第二章 五月・小さな変化

第34話 彼女が考えて決めたこと

 五月になった。今日と明日は学校があるが、それからはまた三連休だ。ちなみに、四月最後の登校日に、杏里の発案で、四月終わりと五月頭のどちらかの連休中のどこかで、四人で遊びに行かないかという話になったのだが、それぞれの予定の入っている日を合わせていくと全員が空いている日がなかったため、その計画は立ち消えとなっている。


「おはようございます、天川君、日下君」

 美桜がすでに教室にいた二人に挨拶をする。机に置いた美桜の鞄にはゲームセンターで蓮から貰った白くまのキーホルダーが付いていた。

「ああ、おはよう、華賀さん」

「おはよ、華賀」

 二人も美桜に挨拶を返す。

 今日の美桜は三連休前に比べれば普段通りのように見える。というか、なんだか声のトーンも表情も明るく感じる。それは三連休がいい方向に働いたのか、というとそういう訳でもない。あの日、蓮に送ってもらえることを嬉しく感じていると気づいてしまった美桜は三連休の間、どうして、とその理由をずっと考えていた。机に座っているときなど、自然と鞄に付けられた蓮から貰った白くまのキーホルダーに目が行き、それをちょんちょんとつつきながら、その白くまに語りかけるように言葉に出して考え続けていた。けれどどれだけ考えてもモヤモヤとするばかりで全然わからなかった。そのことに美桜は焦れったく思っていたがわからないものはどうしようもない。

 それでも考え続けていてわかったこともある。いや再認識したというべきか。それは美桜がまだ蓮のことを全くと言っていいほど知らないということ。優しいことは実感しているが、どうして優しくしてくれるのか。それだけじゃない。何が好きで何が嫌いなのか、趣味はなんなのかなどなど、蓮のことを本当に何も知らない。その事実がなんだか嫌で、どうしてか胸の辺りがギュッとして少し苦しくなった。だから―――。


 美桜と朝の挨拶をすることにももう慣れてきた二人は、話を再開した。挨拶はしても美桜がその後、いつも文庫本を取り出し静かに読むことを二人も理解しているからだ。

「それにしてもつまらない休みの使い方してるな。バイト三昧の連休なんて」

「うるせ。家にいたってやることないんだからこういう時に稼いだ方が建設的なんだよ。お前だってどうせ部屋に籠りきりだったんだろ?」

「俺のは趣味に費やしてるんだから有意義な時間の使い方ってやつなんだよ」

 柊平が残念な人を見るように言うが、蓮の言う通り、柊平は連休のほとんどをゲームをしたりアニメを見たりして過ごしてた。この二度の三連休で出かけるのは、家族での日帰り旅行一日だけで、それはもう終わった。つまり、明後日からの三連休は完全に部屋に引き籠る気満々だ。

「前に言ってた連休中の予定ってバイトのことだったんですか?」

 が、ここで彼らの会話に割り込む者が現れた。美桜だ。見ればいつものように文庫本を出すことなく、自分達の方に身体を向けていた。まさか話に入ってくるとは思っていなかった二人は一瞬目を大きくする。


 美桜が連休中に決めたこと。それはもっと蓮のことを知っていきたい、ということだった。自分の中でそう気持ちが固まったらどういう訳かモヤモヤしたしていた気持ちが少しだけすっきりした。自分のしたいことが明確になったからかもしれない。だから今日は朝から頑張るぞ、と気合が入っていたのだ。そんな美桜の心情が表情や声の明るさに繋がっているのだが、自分ではその変化に気づいていない。


「あ、ああ。そうなんだ。シフトだからあのときにはもう決まってて。俺のせいで日程合わなくて遊びに行けなくなっちゃってごめんな?」

 驚きはあったが、美桜に答える蓮。

 蓮が言っているのは連休中どこかで遊ぼうという話のことだ。蓮はそれぞれの三連休で二日ずつシフトを入れていた。だから残り二日は空いていたのだが、そこは他の人が予定がある、といった具合だった。

「あ、いえ。それは天川君が謝るようなことではないと思います。…その、バイトってどこでしてるんですか?」

 いつになく積極的な美桜に蓮は内心首を傾げていたが、訊かれている内容は普通の会話の流れなので、深く考えることなく美桜の質問に答える。

「イタリアンレストランだよ。そこでウェイターをしてるんだ。普段は週二くらいなんだけど、休みだからってことで多めにシフト入れちゃってな」

「そうだったんですね」

「まあ柊平の言う通りつまらない休みの使い方だよ」

 そう言って苦笑を浮かべる蓮。

「そんなことないと思います。バイトを頑張ってるのすごいと思います」

 美桜の言ったことは素直な感想だった。バイトをしながら成績もいいなんてそんな両立、自分には無理だとわかっているから。

 ただ、そこで蓮の言葉に引っかかりを覚えた。それが何か、少し考え美桜は一つのことに思い至り急に慌てだす。

「あ、あの、今普段は週二でバイトって言ってましたけど、それってもしかして勉強会のときも、ですか?」

「ん?ああ、そうだけど……?」

「っ、やっぱり……。あの、ごめんなさい。私、知らなくて、毎日送ってもらったりして……」

 どの日がバイトだったか美桜にはわからない。けれど、美桜はバイトの日にもわざわざ自分のために蓮が本来必要のない移動をしていたことを心苦しく思ったのだ。そこまで言われて蓮も美桜が言いたいことを理解した。

「いやいや、華賀さんが謝ることじゃないから。何度も言ってると思うけど俺がしたくてしたことだからさ。本当気にしないでくれ。な?」

「……遅刻になってしまったりとかしませんでしたか?」

「ああ。大丈夫。遅刻もしてないから安心して」

「そうですか……。ありがとうございます。やっぱり優しいですね、天川君は」

 蓮の言葉に安堵した美桜。そしてあらためてお礼を言う彼女の口元が柔らかく綻ぶ。

「俺が?…俺は優しくなんかないよ」

 蓮は苦い笑みを浮かべていた。

「え?」

 その言葉と表情に驚き美桜は蓮の顔を見つめる。

「蓮……」

 黙って聞いていた柊平も思わず蓮の名を呼ぶ。

 そこで蓮はしまった、と思ったがもう遅い。余計なことを言った自分に舌打ちしたい気分になったが、その場はなんとか誤魔化した蓮だった。

 美桜はそれを察したのか、それ以上蓮が優しくなんかない、と言ったことに触れることはなかった。

 ただ気にならなかった訳ではない。

(どういう意味だったんだろう?どうして自分のことを優しくなんかない、だなんて……)

 美桜からすれば蓮が優しいことは間違いないことだ。蓮のことで、バイトのことを知れたのはよかったが、わからないことが別にまた一つ増えてしまった美桜だった。


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