第35話 晒された真実

 ヴィオラを抱いて、ノクスはテラスに降り立った。

 腕を組んだイグナーツと、前髪の乱れを直したアルノルトを確認して、ノクスは口を開く。


「お初にお目にかかる」


 どういう魔法かは分からない。

 ノクスの声は、国中の全ての者に、まるで隣で話されているかのように鮮明に響いた。


「俺はノクス。普段は、魔王と呼ばれている」


 その言葉を皮切りに、ノクスはゆっくりと話し始めた。

 その出生を。今まで生きてきた道を。勇者の正体を。そして、王の真実の狙いを。


「――理解していただけただろうか? 今までの戦は全て、王の私情ゆえに行われた」


 いつの間にか、ノクスの立つテラスの下には、数えきれないほどの人が押しかけていた。最初は怯えて家に隠れていたはずの者たちも、ノクスが真実を告げるにつれて、ノクスの姿を一目見ようと集まってくる。

 人混みに揉まれるようにして現れた一人の老人が、呟いた。


「あの髪……前王太子妃殿下の」


 その声を聞き取ったノクスはかすかに頷き、続ける。


「だが、俺はこれ以上の戦を望まない。再び不可侵を固く結び直すことを、提案する」

「皆の者、騙されるな」


 歳を取ってもなお衰えぬ威厳を持った声。

 朗々と響いたその声に、広場が一瞬で静まり返り、厳かな空気が漂う。杖が床を叩く硬質な音が、繰り返し響いて、止まった。

 城の中から歩み出てきた国王は、ノクスの隣に立ってその民を見下ろした。


 咄嗟に武器を上げかけたイグナーツとアルノルトを、ノクスは手を上げて制する。


「これもまた、魔王の策略。騙されるでない、落ち着いて見よ。相手は魔族だ」

「俺の、瞳をか? 


 王の真紅の瞳が、真っ直ぐにノクスを捉えた。


「瞳の色など偶然よ。腐るほどある話だ」

「それなら」


 音もなく現れたレオンが、国王の肩に手を乗せた。


「僕も証言するよ。僕は勇者ではないし、魔王は本当に停戦を望んでいる。それとも、僕までもが魔王に加担してこの世界を乗っ取ろうと考えているとか言う?」

「……レオン、魔族に情でも移ったか? 思い出せ、其方は人間だ。育てられた恩も忘れたか」

「育てる? あれは洗脳だよ、僕は勇者だって繰り返し。もし真実を知らなかったら、いったいどうなっていたか」


 勇者様も、という呟き。

 一気に広がった動揺に、国王はなおも言い募る。


「勇者までもが魔王の手に落ちたか……騙されるでないぞ。我らは人間、魔族の言葉など信用できぬ」

「仕方ないわね」

「ヴィオラ」


 嗜めるようなノクスの声を無視して、ヴィオラはノクスへと手を合わせる。


「どうやって声を拡大すれば良いかしら?」

「……ほら、好きにしろ」


 すっとノクスが手を振ると、ほんのりと喉元が温かくなる。小さく咳払いして、ヴィオラは口を開いた。


「初めまして、皆さん。私はヴィオラ。人間です」


 身体の脇で震えていた手を、ノクスに掴まれた。小さく見上げれば、軽く顎で煽るような仕草をされて、ヴィオラは口を尖らせる。

 でも。おかげで、緊張は吹っ飛んだ。


「私は回復術士ですが、訳あって魔王城に住んでいました。……今から、ノクスと国王陛下の間の血縁関係を証明します」

「世迷い言を」

「みなさんご存知かと思いますが」


 国王の言葉を無視して、ヴィオラは続ける。


「治癒系統の魔法には、他人の魔力を移植することによって傷を癒すものがあります。そしてその魔力の親和性が高いほど、治癒の効率は良い。魔力は遺伝します。然るべき人に、陛下からノクスへの魔力の移植をしていただければ、すぐに分かることです」

「しかし」


 国王の声に、かすかな焦りが混ざる。杖を握る指先は、真っ白に染まっていた。


「それを誰が行う。魔王の手先が出した結果など誰も信じぬだろうが、我々人間の出した結果を其方らが信じることもあるまい」

「ですから、今ここでやりましょう。全ての人に見えるように、私が術式を可視化します」

「其方が幻影を見せるかも知れぬ」

「それなら可視化の術式は陛下の推薦された方にかけていただきましょう。治療は私が、可視化はあなた方が。役割分担をすれば、公平でしょう?」

「……しかし」

「見苦しいな」


 静かに、ノクスが国王を見下ろした。


「拒むことで、より疑いを深めると分からないか?」

「違う」

「それなら、何だ」

「っ違う!」

「でしたら実行しましょう」


 先ほどの戦いの現場から戻ってきたのだろう、よろめくように集まっていた魔術士たちをヴィオラは見渡した。その中に、杖に縋るようにして立っている1人の男の姿を見つけて、ヴィオラは首を傾げる。


「協力してくださいますね?」

「……ああ」

「陛下、彼でよろしいですか?」

「……」


 国王からの答えはないが、否定しないのだから良いだろう。真剣な顔で頷いた魔術士の彼を確認して、ヴィオラはノクスへと視線を移す。頷いたノクスは、高く右腕を掲げた。その爪が一度強く皮膚を引っ掻き、鮮やかな赤色が滲む。

 すう、と垂れた血が手首を濡らしたところで、ヴィオラは目を閉じた。


 やることは変わらない。使っている魔術が分かるよう、大きな声で詠唱しながら、ヴィオラは魔力移植の治癒魔法を施していく。

 横で、男が詠唱する声も聞こえた。やや掠れているが確かな口ぶり。ほう、と上がった声に、ヴィオラの展開する魔術が可視化されたことを知った。


 手の中を、魔力が流れていく。

 右手から左へ。川が流れるように。大きな石も、滝も、蛇行も、枝分かれもなく。さらさらと流れていく感触に、ヴィオラは小さく唇を噛む。

 ノクスの言うことが嘘だったら大変なことになる。けれどこうして残酷な真実が確定してしまった今、そうでなければ良かったのにと、思わずにはいられなかった。

 それは時間にして一瞬だった。


 すっかりと治った自らの手にノクスは目を向け、その手を軽く民へと振る。


「この通りだ」

「魔術の心得がある人には分かったはずよ、この澱みのなさは血縁関係がないとありえない」

「違う!!」

「まだやるか」


 溜め息をついたノクスが、煩わしそうに呟く。


「しつこいな、

「違う、――


 その後に発された名前に、誰もが息を呑んだ。

 その場に立つ人間の、誰のものでもない名前。発された言葉に、驚いたように目を瞬かせたノクスは、ややあって小さな笑いを浮かべた。


「なるほど、それが俺の名前か」

「い、やこれは」

「呼び間違えたとでも? くだらん」

「ち、ちが」


 首を振って大きな溜め息をついたノクスは、ゆっくりとテラスの端へと歩いていく。

 その端に立って、ノクスは民を見下ろした。


「これが事実だ。戦は終わ――」


 その時だった。

 突然飛来した金色の閃光に、ヴィオラは咄嗟に目を閉じる。凄まじい爆発音がして、頭の中にぐわんと反響する。強烈な風が身体中に叩きつけられ、ヴィオラはよろめいた。

 その背中を、力強い手が支えた。


「ヴィオラ」


 ノクスだった。

 左手でヴィオラの肩を抱き、半身になって右腕はまっすぐ前へ。その手に握られた剣は、そこだけ日差しを吸い込んでいるかのように純粋な黒。


 テラスはその半分ほどが吹き飛び、無惨な様相を晒していた。

 その場に立っているのはイグナーツ、アルノルトとレオン。一切前触れのない攻撃に晒されてもなお、身を守り切ったのだ。

 ノクスの剣先の前に、1人の男が降り立った。


「初めましてと言うべきかの、魔王」

「大司教、挨拶にしては些か過激すぎるな」


 白いローブを纏った小柄な老人は、その皺だらけの顔に笑顔を浮かべた。

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