第15話 勉強会はうまくいった、はずだった

 数学の問題集に取り組んでいた美桜は順調に進めていた手を止め、しばらく固まってしまった。

 どれくらいそうしていたか、美桜が頭を上げ蓮をチラリと見る。

 その視線に気づいた蓮がすぐに美桜がやっている問題に目を向け、その視線を美桜のノートへと移す。


「そこはそれじゃなくてこの公式を使う問題なんだ。わかりにくいけどこの式が――――」

 蓮は説明のための教科書を美桜の方に向けながら説明していく。

「そっか……」

 蓮の説明で理解できたのか美桜は小さく呟いた。

「できそう?」

 美桜の声は聞こえなかったが、雰囲気で察した蓮が尋ねる。

「はい。ありがとうございます」

 本日何度目かのやり取りだ。


 ファミレスのボックス席、美桜の前に蓮、杏里の前に柊平という形で座っているため、教える構図も正面に座る者が担当する形に自然となっている。


 美桜の隣では杏里が実力テストの問題をうんうん唸りながら頑張って解いていた。

 美桜も一緒であることからお喋りに興じることなく真面目にやっているようだ。

 柊平も杏里から聞かれる度に丁寧に答えていた。


 そんな中、美桜は再び問題を解きながら別のことを考えていた。

(天川君、すごい。すごくわかりやすくて、理解できてるって実感がある。何も言わなくても私がどこで躓いているかわかってるみたい……)

 優しく丁寧に教えてくれ、ここまでの差を見せつけられれば妬む気持ちも出てこない。素直に感嘆する。

(敵わないな……)

 美桜は無意識に蓮に対する自分の気持ちをそう思い込もうとした。


 何となく上目遣いで蓮の方を見た美桜は、その切れ長の目を大きくした。

 蓮が頬杖をついてうとうとしていたから。

 無防備に眠る蓮の顔からなぜだか目が離せない。

「どうした蓮。寝不足か?」

 隣に座る柊平も気づいたようだ。

「ん?……ああ、悪い。寝ちまってたか」

 柊平の声掛けで蓮が目を覚ます。

「お前が居眠りとか珍しいな」

「昨日、ちょっとな」

「ちょっとー!こっちが頭悩ませてるときに寝るなんてひどいんじゃないかな!?」

「悪かったって。杏里達が頑張ってるのに寝ちゃダメだよな。華賀さんもごめん」

「いえ、私は……」

 もう少し寝顔を見ていたかった、そんなことを思ってしまっていた自分が恥ずかしくて美桜は言葉を濁す。

「今日はこの辺で終わりにしておくか?杏里も珍しく集中してたし、疲れただろ?」

「珍しくって何よ。私だってやるときはやるんだから」

「はいはい。それに華賀は昨日と同じくらいには帰らなきゃいけないんじゃないか?」

 柊平がその場を纏めるように言った。

 実際、二時間近くは勉強していたのだ。

「あ、はい。そうですね」

 それから美桜が帰るまでの三十分ほどを四人は雑談して過ごすのだった。

 その間、勉強から解放された杏里のテンションが異常に高かった。


 帰りの道中でのこと。

 昨日と同じように蓮と美桜は一緒の電車に乗っていた。

「勉強会やってみてどうだった?少しは役に立ったかな?」

「……はい。理解が深まった、気がします」

「そっか。それならよかった」

 蓮はそっと安堵する。

 美桜がそう言うなら本当にそうなのだろう。

 自分に対しては辛辣な美桜だからこそ逆に信用できた。

「すごいですね、天川君は」

(きっとこういう人が法学部に行くんだろうな……)

「別にすごくなんかないよ。今日だってちゃんと教えられるか不安だったし」

「私は実力の差を痛感しました……」

「実力の差って。そんなことないだろ?それにそんなもの関係なくないか?」

「関係ありますよ。学部選択は成績上位者から優先されるんですから」

「?いや、確かにそれはそうだけど……。でも各学部毎に枠がある訳だし、華賀さんは法学部を目指してるんだから、俺と比べても意味はないだろ?」

(私とじゃ差があり過ぎて比べることに意味がないってこと?だから私に勉強を教えてくれるの?)

「意味はない、ですか……」

「ああ。だから友達としては応援できたらって思う訳でさ」

 応援、という言葉で美桜は蓮の言葉を納得してしまった。

(ああ、そうか……。私同情されてるんだ……)

 自分の成績に見合わない学部を目指しているから……。

「……だから勉強を教えてあげようってことですか?憐みとか施しとかそういうことですか?」

 本当はこんなことを言いたい訳じゃない。

 それなのに口からはそんな言葉が出てきてしまう。

 言いながら美桜の心はじくじくとした痛みを感じ勝手に傷ついていく。

 にもかかわらず、蓮に勉強を見てもらって理解が深まっているように感じているのも本当で。

 もう勉強会には参加しない、とも言えない。

 自分が惨めで見苦しくて、美桜の心の中はぐちゃぐちゃになっていた。

「いやいや、なんでそんな風になるんだよ!?そんなこと思ってないって」

 蓮は美桜の多分に毒が含まれた言い方に驚き目を大きくする。

 今の会話のどこをどう受け取られたらそんな風に思われるのか蓮にはわからなかった。

 そんなタイミングで美桜が降りる駅に電車が止まる。

「すみません。変なことばかり言って。今日はありがとうございました」

 早口でそれだけ言った美桜はドアが開いた瞬間、駆け足で降りようとする。

 考えるより先にこのままじゃ駄目だと感じた蓮は美桜を追って電車を降りる。

「華賀さん!ちょっと待ってくれ!」

 そして美桜の腕を掴んで止めた。

「っ、なんですか?」

 足を止め、振り返った美桜の目が潤んでいたことに蓮は一瞬固まる。

「……ごめん。……けど、もう少しだけ話をしないか?」

 その美桜のことを気遣うような蓮の表情と声音が美桜にとっては一層辛かった。

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