第10話 一人と三人は遭遇する

「蓮!ありがとう!」

 ぱあっと杏里の表情が明るくなる。

「はぁ……蓮、お前は杏里に甘過ぎだぞ」

「甘いとかそういうのじゃない。わかってて言ってるだろう?」

 そう、蓮のこれは杏里に甘いとかそういうことではない。

 単に、意図がはっきりしていて、内容が勉強を見るだけなら、下手に大勢で遊びに行ったりするより蓮にとっては余程楽だからだ。

 相手が内心どう思っているか、そんなことを考えなくて済むから。

 杏里とはそれなりに長い付き合いで、この手のお願いも何度もあったことだから気を遣わなくていいというのもある。

 困っている杏里を助けてあげたいという思いも嘘ではないのだが……、蓮の偽悪的な考え方がその思いに蓋をしている。


「蓮も柊平も相変わらずだな。俺らには関係なさそうだし、そろそろ帰るわ。高頭追試頑張れよ」

「ありがとー」

 そう言って、蓮達と話していた男子二人は、自席に荷物を取りに行きそのまま教室を出て行った。


「それじゃあどこでする?やっぱファミレス?」

 杏里が蓮と周平に問いかける。

「ファミレスは却下だな。絶対勉強なんてしなくなるだろ」

 柊平がすかさず厳しく突っ込む。

「むー、ちゃんとやるのに。じゃあどこでするの?」

 二人のやり取りで蓮にもドリンクバーを注文してお喋りしている姿が思い浮かんだのか口元に笑みが浮かぶ。

「……それなら図書室にでも行くか?」

 蓮の提案で、三人は図書室に向かうのだった。


 一方、美桜は図書室に来ていた。

 席に着き、流れで教科書とノート、参考書を取り出した美桜だったが、手の動きは止まっており、ここに来てからノートには一行も書かれていなかった。


 教室で蓮達が話しているのが聞こえてしまい、蓮の数学の点数、そして総合順位を聞いてしまった美桜は一瞬肩をビクッとさせてしまった。

(天川君がそんなに成績がいいなんて知らなかった……。それに日下君も……)

 盗み聞きをしていたみたいで、そんな反応をしてしまったことに気づかれていないか心配になったが、蓮達は誰も気づかなかったようでほっと安堵した。

 そして、蓮が何学部を狙っているかを暈したことで、蓮も法学部を狙っているのだろうと思った美桜はもっと勉強しなければと教室を出たのだが、何だかすぐに家に帰る気がせず、図書室に向かったのだった。


(私本当嫌な性格してるな……)

『何で蓮が文系クラスにいるんだよ』

 蓮が友達に言われていた言葉。

 美桜も思ってしまったのだ。

 そんなに数学が得意なら、理系に行けばよかったのに、と。

 そうすれば、一枠空いたかもしれないのに、と。

 蓮にだって目指す学部があってそのために文系を選んだに違いないのに。

 それは、自身がボーダーラインの少し下にいるがための卑屈な思考だった。

 そしてそれを自覚しているからこそ、美桜は自己嫌悪していたのだ。

 勉強は自分が頑張るしかないことはわかっている。

 けれど問題集をどれだけやっても上がらない成績に、もうどう頑張ればいいのかがわからなくなってきていた。


 思わずため息が出る。

 すると図書室の出入り口で賑やかな声がした。

「やったね。席いっぱい空いてるよ」

「杏里、図書室なんだから静かにな」

 美桜には出入口を見なくてもその声が誰のものかがわかった。

 美桜の心に深く残っている。

 自分の窮地を颯爽と救ってくれた人の声だから。

 美桜が顔を上げるとそこにはやはり蓮がいた。

 ただし一人ではない。

(あれは……日下君と確か…高頭さん)

 初日に行われた自己紹介の記憶を思い出す。


 と、その時、杏里と目が合ってしまった気がした美桜はさっと視線を元に戻す。

 だが、それはどうやら手遅れだったようだ。

「あれ?華賀さん?」

 杏里の声が静かな図書室に響いた。

 その声に蓮達が杏里の視線を辿り、三人分の視線が美桜に向く。

 杏里はそのまま美桜に近づいていく。

 その後を蓮と柊平もついていく。

「やっぱり華賀さんだ。こんなところで奇遇だね。あ、私、同じクラスの高頭杏里。わかるかな?華賀さんも勉強?もしかして!私と同じ!?華賀さんも追試受けるの?」

 可愛らしい笑顔で杏里がぐいぐいと話す。

「え、いえ、私は……」

 杏里の勢いに美桜は内心たじたじになってしまう。

「杏里、そんな一気に聞いたら華賀さんに迷惑だろ?ごめんな華賀さん」

 すると蓮が杏里を窘めた。

 別に美桜の内心の動揺を理解して、ということではない。

 むしろ、美桜から冷たい反応が返ってきて、杏里がショックを受ける前に止めようと考えただけだ。

「何よーもう。蓮ってばわかってるみたいな言い方しちゃって。蓮だって華賀さんとは初めて同じクラスになったばっかなのに。それとも蓮も柊平も華賀さんと席が近いしもうそんなに仲良くなったの?」

「なんでそうなるんだ……。一般論だよ、一般論」

 杏里の推測に蓮はげんなりしたように言う。

「いや、あながち杏里の言うこと間違ってもいないんじゃないか?俺はともかく、蓮は今朝華賀にお礼言われてたよな?蓮が助けたとかなんとか……」

 思い出したように柊平が言う。

 眼鏡の奥の瞳は何を考えているかよくわからない色をしていた。

「柊平……」

 どうして今そんなことを言うのか、と思うが実際には柊平の名前を呼ぶことしかできない。

「え?なになに?蓮と華賀さん何かあったの?」

 柊平の言葉に杏里が興味津々といった様子で訊いてくる。

 それに対し蓮はため息を一つ。

「大したことじゃないから……」

「蓮のその言い方は何かあったってことだね。余計気になっちゃうじゃんか。ねえ、華賀さん、何があったの?」

 今度は視線を美桜にやって問いかける。

「いえ、えっと……」

 美桜は美桜で突然現れた三人の話、そしてそんな三人の気の置けない雰囲気に圧倒されていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る