第6話 助けてくれたのはまさかの彼だった
「美桜自身の将来のためにも、法学部に進学しなくちゃね。昇君も法学部志望なんでしょう?残り一年、勉強頑張って。応援してるから」
明政付属に入学が決まったときから志保が美桜のことを思い、考えた将来設計。
「うん……、わかってる……」
美桜も志保から言われ続け、そうしなければいけないと理解している。
「私立だし、学費は大変だけど私も美桜のためにパート頑張るわ」
(そうだ。母さんは私のためにパートに出るようになったんだ……。感謝しなきゃいけないんだよね)
「ありがとう、母さん。……私着替えてくるね」
そう言って美桜は二階にある自分の部屋へと向かった。
自分の部屋へと行き、部屋着に着替えた美桜は教科書とノートを開いて机に座っていた。
今のままでは法学部の推薦は厳しいとわかっているからだ。
明政大学の法学部は文系で一番偏差値が高く、人気も一番だ。
そうなれば当然、競争率も高い。
文系科目は得意な美桜だったが、数学があまり得意ではないため全体の成績では法学部に行けるかぎりぎりのラインだった。
それは高二の段階で担任からすでに言われていたことだ。
だから三年での成績は本当に大切だった。
そうやって美桜は志保の期待に必死に応えようとしていた。
それは昔から変わらない。
小学生の頃、将来の夢を志保に言ったことがある。
美桜の夢を聞いた志保は無理に決まってる、なんでそんなことを言い出すのかと泣きながら美桜を叱った。
幼い美桜はこのとき自分は言ってはいけないことを言ってしまった、抱いてはいけない夢を語ってしまったのだと自分を責めた。
以来、美桜は志保の期待に応える、志保の望むように生きてきた。
美桜自身、そこに疑問を持つことなく……。
ただ、ずっとそんな環境にいた美桜は、本当の気持ちや考えを表情に出したり人に話したりすることが極端に苦手になってしまった。
何が相手の不興を買ってしまうかわからないからだ。
こうして今の無表情、塩対応の美桜ができていった。
だが、そんな美桜は今勉強が手につかなかった。
今日はずっと今朝の出来事が頭から離れず気がつけば思い出していた。
されたことについては怒りや恐怖、嫌悪感など負の感情が湧き上がるが、同時に何とも言えない温かいものも感じていた。
最初はいつもの通学だった。
駅までの道でも電車内でも昇が嬉々として自分のことを美桜に話してくる。
昇の話はいつも自分のことばかりで何の話か半分以上わからない美桜は相づちを打つことしかできない。
それが昇と登下校するときの当たり前だった。
それでも昇は笑顔のため、昇もきっと話を聴いてほしいだけで美桜が理解しているかどうかはそれほど大きな問題でもないだろう。
そんな中でのことだった。
最初はそれなりに混んでいる電車内で偶然当たっているだけだと思っていた。
けれどそれはすぐに間違いだと思い知らされることになった。
痴漢にあってしまった美桜。
誰とも知れない他人が自分の身体を弄っている。
そういうことだとわかった瞬間、嫌悪感とともに怖くて気持ち悪くて仕方がなかった。
(嫌だ!嫌だ!嫌だ!怖い!気持ち悪い!)
身体が勝手に震え、助けを求めたいのに喉がカラカラに干上がったように張りついてしまって声が出なかった。
(助けて!)
思わず昇のブレザーの裾をぎゅっと握った。
気づいてほしかった。助けてほしかった。
けれど昇は美桜の状況に気づくことはなく、なぜか余計に嬉々として話し始めた。
もっとスカートが短い人だっているのにどうして自分がこんな目に遭わなければならないのか、昇はどうして気づいてくれないのか。
片隅ではそんな怒りも覚えていたが、昇の声が遠くに感じるほど美桜の中は恐怖でいっぱいになっていた。
すると痴漢がスカートを捲し上げようとしているのが感覚でわかった。
これから何をされるのか、察してしまった美桜は一層の恐怖に襲われ、目をぎゅっと瞑る。
全身に力が入ってしまっているはずなのに小刻みな身体の震えが止まらない。
(お願い……!誰か助けて……!)
誰にも届かないとわかっていながら心の中で美桜は叫んだ。
そのときだ。痴漢ではない別の誰かの気配を背中に感じた。
と同時に自分を弄っていた手が離れ、誰かの声がした。
『消えろよ。次見つけたら駅員に突き出す』
怒りを孕んだ底冷えするような声だった。
思わず美桜の肩がビクッと震える。
けれど同時に自分でも不思議だが心の中に安堵が広がった。
もう大丈夫なのだとなぜだか確信ができた。
自分は今、この声の主に守られている、そんな感覚だった。
そしてそれは美桜が初めて感じる温かい心地よいものだった。
徐々に強張っていた身体から余計な力が抜けていくが、美桜の意思に関係なく身体は震え続けていた。
すると先ほどと同じ声、それなのにそこに込められた響きが全く違う声が再び美桜の耳に届いた。
『……助けるのが遅くなって悪かった』
それは悔しさや怒り、やりきれなさなどが滲んだ、美桜を気遣った優しい声だった。
言葉と同時に背中の気配が離れていくのを感じ、美桜は何かを考える余裕もなく後ろを振り返った。
けれどそこにはもう誰もおらず、左右を見ると自分と同じ制服を着た男子生徒が去っていく背中が見えた。
そこに昇の声が耳に入ってきた。
「天川のやつ、いったいなんだったんだ?」
昇は訳が分からず、その声には不審が色濃く出ていた。
突然現れたかと思えば、去り際自分を睨んだ気がしたのだ。
そんな目で見られた昇は反射的にイラっとしていた。
ただ美桜は違う。
驚きに目を大きくする。
(天川君!?)
美桜は自分を助けてくれたのが隣の席の天川蓮だということを知った。
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