第17話 彼への誤解が解けた日
(さて、どう言ったものか……)
美桜が涙を拭っている間、蓮は美桜にどう言えばいいかを考えていた。
美桜の話した内容は確かに自分に対するものなのだが、それだけじゃないような印象を蓮は受けていた。
具体的にそれが何かはわからない。
ただ、美桜の言葉には追い詰められた人の悲しみや苦しみみたいなものが滲み出ていたように蓮には感じたのだ。
だから美桜に対して怒りも湧かなかったし、嫌う理由にもならなかった。
色々考えた末、美桜から二つ、自分への問いかけがあったことを思い出した。
まずはそこからがいいかもしれない。
「華賀さん」
「っ、…はい」
「俺は法学部に行くつもりはないよ」
「えっ……?」
「まあ本当にまだどうするかちゃんと決めてる訳じゃないから暈して誰にも言ってないけど、明政の法学部に行くつもりははなからないんだ。だから俺は華賀さんが競う相手には含まれない。それにちゃんと目標が定まってる華賀さんをすごいと思うことはあっても下に見る、なんてことはないよ」
蓮は苦笑を浮かべて言った。
そんな自分の態度が必死に目指している彼女にはプレッシャーになってしまっていたのかもしれない。
蓮が自分で言ったことだ。各学部には枠がある、と。
「そんな……え?……だって……」
混乱から美桜の目が泳ぐ。
当然だ。勝手に嫉妬した理由の大きな部分を否定されてしまったのだから。
「それから今日ファミレスでうとうとしちゃったのは本当にごめん。昨日ちょっと夜更かししちゃっただけなんだ。だから今日は授業中もずっと睡魔と戦ってて。華賀さんも杏里も真面目に勉強してたってのに、時間がゆっくりに感じたというか、なんか気が緩んじゃったんだ」
蓮は恥ずかしそうに後頭部に手をやる。
「夜更かし……」
「ああ。だから、華賀さんに同情っていうのもちょっと違うかな。勉強会は杏里が結構強引に誘った結果だし、華賀さんにとっても有意義なものにしてほしいって思ってたんだ」
「あ……、あ……、私……」
「後、俺の評価がすごい高くていいこといっぱい言ってくれたけど、それはそれでまあ嬉しくはあるんだけど、俺はそんな大層な人間じゃないよ?」
美桜の言葉は嘘や社交辞令ではなく、本気でそう思っているんだろうと思えてしまうから、恥ずかしいやら照れるやら。とにかく心臓に悪かった。
それに自分は本当にそんな人間ではないから。
今だって、こうして美桜の話を聴こうと思ったのは、自分と美桜がぎくしゃくすればどちらとも関わりのある杏里に迷惑がかかるかもしれない、という打算的な考えが大きい。
「~~~~~っ」
一方、蓮に言われて自分が蓮をどう評したのかを思い出してしまった美桜は頬が赤くなるのを感じて、恥ずかしさから再び顔を俯けてしまった。
「ただ、まあ嫌われてる訳じゃなさそうでその点はちょっと安心したかな」
「っ、その節は本当にごめんなさい……!初対面で天川君のことを勝手に決めつけて……、いえ、結局それは今もそうだった訳なんですけど……、重ね重ね本当にごめんなさい……」
「あ、いやこっちこそごめん。責めてる訳じゃないんだ」
落ち込む美桜に蓮の方が慌ててしまう。
だから空気を変えるように明るい声で蓮は言った。
「今日はたくさん話せて本当によかった。これからも何かあれば遠慮しないで思ったこと何でも言ってくれていいから。友達としてちゃんと聴くからさ」
「天川君……。ありがとう、ございます……」
二人の間にしばし穏やかな空気が流れる。
「そうだ、帰り遅くなっちゃったけど大丈夫?」
話している間に太陽は完全に沈んでしまっている。
「あ、はい。大丈夫です」
「暗くなっちゃったし、華賀さんさえ嫌じゃなければ送っていくよ」
その言い方はズルいと美桜は思う。
嫌だと思える訳がなかった。
「……嫌、じゃないです」
ただ恥ずかしいのか声が小さくなる。
「そっか。じゃあ行こうか」
蓮はそんな美桜の様子に表情を和らげる。
「はい」
そうして二人は駅を出て、美桜の家へと街灯の下を並んで歩いていった。
その道中でのこと。
「華賀さんは法学部に行ってやりたいことがあるの?将来の夢に繋がってるとか?」
蓮は聞いてみたかったことを美桜に尋ねた。
あくまでも軽い感じで。
「え?」
美桜は何を聞かれたのかわからないというようなぼんやりとした表情を浮かべ蓮を見た。
「いや、昨日さ、どうしても行かなきゃいけないって言ってただろ?だからその先に華賀さんのしたいことがあるのかなって」
―――『私はどうしても法学部に行かなければいけませんから』
その言い方が蓮には引っかかったのだ。
どうしても行きたい、ではなく行かなければいけない。
それでも昨日はそこまで違和感があった訳じゃない。
けど、美桜の話を聴いた後だと、その違和感はもっと大きくなった。
「…………」
(私は何のために……?私のやりたいこと……?)
一方美桜は蓮に訊かれ、言葉に詰まってしまった。
なぜ法学部を目指しているのか。それは志保が望んでいるからだ。
美桜自身にその先でやりたいことは―――ない。
急激な息苦しさが美桜を襲い、表情が強張る。
美桜は自分の将来のことなのに、今まで考えたこともなかったという事実に気づいてしまった。
「ごめん。無神経なこと訊いちゃったな。忘れてくれると助かる。今頑張って目指してる人に言うことじゃなかった」
「えっ?あ、はい」
美桜の様子の変化に気づいた蓮だったが、この話を自ら打ち切った。これ以上自分が踏み込むべきじゃない。
ただ、この僅かなやり取りが今後美桜が自分の将来を真剣に考えていくきっかけとなるのか、それはまだ誰にもわからない。
それからも無難に蓮が話を振りながら歩き、美桜の家の前まで到着した。
「今日はありがとうございました。家まで送ってくれて」
「いや、こっちこそ。今日は話せてよかった。それじゃあまた明日」
「はい。また明日」
美桜は薄っすらと笑みを浮かべる。
美桜と別れ、蓮は一人自分の家へと帰っていった。
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