第4話 『今朝の出来事』
そして今朝の出来事だ。
蓮は通学のため、駅のホームで電車を待っていた。
彼はスマホをじっと見ており、何かを読んでいる。
そのうち、電車がホームに入ってきて、ドアが開く。
降りる者はほとんどおらず、蓮を含めて多くの者が乗り込んでいく。
電車内はぎゅうぎゅうと言うほどではないが、座席は埋まり、隙間がそれほどないくらいには混んでいた。
そんな中でも慣れた様子で、入ってすぐ左手側の座席の前のポジションを確保した蓮は、つり革に掴まりながらスマホを見ていた。
これまでの二年間繰り返して、後一年間繰り返す日常だ。
しばらく電車が走ったところで、蓮はふとスマホから目線を上げた。
ずっと見ていたから疲れたのだろうか。
少し周囲を見る蓮。
そのとき、偶然人々の隙間から嫌な状況が見えてしまった。
ドアを挟んでちょうど反対側の辺りで、明政付属の制服を着た女子生徒がスーツ姿の中年男性から痴漢にあっていたのだ。
明らかに後ろからスカートの辺りを触られているのだが、その女子生徒が振り払おうとしたり、周囲に助けを求めたりしているようには見えない。
(だぁ!くそっ!)
朝から厄介なものを見つけてしまった。
だが、見えてしまったものを放っておくことも蓮にはできなかった。
だからこその悪態だ。
すみません、と周囲に立つ人々に謝りながら件の女子生徒に近づいていく。
周囲からは嫌な顔をされたが、蓮としてもしたくてしている行動ではない。
周囲の人々と同じように蓮の顔も不機嫌そうな顔になっていた。
ぐいぐいと進んでいくと、痴漢されている女子生徒の横顔が見えた。
(華賀!?)
そこにいたのはこの一週間で強く印象に残っていたクラスメイト、というか隣の席に座る女子生徒、美桜だった。
さらに近づくと全体像が見えてきた。
彼女の奥には同じくクラスメイトで彼女と付き合っているという噂の男子生徒である昇が立っていたのだ。
瞬間、なんで隣にいる彼氏に助けを求めないんだ、と思ったが、彼女の左手は彼のブレザーの右裾をぎゅっと掴んでいた。
助けを求めているようだが、昇の方は気づきもしていないのか、笑みを浮かべて美桜に話しかけているようだ。
そして蓮が見てる前で男が手を美桜のスカートの中に入れようとしていた。
(くそったれ……!)
その事実に訳もなくイライラし始めた蓮は険しい顔つきで、美桜と痴漢男との間に割って入った。
美桜を背に庇う形で、痴漢男を思い切り睨みつける蓮。
男は咄嗟に美桜から手を引いた。
美桜の横では突然現れた蓮に昇が目を大きくしている。
「消えろよ。次見つけたら駅員に突き出す」
「なっ!?」
極力抑えた重く低い声。
ただ近くにいた人の何人かは聞こえていたのかもしれない。
言われた男は顔をかっと赤くし、何か言い返そうとしたが、蓮の言葉に周囲がざわつき始めているのを感じ、結局何も言い返さず、次の駅でそそくさと降りていった。
そこが本来の目的地だったのか、もうこの電車に乗っていられないと思ったのかはわからないが。
今回駅員に突き出してもよかったのだが、そうすると事情説明などで美桜を巻き込んでしまう。
蓮としてはこういう輩に対してそうしたい気持ちが強かったが、それが美桜の望んでいることかわからなかったため、苦肉の言葉だった。
とりあえずは痴漢男が去ったことで、ほっと一息吐く蓮。
美桜を見れば、微かに肩が震えていた。
昇のブレザーの裾を掴む手も僅かに震えているようだ。
当然だと思う。怖かったのだろう。
美桜の様子に蓮は僅かに顔を歪める。
隣で美桜がこんなことになっているのに呑気な顔をしていた昇にどうしようもない怒りが湧く。
けれど、とそこで蓮の中の冷静な部分が事実を思い出し、自分を落ち着けた。
二人は付き合っている、かは確定していないが一緒に登校するほど仲がいいのだ。
それがわかっているのに自分からその関係に首を突っ込むなんて愚かなことだ、と。
そんなことしようともしたいとも蓮は思わない。
今回は美桜と昇だということに気づくのが遅れて、流れで介入してしまっただけで。
「……助けるのが遅くなって悪かった」
だから蓮は一言美桜に言葉をかけ、二人のもとから離れていった。
これが今朝あったことだ。
授業を聞き流しながら蓮は思わず考えてしまう。
まさか美桜が同じ電車で通学していたなんて今まで気づきもしなかった。
まあ同じ制服を着た生徒は他に何人も乗っている電車だ。
気づかない方が当たり前なのだが。
(付き合ってるってのは本当っぽいな。一緒に登校してるくらいだし)
どうやら噂は信憑性の高いものだったようだ。
それならどうして昇は肯定しないのだろうか、と疑問が浮かんだがすぐに打ち消した。
付き合っていることを隠すカップルはいくらでもいると蓮自身知っているからだ。
電車内で昇のブレザーの裾を握る美桜が思い出される。
(やっぱり彼氏に任せるべきだったかなぁ)
あのときは最善と思い行動したが、隣に彼氏がいたのなら自分の出る幕は無かったのではないかという思いが消えない。
自分と、というか誰とも関わり合いたくない、という態度の美桜にとって他人の助けなんて余計なだけだったかもしれない。
だからこそさっきも気にする必要はない、と蓮から言ったのだが。
(まあ、あんなことそうそうないだろうし、もうあっちから話そうともしないだろ)
始業式の日や日直の日のやり取り。
そしてそれ以外の日には全く会話のない席がお隣というだけの女子生徒。
蓮がこう思うのも仕方のないことかもしれない。
(やっぱり他人と関わるのは疲れる……)
こんな風にぐだぐだ考えたくないから広く浅くの付き合いをしているというのに、今日のことはそのスタンスと真逆の行動と言っていい。
してしまった行動は仕方がないが、そんな人付き合い、やはり蓮にとっては願い下げだった。
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