第43話 彼女が胸に抱いた希望
「え?」
突然柊平に言われたことに対し、美桜は目を大きくするだけで言葉が出てこない。
そんな美桜を見て、自分の発言は唐突だったかと柊平は眼鏡に片手を当てながら苦笑する。どう言ったらいいものか……。
「あ~と、さっきみたいなやり取りがあればさ、気になるのはわかるんだけど……。なんて言うか、人には触れられたくないことってあると思うんだよ。心の奥に仕舞ってるっていうか。それは何も大切だからとかっていういい意味の理由とは限らなくて、これ以上傷つかないようにとかこれ以上傷が酷くならないようにとか色々あると思うんだ。…華賀にもそういうことってないか?」
「それは……」
自分にだって、ある。自分の心の奥深く、これ以上傷つきたくなくて、傷つけられたくなくて、仕舞い込んだ想い。けれど一度傷を負って隠したその部分は隠したからといって治る訳ではなくて、誰に気づかれることもなく今もじくじくと血を流しているようで……。
「変な言い方かもしれないけど、そういう傷も含めて全部受け止めるつもりなら踏み込んでいくのもありなのかもしれない。蓮がそれを求めるかはわかんないけど。けど、そうじゃないならやっぱやめてやってほしいんだ。多分蓮も誤魔化すだけだと思うしさ。そういうことあんまさせたくないっていうか」
自分の心の奥深くに仕舞い込んで触れてほしくないことに、踏み込まれることはもちろん、誤魔化すことでも人は傷つくから。言葉にはしなかったが、それが柊平の本心だった。
それにもう一つ、中学のときの蓮には傷がある。それは本当に偶然が重なって柊平が知ってしまったことだ。
「はい……そうですね……」
美桜は肩を落とししゅんとなってしまう。柊平の言っていることがわからない訳じゃないし、美桜の頭には蓮の反応が思い出されていた。
「まあ、今言ったことだって俺が勝手に言ってることだから話半分に聞いてくれれば―――」
「いえ、日下君の言うこと、わかりますから……」
想像以上に美桜が重く受け止めてしまったようで、柊平はどうしたものかと頭に手をやり一度息を吐いた。
「……柊平ってやっぱり蓮のこと色々知ってるよね?」
するとそこで杏里が若干呆れの目を柊平に向けて言った。
「本人からちゃんと聞いたって訳じゃないぞ?」
「あんた察しがいいもんね~」
「…そう言う杏里は察しが悪いもんな?」
柊平は意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「む~、なんだとー!」
頬を膨らませ、ジト目で柊平を睨む杏里。ただもともとたれ目気味の杏里がやっても全く怒ってるようには見えない。それにそもそも杏里自身本気ではなさそうだ。
「はははっ、悪い、悪い。冗談だ」
二人のコミカルなやり取りでその場の空気が和らぐ。
「柊平は本当意地悪な言い方ばっかりするんだから。美桜も柊平の言うことそんなに気にしない方がいいよ?」
「うん…、ありがとう、杏里」
杏里の気遣うような言葉に美桜の表情も和らぐのだった。
それから美桜は駅で杏里達と別れ、一人、二人とは反対の電車に乗り家に帰った。
美桜は部屋で一人、眠る前のようやく落ち着ける時間に、駅までの道のりで柊平に言われた言葉について考えていた。
今回のことと少しズレるかもしれないが、言葉にしなければ伝わらない、とよく言われる言葉がある。けれど、美桜はそれがすべてにおいて正しいことだとは思っていない。確かに言葉にしないと伝わらないことは多くある。けれど言ったところで相手に伝わるものでもない。それに、人は嘘を吐くことができるのだ。真面目な顔をしているからといって本心を言っているとは限らない。だからその言葉が本当だと確信が持てるほど……、いや違う……、自分自身がその言葉を信じられるほど相手のことを、そして相手も自分なら本当の想いを受け止めてくれると互いに信頼していないと成立しない言葉だと思っている。
柊平が言ったことはこれと同じではないかと美桜は思ったのだ。
自分は蓮とそんな関係になりたいのだろうか……。考えれば考えるほど、そうなりたいと望む自分がいることを自覚してしまう。
「~~~~~っ」
なんだろうこの不思議な感覚は。嫌じゃないんだけど少し息苦しいような、それがまた甘美なような。
自分のことを本当に気遣ってくれていると感じる優しい言葉、優しい表情、優しい態度。以前、「俺は優しくなんかないよ」と言ったときに見せた自虐的な苦い笑み。先ほどの冷ややかな表情。蓮の優しさの裏にいったい何があるのか、気になって仕方がない。
美桜は自分の意思を伝えるのが苦手だ。意志を貫くのも苦手だ。ずっと志保の言う通りに、多くのことを決められた通りにしてきたら自然とそうなってしまっていた。昇と話すときも何を言っているのか全然わからないのに愛想笑いを浮かべて相づちを打って無難に済ませようとしている。
なぜなら否定されるのが怖いから。否定されれば傷ついてしまうから。でもそんな自分にずっと違和感はあったのだ。ただ見て見ぬふりをしていただけで。
けれど、蓮相手のときの自分はどうだろうか。気づけば醜い部分も含めて本音をぶつけていた。どうしてあんなことができたのか自分でもわからない。止め方もわからなかった。けれどそれをすべて蓮は受け止めてくれた。勉強会への参加も自分がしたいと思ったことだ。もっと言えば、自分が心の中で助けてと叫んだあのときに蓮だけが応えてくれて、それから自分は少しずつ苦手なことができるようになってきている気がする。蓮相手だと否定される怖さを他の人ほど感じていなかったのだ。そしてそれは杏里など少しずつ範囲を広げていて。おかげで球技大会は杏里と同じ種目に出る約束もできた。
それに電車での痴漢を恐れる気持ちが今これほど小さく済んでいるのも蓮がずっと一緒に帰ってくれていたことがとても大きい。
蓮のしてくれたことはそういうことなのではないだろうか。心の奥の傷つきやすく柔らかいところ。そこに踏み込むのではなく、いつも優しく包み込むように触れてくれていた気がする。それはまるで傷ついたところにそっと包帯を巻いてくれるように。だから自分は蓮の前ではそれまでのような自分でいられなくて、みっともなく本当の想いを口に出していた。
自分も蓮にとってのそんな存在になりたい。美桜はこの日そんな希望を胸に抱いた。
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