第36話 死闘
先に口を開いたのは大司教だった。
「自分の身だけでなく、そこのお嬢ちゃんまで守ったか。さすが魔王じゃ」
「ようやく
ノクスの言葉に、大司教は破顔した。
「なるほど、気づいとったか」
「あれで隠す気があったのか。驚いた」
ひく、と大司教の頬が引き攣った。それに対してノクスは笑みを崩さないまま。だがその剣先は一切ぶれることなく、大司教の心臓をまっすぐに狙っている。
これだけ近くにいれば分かる。ノクスは余裕の笑みを浮かべているが、かつてなく、真剣だ。
「それでは、一対一の真剣勝負じゃ」
「待って」
「何じゃ、興が削がれる」
ヴィオラの声に、大司教は初めて気がついたというようにヴィオラへと視線を向ける。その皺に埋もれた瞳を見つめ返して、ヴィオラは聞いた。
「あなた、これから何のために戦うつもりなの? 今からノクスを殺したって意味ないわよ」
「無論、そんなことは承知。じゃが」
大司教は恍惚とした笑みを浮かべた。
「相手は魔族。正しいことをするのに、大義が必要かの?」
「……狂ってるわ」
「それで構わんよ。まだ若い嬢ちゃんには分からぬ」
「ヴィオラ、満足したか」
ノクスの声に、ヴィオラは頷いた。話が通じる相手ではない。手加減をできるような相手でもない。
「それなら、貴様の言うとおり勝負と行こうか」
ノクスの言葉と同時に、先ほどの閃光を遥かに上回る光球がまっすぐにノクスへと襲いかかる。それを片手の剣でノクスが切り落とした瞬間、次の閃光が目の前に広がった。
ノクスが小さく詠唱する声が聞こえ、閃光が爆散する。それと同時に背後から向かってきた光球を、ノクスは剣身を回して切り捨てた。
「防戦一方、かの?」
「貴様に情報は与えたくないのでな」
ノクスはそう言ったけれど、ヴィオラには分かってしまった。ヴィオラがいるから。ヴィオラがいる限り、ノクスはここを離れられない。
だが今までの戦いを見るに、ノクスは明らかに近接型。人間が魔剣と呼ぶ、魔力伝導性の高い剣に魔法を付与して戦うタイプだ。
もちろん遠距離も強いに違いないのだが、明らかに遠距離攻撃を得意としているらしき大司教に、遠距離魔法で挑むのは無謀だ。
それを、大司教も分かっているのだろう。一切手を緩めることなく、四方八方から光球をぶつけ続ける。
もし、2人の実力が対等ならば。消耗が早いのはきっとノクスだ。だってノクスが守るのは、2人。
ぱっとヴィオラは周りを見渡した。イグナーツ、アルノルトと目を合わせるが、2人とも歯を食いしばって首を振る。イグナーツの顔は憤怒に歪み、きつく握りしめられた手からは血が滴っていたが、彼は何もせずにそこに立っていた。
手を出せば、ノクスの邪魔をする。そう分かっているのだ。
「はて、いつまで持つ?」
「貴様の魔力切れの方が早いだろうな」
「口だけはまだまだ元気なようじゃ」
ぱっとヴィオラはノクスを見上げた。
髪は乱れ、紅玉の瞳は強い光を持って大司教を見つめている。白い頬にすっと汗が伝うのを見て、ヴィオラは唇を噛み締めた。
何もできない。守られていることしか、できない。
このままだと共倒れ。ヴィオラを助けるのをやめれば、ノクスは間違いなく勝てる。
だったら合理的な選択は、
「却下」
「ノクス!」
「守ると言った」
開きかけた口は、ノクスが一度に3つの光球を切り飛ばした轟音の中に紛れて消える。話しかけると邪魔になる。それも、分かる。でも、
「安心しろ。お前には指一本触れさせん」
ヴィオラにだけ聞こえるような声で、ノクスが呟いた。その瞬間、ノクスがはっと背後を振り向く。その目が、遠く離れた尖塔に立つ人影を捉えた。
その視線を追って、ヴィオラもその男に気づく。見慣れた白いローブに、裾に広がる紋章の色は赤。五士の1人、炎士。
ノクスが小さく舌打ちをした。右手で大司教の攻撃を切り捨てつつ、人影に向かって左手を伸ばす。
2つの光線が、空中で交差した。
ノクスの手から放たれた黒い光は一切の狂いなく男の胸を捉え、尖塔から仰け反った男が落ちていく。そして同時に、炎士の手から放たれた赤い光も、また正確だった。
真っ直ぐに自分へと向かってくる光を、ヴィオラは見た。その威力は、考えるまでもなく肌で分かった。ちり、と頬が焦げる感触がして、息が詰まるような恐怖の中で、堪えきれず目を閉じる。
永遠にも思える一瞬。
けれど予期した瞬間は、いつまで経ってもやってこない。
「――っ、く」
そろそろと目をあけた先に広がるのは、黒い髪。
ヴィオラを庇い、その身に一切手加減のない攻撃を受けた男は、なおも右手で止まぬ攻撃を切り裂いた。唇の端から、真っ赤な血が溢れて筋を作る。
「ノクス!!」
「何だ、騒がしい」
ヴィオラを見下ろして、ノクスは乱れた髪を靡かせ、壮絶な笑みを浮かべた。
大司教へと向き直ったノクスの背中に触れて、ヴィオラは潤む視界の中、治癒魔法を展開する。
けれど。分かっている。ヴィオラが今まで学んできた術式は人体副属、人間の治療に特化したものだ。半分魔族の血が入っているノクスには、明らかに効きが悪い。
間に合わない、かも。
最悪の予想を振り払って、ヴィオラは振り絞るように治癒を続けた。
魔力が足りない。技術も足りない。何もかもが、足りていない。
「泣くな。お前に泣かれると、一番困る」
「だって、」
「この怪我の分、帰った後の労いを期待しているぞ」
霞む視界で見上げた横顔の口元が、ふっと弧を描いた。
その瞬間だった。
爆音。
ノクスに守られているヴィオラには、全てがはっきりと見えた。
ノクスを中心に吹き出した黒い光が、凝集して蛇のように大司教へと襲いかかる姿が。ヴィオラを守る傍ら凝集され続けていた膨大な魔力が、その一瞬のうちに堰を切って動き出したのが。
その黒が大司教へと触れた瞬間、小柄な老人の姿は吹き飛んだ。
思い切り飛んだ身体は、城の石造りの尖塔へとぶつかり、ずるりと壁を伝って落ちる。テラスの中央に投げ出され、這いつくばった状態で、大司教はノクスを見上げた。
「なるほど、あの状況で力を溜めておったか」
大司教は、震える両手を打ち鳴らした。
「見事、見事よ。儂の負けじゃ。最期に楽しい勝負ができた。この身この国、好きにするが良い」
大司教の全身の力が抜ける。
その意識が飛ぶ寸前、大司教は
突然両腕に走った衝撃に、ヴィオラは息を呑んだ。肩から背中にかけて強い痛みが走り、喘ぐような声が漏れる。急な浮遊感に、首ががくん、と揺れた。
ヴィオラが全てを認識した時には、もう手遅れだった。
ヴィオラの両腕を後ろに捻り上げ、微笑む男。一瞬のうちにノクスの結界を破壊し、ヴィオラを手繰り寄せてみせたのだ。首筋に当てられた冷たい刃の感触に、背筋を嫌な汗が伝う。
大司教の、愉悦に満ちた声が聞こえた。
「一対一? 儂の負け? ははっ! ふ、頼んだぞ、水士」
周囲の空気が一気に冷えた。燃えるような怒りを宿した赤い目が、ヴィオラと、その首に細身の剣を押し当てた水士を見つめていた。喉に引っかかったように、声が出ない。
ノクスの視線も意に介さず、水士は歌うように言った。
「武器を、捨てるんだ。分かってるよね、魔王?」
息の音さえも聞こえない沈黙。いつまでも続くかのように思われたそれを、からん、と小さな金属音が破った。
投げ捨てられた黒い剣は、数度石の上を跳ね、静かにテラスを滑り落ちていった。
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