第27話 休日、彼女達は二人で

「荷物はソファの上にでも適当に置いちゃって」

 そう言って、買ってきたものをキッチンに置く杏里。

「あ、うん」

 リビングに案内された美桜はその広い空間に圧倒されてしまった。

 広々としたL字型のソファと大きなガラステーブル。その正面は一面が壁面収納となっており、真ん中には八十インチのテレビが置かれている。そして大きな窓の近くには観葉植物がある。ただ、広さに対して圧倒的に物が少ないため、余計に広く感じる。それは生活感があまり感じられない、と言ってもいい。そこに少し寂しさのようなものを美桜は感じた。

 そんな美桜の反応に杏里は苦笑する。

「この家、無駄に広いよね」

「…すごいお家だね」

 杏里の言い方に答え方に困った美桜は、自分の感想を言った。

「ん~、まぁ確かにすごいんだろうけど、親のものだしね。一人で生活するのに正直この広さはいらないんだよね。電話でも言ったけど、親はいないからさ。気を遣う必要ないからね?」

「?今日いらっしゃらないだけじゃなくて杏里一人で住んでるの?ここに?」

「そうだよー。私父親いないし、母親は仕事で一年中海外飛び回ってるから」

 肩を竦めて何でもないことのように言う杏里。

 実際、今の杏里は自分の中でもう割り切っているつもりだ。

 幼い頃は何度か父親のことを訊いたものだが、その度に杏里を産んですぐに離婚した、としか言われなかった。家には父親の写真などもない。母親は杏里を妊娠中に立ち上げた事業に成功して、仕事にのめり込み、この家を買い、杏里の世話にとお手伝いさんを雇い、毎月多額の振込をしてくるだけでほとんど家に帰って来なくなった。日本に来ることがあってもそれはあくまで仕事で、家ではなくホテルに泊まっていた。昔から家に帰って来るのは年に数えられるほどでそれも年々少なくなっている。

「そうだったんだ……。…不躾なこと訊いてごめん」

「そんな顔しないで。そのおかげで気楽な一人暮らしを楽しめてるんだから。けどね、高校生になって家に呼んだ友達って美桜が初めてなんだよ?」

「そうなの?」

「うん。こんな家に住んでるってわかったらさ、いくら仲良くなった人でも私を見る目変わっちゃうんじゃないか、ってね。けど美桜ならそんな風にはならない、って思ったんだ」

 杏里は少しはにかみながら言った。美桜は杏里の信頼が嬉しかった。けれど最初の方、美桜は気づかなかったが、見る目が変わっちゃうんじゃないか、と言ったときの杏里には実感のようなものがこもっていた。

「…ありがとう、杏里。……けど、それなら天川君や日下君は?二人なら杏里の心配するようなことにはならないと思うけど……」

 はにかむ杏里を見て美桜の表情が柔らかくなる。そしてふと疑問が浮かんだ。

「蓮と柊平?それこそ来たことないよ。あの二人だって男子だしね。うちの事情ちょっとは知ってるし、さすがに女子一人の家に来ようとなんてしないって。最寄り駅くらいは言ったことあるかもだけど、住所も知らないんじゃないかな」

「そうなんだ…」

 このとき、美桜は自分の心の片隅に安堵が含まれていたことに気づいていなかった。

「さ、そんなことよりも早速始めよう?キッチンに必要な器具とかは全部あると思うからさ」

「うん。ねえ杏里」

「ん~?」

「今日は呼んでくれてありがとう」

「ふふっ、こっちこそ。来てくれてありがと」


 数時間後。

「できたー!できたよ、美桜!」

「うん。綺麗にできたね。美味しそう」

「美桜のおかげだね!本当にありがと~!」

 杏里は完成したことが余程嬉しいのか、興奮気味で、満面の笑みを浮かべている。美桜も薄っすらとだが、口角が上がっていた。

 二人の目の前には、二種類のクッキーが焼き上がっており、いい香りが漂い辺りを包んでいる。


 杏里が蓮と柊平へのお礼として美桜に提案したのがこれだった。材料費はお手頃だし、手作りで感謝の気持ちも伝えられる。買い物中杏里が、柊平はあまり甘いものが好きではないから甘さ控えめにしようと美桜に伝えたため、二人で話し合ったり、スマホで調べたりして、それなら、とチーズクッキーと紅茶のクッキーの二種類を作ることに決めた。


 作っている道中は中々に大変だった。杏里は普段料理を全くしない。食事はお手伝いさんが作ったものか、外食か、スーパーの総菜だ。そんな彼女がどうしてクッキーなんて案を出したかというと、以前友達からクッキーは簡単で失敗もしないと聞いたことがあり、それを思い出したからだ。だが、実際にやってみたら、材料の分量を量るのがいい加減だったり、よくわからない自信を持って隠し味を入れようとしたり、材料を混ぜるのも雑だったり……。その度に美桜がフォローしてなんとか生地を完成させた。そのときには杏里の服には生地が飛び散り、顔には小麦粉がところどころついてかなり悲惨な状態だったが、杏里はずっと楽しそうで、生地が完成したときにはとても喜んでいた。そんな杏里に美桜も思わず微笑を浮かべてしまったくらいだ。


 生地を休ませている間に杏里は顔を洗って服を着替え、二人は少し遅めのお昼ご飯を食べに行った。近所に杏里おすすめのラーメン屋があるということで、高三の女子高生二人のランチとしては中々珍しい選択だが、確かに美味しく、美桜も大満足だった。


 そうして二人は、できたてのクッキーを少し冷ましてから味見も兼ねたお茶請けにして紅茶を飲みながら、蓮達がどんな反応をするかで話が弾み、それからもお互いのことなど話題は尽きず、美桜が帰る夕方までお喋りして過ごした。

 彼女達の作ったクッキーはどちらも香りがすごくよく、口の中にそれぞれの風味が広がる会心のできあがりだった。

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