第21話 彼女は変わろうとしている
「杏里、これだけは最低限暗記してくれ。得意だろ?頑張れ」
この日は週末ということで、最後に蓮から杏里に土日用の宿題が出された。
蓮が事前に杏里の追試のために纏めておいたノートを渡す。
最低限、とは言っているが、実のところ追試を突破するよりはプラスアルファされた分量になっている。杏里には内緒だが。
「こんなに!?無理だよぉ」
それをペラペラと見て、杏里が嘆く。
「今回は追試だから少ないぞ?杏里の場合、定期テストで暗記する量はこの比じゃないからな?」
蓮が困ったような笑みを浮かべながら現実を突きつける。
「そんなぁ!?蓮の意地悪!」
蓮の言葉に愕然とした杏里は拗ねてしまったようだ。
「赤点取ることになっても知らないぞ?」
「うぅ……。蓮の鬼!なんでそんな酷いこと言うの!本当に赤点になったらどうするの!?言霊って知ってる!?」
眉根を寄せ少し頬を膨らませる姿は、ちょっと怒ってる、ようにも見える。
「そうならないためのものだよ。杏里ならこれくらいできるって。な?」
「蓮はすぐそうやって言うけど、私暗記なんて全然得意なんかじゃないんだよ?」
「それならやめておくか?」
蓮がそう言って杏里からノートを取り上げようとするが、杏里はノートを抱きしめるようにして抵抗する。
「ダメ!折角蓮が作ってくれたのに。……蓮は、私にできるって思う?」
「ああ、もちろん」
「……じゃあ頑張ってみる」
「おう。頑張れ、杏里」
「うん!任せて!絶対やってみせるんだから!」
杏里もわかっているのだ。美桜のことだけでなく、このノートの作成も蓮が寝不足になった原因だということを。だから最終的にはこうなる。
柊平は呆れたように、美桜は若干ハラハラしながら二人のことを見ていた。
柊平、そして蓮も落ち着いているのはこのやり取りが恒例と言っていいものだからだ。勉強嫌いの杏里はこれまでもなんだかんだ文句を言って素直にやろうとはしなかった。蓮や柊平にとっては、その度に宥めてやる気にさせるまでがセットだ。以前は柊平も一緒にしていたが、ある頃からそれは主に蓮の役目になった。
二人ともそれを面倒に思ったことはない。杏里は友達だし、最終的に杏里はちゃんとやるべきことはやる。そんな信用があるからこそだった。
帰りの電車の中で、蓮と美桜の間には穏やかな空気が流れていた。昨日たくさん話せたからか随分打ち解けられたと蓮は思う。
「今日はどうだった?俺は杏里にかかりきりであんまり見れなかったけど……」
「あ、はい。ちゃんとできましたよ。日下君には気を遣わせてしまったかもしれませんが……」
「ん?どういうこと?」
「私、自分から中々訊くことができなくて……。多分わからなくて固まってしまってたんでしょうね。それで日下君からどこがわからないか訊いてくれて。ダメですよね、本当」
そう言って美桜は苦笑した。
柊平は蓮ほどすぐに察して教えることはできなかったが、それでもずっと固まっている美桜の様子に気づけば、声をかけ、美桜の質問に丁寧に答えていた。
美桜が自分を責めるように言うが、蓮は美桜の言葉を聴いてしまった、と思った。自分に対してあれほど心情を吐露することができ、少しは距離が縮まったと感じていた。それを自分達には本音を言えるようになったと思ってしまった。だから、杏里の友人、そしてこの勉強会のメンバーという自分と同じ立ち位置にいる柊平に対しても少しはコミュニケーションできるようになっている、と勝手に解釈してしまっていた。
けれど感じていたはずだ。美桜は自分の考えを口にするのが苦手なのではないか、と。そんな彼女が自分にできたからと言って柊平にも同じようにできるとどうして思ってしまったのか。
「そっか……。けど駄目だなんてことは全然ないと思う。俺達こうして話すようになったのも最近だしさ。徐々にでいいんじゃないかな。あいつ、柊平はさ、仏頂面で言葉もきついときが結構あるけど、結構人のことをよく見ててさ。友達思いのいい奴なんだ」
柊平のことを知ってもらおうとでもしているのか、蓮はいつになく言葉を尽くしていた。だが――――。
「わかってますよ?杏里と、天川君の友達ですしいい人なんだろうなって。だからこれは私の問題なんです。普通に話せるようになりたいから。昨日天川君が言ってくれたじゃないですか。何でも言ってくれって。友達として聴くからって。だからさっきのは自分に対する愚痴みたいなものです。すみません」
そう言って美桜は小さな笑みを浮かべた。
そう、美桜は決して悲観していた訳ではなかったのだ。
杏里と蓮を見ていいなぁと思ってしまったのも本当だが、それではいけないのだと美桜は考えるようになっていた。
「そっか。いや、いい、全然いいんだ。確かにそう言ったし、愚痴でも何でも話してくれて俺も嬉しいから」
「ありがとうございます」
何だか気恥ずかしくなってしまった蓮は急に話を変えた。
「あ、そう言えば、昨日は帰りが遅くなっちゃったと思うけど、ご家族心配してなかった?」
「はい、大丈夫ですよ。勉強していて遅くなったってちゃんと説明したら母も納得していましたから」
「そう、それならよかった。ちょっと気になってたんだ」
「……心配してくれてありがとうございます」
再び美桜の口元が僅かに笑みの形を作る。
「いや、半分以上俺のせいだからさ……」
「そんなことありませんよ。それに昨日は天川君と話せてよかったって思っていますから」
「そっか……」
そんな風に話していたら、電車が美桜の降りる駅に到着した。
二人して下車する。今日はここでお別れだ。別れの挨拶をしようと向き合ったとき、美桜を呼ぶよく知る声が響いた。
「美桜?何やってるんだ?」
声の方に振り向くとそこにいたのは昇だった。
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