第14話 小さな変化

 美桜と別れた後、蓮はまっすぐ自分の家へと帰った。

 それは家族で暮らすマンションや一軒家、ではなく単身者用の三階建てアパート。その二階の角部屋。

 彼は慣れた手つきでドアの鍵を開け、中に入る。

 外はもうすっかり日が暮れ、代わりに月と星々が淡い光で空を彩っており、室内も少し先が見えないくらいには真っ暗だ。


 ここにもう丸二年以上住んでいる蓮はそんな中でも迷いなく進んでいき、部屋の明かりをつける。

 室内にはベッドにローテーブル、テレビと背丈ほどの高さのラック。


 そのラックの一番上の段には写真立てが一つ飾られていた。

 そこには本当に幸せそうに満面の笑みを浮かべている幼い蓮と両親の姿があった。

 もう二度と見ることのできない両親の笑顔。

 家族の思い出が詰まった家から持ち出せた唯一のものがこの写真だ。

 他はすべて処分されてしまったから……。


 蓮は、今日の夕飯はカップ麺でいっか、と考えながらシャワーを浴びに行く。

 自炊もそれなりにしている蓮だが今日は色々なことがあり過ぎて疲れてしまったようだ。

 浴室からシャワーの音だけが寂しく響く。

 十分も経たずにその音も止まり、お風呂から上がった蓮は、電気ケトルでお湯を沸かし、カップ麺を作る。

 お湯を注いだカップ麺を持ってテーブルへ行くと、流れ作業のようにテレビをつけた。

 テレビではバラエティ番組がやっており、賑やかな声が室内を満たすが、蓮はそれを見ることもなく、スマホを手にし、ネット小説を読み始めた。

 三分が経ち、そのままカップ麺を食べる。

 行儀の悪い食べ方だが、それを注意する人間はここにはいない。


 食事を終えた蓮は、明日からの勉強会の内容を考える。

 そのために、教科書と問題集を持ち帰ってきた。

 実力テストの追試は基本的に同じものの類題が出題される。

 新しく問題を作るのは教師陣にとっても面倒なのかもしれない。

 だから杏里の勉強については実力テストの復習メインでいいが、問題は美桜の方だ。

 数学の点数が、と言っていたので範囲がわからない。

 杏里が誘ったことではあるが、どうせならやってよかったと思ってもらいたい。

 そのため、蓮は明日からの勉強会に向けて予習、つまりこれまで学んだ範囲の復習を夜遅くまでするのだった。



 翌日。

 朝の教室でちょっとした変化が起きた。

 蓮が寝不足でぼんやりと自席に座っていると、美桜が登校してきて開口一番に言った。

「おはようございます、天川君」

「え?あ、ああ、おはよう華賀さん」

 一瞬何を言われたかわからなかった蓮。

 それもそうだろう。

 これまで朝の挨拶なんて一度もされたことがないのだから。

 だが、いつもの無表情で蓮を見ていた美桜に聞き間違いではないとわかった蓮は慌てて挨拶を返した。


 それからはいつもの日常。

 そして放課後になった。

 勉強会の場所をどこにするかという話になったときのこと。

「それじゃあ早速図書室に行こー!」

 杏里が元気よく言うと、美桜が待ったをかけた。

「……あの、勉強を教わるってことは話もするんですよね?」

 どうやら杏里だけでなく蓮達にも言っているため丁寧語のようだ。

「もちろんだよ。でなきゃ私できる気しないもん」

「こら、自信満々に言うな」

「それなら、図書室はやめた方がいいんじゃないでしょうか?また……」

 杏里の言葉、それにツッコんだ柊平の言葉をサラッとスルーして美桜が言った。

「「「…………」」」

 その場に沈黙が流れる。

 美桜の言いたいことがしっかり伝わったからだ。

 また、の先が、図書委員に注意されるのではないか、ということだと。

 言われれば至極当たり前のことを三人とも失念していた。

「えっと……?」

 美桜は黙ってしまった三人に困惑していた。

「……蓮?」

 元はといえば図書室と言ったのは蓮だ。

 自分達も何の疑問も抱かず図書室に行ったが、蓮は気づいていなかったのだろうか?と杏里がジト目を向ける。

 ただ元々ぱっちりと大きな、それでいて少したれ目の杏里がやるとそんな顔も可愛らしいものになっており迫力は全くない。

「……悪かった。ファミレスを避けるために言ったけど華賀さんの言う通り図書室は向かない場所だったな。俺が考えなしだった」

 一方、蓮はバツが悪そうだ。

 これまでも杏里の勉強に付き合ってきた蓮達だが、場所は基本ファミレス、時々教室やカフェ、といった感じで、まあ簡単に言うとお喋りが多くなるのが毎度のことだったのだ。

 主に杏里の集中力の問題で。

 そこで三年になって最初ということで特に考えず図書室なんて言ってしまった蓮だったがどうやら根本的なところで間違えてしまっていたらしい。

「ふふっ、じゃあさ、やっぱりいつもみたいにファミレス行こ?」

 杏里は怒っていた訳でも責めた訳でもなかった。

 それなのにこんなことでしゅんとしてしまった蓮に対し、杏里は時々こういう可愛いらしいところを見せてくるんだもんなぁとズルく思い、自然と笑みが零れた。

「ああ、そうだな」

 そんな杏里の態度と言葉に蓮はほっと安堵したのか口元に笑みが浮かんだ。


 そして四人は昨日と同じファミレスに向かうのだった。

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