第8話 彼女は勇気を出して

 翌日。

 教室に入った美桜はすぐに自席、の隣に目をやった。

 そこでは今日も蓮が柊平と話していた。

(あの二人本当に仲がいいんだなぁ)

 蓮の席が隣ということもあり、まだ一週間程度だが、よく二人が話していることはわかる。

 そんな風に美桜がぼんやりとでも他人の人間関係について考えるのはとても珍しいことだった。


 気持ちの面では、蓮が一人ではないため話しにくいことに対する少しのがっかりとまた今度にした方がいいという自分への言い訳ができた安堵が同時にやってくる。

 蓮のことを自分の枠に勝手に当てはめて、決めつけて、第一印象から嫌っていたため後ろめたい気持ちが強いのだ。


 まだ蓮がどういう人なのかはわからない。

 自分の想像した通り嫌いなタイプの人の可能性だってある。

 けれどそれは相手を知ろうとしなければわからないことなのだと、そんな簡単なことに美桜は昨日の夜思い至った。

 今まで人と積極的に関わろうとしてこなかった美桜にとってその気づきはとても大きなものだった。


 それに助けてもらったことは紛れもない事実だから。

 相手がどうこうではなくお礼を言いたいと美桜は思ったのだ。


 そう昨日決めたのだから、こんなことじゃ駄目だと自分を奮起させ、一度小さく息を吐き美桜は止まることなく自分の席へと向かった。

(ちゃんとお礼を言うって決めたんだから!)


 美桜は普段通りに椅子に座った。

 当然だが、隣ではまだ蓮と柊平が話している。

 緊張に身体が強張るのがわかる。

 そんな自分がちょっと情けない。

 美桜は一度深く呼吸をすると、意を決して横向きに座り直し、真っ直ぐと蓮を見て言った。

「あ、あの!」

 その声と自分の方に体を向け、じっと見てくる美桜に、蓮は驚きに目を大きくした。

「っ!?……どうかした?華賀さん」

 また何を言われるのか、と蓮は少し身を固くした。

 それを取り繕って美桜に問いかける。 

 そんな蓮を柊平は面白そうに見ている。

「天川君。昨日は、本当にありがとうございました」

 目をぎゅっと瞑り、勢いよく頭を下げる美桜。

(言えた……!)


 いきなり言われた蓮は戸惑いも大きかったが、すぐに意味を理解し、笑みを浮かべて美桜のお礼を受け取った。

「いや、どういたしまして。本当にもう気にしなくていいから。……俺の方こそ遅くなってごめんな?」

 蓮は電車内でのことを思い出し、美桜に謝るが、美桜は下げた頭を戻し、ぶんぶんと首を横に振る。

「そんなことない。天川君だけがあのとき私を助けてくれたんですから」

「っ!?」

 蓮は一瞬言葉を失くした。

 不意打ち過ぎて心構えができていなかったのだ。

 なぜなら美桜が柔らかな微笑を浮かべていたから。

 これまでの無表情とは比べ物にならない。

 これまでとのギャップでそう思うのかもしれないが、それは他意の欠片もない純粋で心からのものに見えた。

 つまりはとても魅力的な微笑み顔だったのだ。

「そ、そっか……」

 蓮は何とかそれだけを返した。

「はい!」


 柊平は二人の間に何があったのか具体的には知らない。

 けれど今の二人のやり取りを見て、少し複雑そうな笑みを浮かべるのだった。


 そしてもう一人。

(美桜のやつ、天川と何を話してるんだ?)

 昨日から様子がおかしかった美桜を離れたところから見ていた昇は、美桜が自分から蓮に話しかけたことに無性にイライラしていた。


 その後の美桜はずっとふわふわした気持ちで過ごしていた。

 表情も心なしか緩んでいるようだ。

 傍から見ればお礼を言うだけなんて些事に等しいことかもしれないが、成し遂げることができた、と美桜の心を達成感が満たし、今ならいろんなことができるんじゃないかと思えてくる。


 全授業を終え、帰りのホームルームが始まった。

 担任が連絡事項を言っていき、最後にこれが今日のメインだと言わんばかりにちょっと意地の悪そうな笑みを浮かべながら言った。

「今から初日にやった実力テストの結果を配るぞー。全教科合計の順位と各教科の順位も書いてあるからな。進路選択の参考にしてもらいたい。あと、もうわかってると思うが、この結果も当然への推薦に影響する。結果が芳しくなかった者はこれからの定期テストで挽回するように。それから一つでも赤点があった場合だが……おめでとう、追試決定だ。追試の日程は一週間後の放課後だから忘れずに受けるように」

 最後に、結果を受け取ったら帰っていいぞーと加えて担任は、出席番号順に名前を呼び、各教科ごとと合計の点数、順位、平均点が書かれた小さな紙を渡していく。

 赤点は問題だが、推薦は基本的に貰えるため、大半の生徒にとって担任の言ったことはあまり響いていない。

 皆好きに話しながら担任から成績表を受け取り、教室内はざわざわとした雰囲気だった。


 そんな中、その成績表を見て、美桜は席に座って固まっている。

 美桜の心は今日一日のテンションが嘘のように一気に冷え切っていた。

 顔色も青白くなってしまっている。

 赤点がある、なんてことはない。

 美桜の成績はそれ程悪くない。

 ではなぜか。

(……このままじゃ法学部の推薦なんて無理だ……)

 数学の成績が思っていた以上に悪かったのだ。

(私は法学部に行かなきゃいけないのに……)

 このままでは志保の期待に応えられない。

 美桜の心は焦りと不安でいっぱいになっていた。

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