第34話 王城へ
頬を切り裂くような冷たい風に、ヴィオラは軽く身震いした。
その瞬間に見下ろしてくる真紅の目に、ヴィオラはなんでもない、と首を振る。
空の上は、例えノクスの腕の中へいたとしても、未だに少し怖いのだ。
いつぶりかも分からない人間の世界だった。
一見今までと変わらないように見えたけれど、よく見れば黙々と田畑を耕す人間たちの顔に生気はない。長く続いている魔王討伐に、誰もが疲れ果てているのだ。
だが、それももうすぐ終わる。
「来る」
空の一点を凝視していたノクスが、低い声で漏らした。その声と同時に飛んできた魔法は、ノクスの身体に当たる前に消滅する。
「魔王! 振動系統だね、威力からして五士の誰か、多分草士だから、苦手属性は火!」
「イグナーツ」
「はっ!」
「イグナーツ、殺さないでくださいよ。あとで面倒なことになりますから」
「分かっている、ごちゃごちゃうるさいぞアルノルト!」
イグナーツの手から吹き出した炎が、青い空を一気に焼いた。
ここまでくると、ヴィオラの目にもたくさんの影が上空に浮かんでいるのが見える。王都に向かっているのだ、妨害はあって当然。
イグナーツの攻撃に、ぱらぱらと影が落下していくのが見える。ひく、とこめかみを引き攣らせたアルノルトが手を振れば、その落下速度が一気に緩まった。
「手間を増やさないでくださいよ!」
「無力化しただけだ!! あいつらが弱いのが悪い!!!!」
「この人たちと戦おうなんて、僕たちは無茶な真似をしていたよね」
肩をすくめたレオンも、だが翼を持つ者と一緒に飛行できている時点で、間違いなく高い実力の持ち主なのだ。
ここにいるのは魔王城の精鋭数名だが、多くの人間軍に対して全く引けを取ることなく戦っている。
「イグナーツ! アルノルト! 左右に水、雷だ!」
「命令するな人間!!!!」
「助かりますよ。レオン、でしたっけ? 魔王城で働きません?」
左にイグナーツ、右にアルノルト。左右に撃たれた光線が、派手な音を立てて迫る者たちを蹴散らす。
「正――」
「闇だな」
すっと手を伸ばしたノクスの手から吹き出した漆黒の光に、レオンは首を振った。
「僕は不要みたいだね」
その時だった。
遠い空を切り裂いて飛ぶ白い光線が、ヴィオラの身体すれすれを掠めた。
「ノクス! 大丈夫?」
「ああ。だが動くぞ」
短い返事と共に、急に身体が傾く。ぐわん、と頭が揺れて、視界がめちゃくちゃになった。ノクスとは思えない乱暴な動きに、ヴィオラは喉元まで出かけた文句を飲み込む。
さらに思い切り振り回されたからだ。舌を噛みたくはない。
上下左右、めちゃくちゃに揺さぶられ、ヴィオラの目が回り始めたころ。ノクスの低い舌打ちが聞こえた。
「ノクス?」
「ヴィオラを狙っている」
「私を?」
「ああ。全く、分かっていらっしゃる」
ずる、と滑り落ちかけたヴィオラの身体を抱いて、ノクスが急旋回した。投げ出されそうになった首を、ノクスの腕が抱きすくめるように押さえ込む。
「大司教だね」
レオンの張り詰めた声がした。すぐにレオンの片手が突き出され、同じような白い閃光が遠い空へと飛んでいく。その瞬間、攻撃が途絶えた。
「僕がこっちにいるって気がついたのかな。結構な年なのに、ここまで来るとは思ってなかった」
「魔王様!!!! ご無事ですか!!!!」
「ああ」
「ヴィオラさんを狙い撃ち、ですか。なるほど、思い出したくもない過去を抉り出すような戦い方をしますね」
「聖なる司教が聞いて呆れるな」
その揶揄うような言葉に対して、ノクスの声が硬い。ヴィオラがその顔を見上げれば、ノクスは苦笑した。
「あの時、のな」
さっと視線を伏せたレオンの姿を目の端に捉えて、ヴィオラは察する。
つまり、ノクスは恐れているのだろう。またヴィオラが傷つくことを。だから強気に攻められずにいる。必要以上に、ヴィオラを気にかけてしまう。
「大丈夫よ」
「お前のそれは信用ならん」
「魔王」
ノクスへと近づいてきたレオンが、すっと手を差し出した。
「剣を返してほしい。そうすれば僕が片付ける」
「かつての仲間だろう?」
「あまり接点はなかったし、今はそれより大事なことをしようとしてる」
近づいてきたアルノルトが、考え込むように眉間に指先を当てる。
「残念ですが、あの実力となると私とイグナーツでは危険です。向こうは聖属性、相性が最悪なので」
しようと思えばできますが、と口にしたアルノルトを、後ろからイグナーツが殴る。
「やるんだろうが!! 魔王様のお心に応えることが僕たちの責務だぞ!!!!」
「良い、イグナーツ」
無造作に手をふったノクスの手の先に、聖剣が現れる。青い空の下で、それは変わらず透き通った美しい光を放っていた。
それを放ったノクスは、口元に笑みを浮かべた。
「何分かかる?」
「小数の計算は苦手なんだ」
剣を片手に浮かび上がったレオンの姿が、消えた。
その瞬間、またヴィオラの身体が回る。内臓ごとかき混ぜられるような感覚に、ふらふらしながらヴィオラは遠くレオンが消えた方を見つめた。
それから、多分、十秒と少し。
地面と空を繋げるように吹き上がった白い光の柱に、ヴィオラは小さな息を漏らした。
◇
どれほど飛んだだろうか。
空の向こうに、王城の影が見え始める。ヴィオラを抱く腕に僅かに力が入ったことに気がついて、ヴィオラはノクスの目を覗き込んだ。
「ノクス」
「問題ない」
物言いたげなヴィオラの様子を見て、ノクスはわずかに笑みを作る。
「確かに昔はその幻影を追いかけたりもしていたが、今はそれよりも、危なっかしい誰かのことの方が気になって仕方がない」
「危なっかしいって、私はそんなことないわよ」
「お前のことだと誰が言った?」
「……」
「自覚があるなら大人しくしていろ」
王城の正面に設けられた、塔を囲むようにして伸びる白いテラス。
普段は王が立ち、民に向かって呼びかけるはずのその場所に、ノクスは音もなく降り立った。
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