまったために、美桜は耐えることができてしまい、その結果が志保達の言うことをすべて聞き入れてしまうことに繋がっていた。


 そんな美桜に転機が訪れる。それが蓮達との出会いだ。彼らと関わるようになって美桜は、自分のことは自分で考えて決めていくんだと考えるようになったのだった。


 そして看過できない事態が起こる。

 数日後に中間テストが始まるというこの日、いつものように勉強会を終えて、適度な疲労感を覚えながらも今日も楽しかったと充実感を感じて帰宅した美桜は着替えのためそのまま部屋に行こうとしたところを志保に呼び止められた。

「美桜、あなた最近毎日帰りが遅いけど何してるの?」

「もうすぐ中間テストだから友達と一緒に勉強してるの」

「友達と?」

 美桜の答えに志保は怪訝な表情になる。

「そうだけど?」

「…それは本当に勉強なの?」

「え?」

 志保の言っていることが美桜には理解できなかった。

「その友達と遊んでるだけなんじゃないの?」

 が、続けられた言葉に美桜は体温がカッと上がるのを感じた。事実として、毎日皆でちゃんと勉強しているからだ。

「そんなことない!みんなで一生懸命勉強してるよ?どうしてそんなこと言うの?」

 美桜は必死に訴えるが、志保の表情は変わらない。

「ねえ美桜、あなた今がどれだけ大切なときかわかってるの?法学部に進学するために成績を上げていかなきゃいけないのよ?それなのに友達とみんなでだなんて。勉強は一人でするものでしょう?……もしかしてその友達ってじゃないでしょうね?」

「っ!?なんでそんなこと言うの!?」

「だって美桜、三年生になってからあなたちょっと様子が変よ?今までそんなことなかったじゃない。だから私は美桜のことを心配して言ってるの。私の言うこと美桜ならわかってくれるでしょう?」

「わからないよ。母さんの言ってること私にはわからない!」

「美桜?本当にどうしちゃったのよ?あなたはそんなこと言う子じゃなかったでしょう?」

「今までがおかしかったんだよ。最近私はそのことにようやく気づいたの」

「何を言ってるの?おかしいのは今の美桜でしょう?…やっぱり良くない人達と付き合ってるんじゃないでしょうね?」

「っ、また!どうしてそんな酷いこと言うの!?」

「そんな人達と付き合うのはやめなさい。これは美桜のためを思って言ってるの。いい?美桜。友達は選ばなきゃ駄目よ?一緒に勉強する相手が欲しいなら昇君にお願いすればいいじゃない」

「っ、みんないい人達だよ!それにどうしてそこで昇君の名前が出てくるの!?今の話に昇君は関係ないでしょ?」

「昇君のことまでそんな言い方するなんて……。ちょっと落ち着きなさい。今の美桜は感情的になり過ぎてるのよ。お母さんは美桜のために言ってあげてるの。それなのに言うことが聞けないの?違うわよね?」

「……私のため、私のためって母さんは言うけど、友達のこと悪く言うことが本当に私のためなの?」

「当たり前じゃない。人付き合いは大切よ?今の美桜を見てると私には変なことを吹き込まれてるようにしか見えないわ」

「もういい。これ以上私の友達のこと悪く言うなんていくら母さんでも許さないから!」

 美桜は耐えきれなくなり、二階にある自分の部屋へと駆け上がっていく。

「あっ、ちょっと美桜!待ちなさい!まだ話は終わってないわよ!?」


 部屋に入った美桜はドアを閉めるとその場に頽れてしまう。志保に全くわかってもらえなかった。それが悔しくて悲しくて涙が止まらない。どうして蓮達のことを知りもしないであんなに酷いことを言うのか、どうして、どうしてと頭の中では同じことばかりがぐるぐると繰り返される。胸の辺りがぎゅっと絞られるように痛む。自分だけで抱えているには苦し過ぎる。そしてまた涙が後から後から出てくる。美桜にはどうしたらいいのかわからなかった。

 結局、美桜は着替えもせず、夕食も食べず、お風呂にも入らず、ずっと部屋に入ったとき頽れた状態のまま時刻は夜九時を過ぎていた。

 あんなに出ていた涙も今は止まっている。膝を抱えてぼんやりと座ったままの美桜は思考に耽っているようにも何も考えていないようにも見える。

 そんなときだ。美桜のスマホにメッセージが届いたのは。振動に気づいた美桜は緩慢な動作でスマホを手にし、メッセージアプリを開く。相手は蓮だった。


『今日は質問に答えられなくてごめん。俺もまだまだだなって実感した。あの後調べてわかったから送るな』

 アプリにはそんなメッセージとともにノートの写真が送られてきていた。

 それを見て涸れていた涙が再び美桜の頬を伝う。だが、それは先ほどまでの涙とは違うものだ。その証拠に美桜の口元は小さな笑みを形作っていた。そして徐に通話をタップするのだった。

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