第31話 恋心

「入れ」


 どこか緊張した面持ちで室内へと入ってきたレオンは、困惑したように視線を巡らせる。

 室内が自由すぎるのだ。自分がどこに立てば良いのか、よく分からないのだろう。


 それを察したヴィオラは、小さく手招きをした。ほっとしたように、レオンがこちらへと歩いてくる。いつの間にかヴィオラの手を捕まえていたノクスが、ぎゅ、と手に力を入れた。


「ノクス」

「……」


 片眉を上げるだけで返事をしない男に、ヴィオラは諦めてレオンへと視線を戻す。

 握られたままの手を見たレオンは一瞬目を伏せたが、すぐにヴィオラの隣へと立った。座る様子はない。


「突然ごめん」


 突然訪れたことへの謝罪から始めたレオンに、そこにいた男たちは一瞬背筋を震わせる。こういう礼儀正しさも、どうやら気持ち悪いらしい。


「勇者レオン。話とは?」


 会話の進行役を完全にノクスに任せたのか、アルノルトもただ沈黙を守っている。


「僕は、ずっと皆さんを勘違いしていた」

「ほう?」

「残虐非道な、血も涙もない一族だと。ヴィオラを騙しているんだと」

「その程度か。慣れている、今更何だ」


 そっけないノクスの言いように、ヴィオラは軽くノクスの手の甲を叩いた。おい、という低い声を無視して、ヴィオラは話を促すように頷く。


「だけど、ここに来て変わった。ヴィオラのおかげだ。……僕は、人間と魔族の争いを望まない」


 今までのどこか浮ついたような空気が、一気に消え失せた。

 姿勢を正す音や、持っていたペンを手放す音が、次々と室内に響く。その音もやがて鎮まり、他人の息の音さえもが聞こえそうな沈黙が広がる。

 緊張を一身に受けながら、レオンは噛み締めるように口にした。


「だから、僕の真実を伝える」


 レオンは、まとっていたローブへと手をかけた。するりと肩から落とされたローブの上で、王家の紋章が光る。その横に金糸で刺繍された、勇者を表す聖剣の紋章をゆるりと指先で撫でたレオンは、迷わずそれを卓の中央へと投げつけた。


 ばさ、という鈍い音が響く。ヴィオラの頭の上を飛び越えるようにして宙を舞ったローブは、卓の中央へ置かれていた燭台の上へと過たず着地した。

 

 布の焦げる匂いが部屋に充満する。加護が与えられているためか、一気に燃え広がるようなことはないが、長い間火にさらされる内に真っ白な布は少しずつ黒ずんでいった。

 それをしばし黙って見つめていたレオンは、ゆっくりと口を開く。


「僕は勇者じゃない」


 じわじわと白い布を蝕んでいた火が、一気にその勢いを上げた。加護が限界を迎えたのだろう。ちらちらと不規則に揺れる光を顔に受けながら、レオンは続ける。


「正確に言うと、勇者なんて存在しない。最初から、国王の妄言なんだよ」

「何故だ?」


 誰も口を開けないような重苦しい空気の中、最初に声を出したのはノクスだった。


「何のために、国王はそのような馬鹿げた嘘を吐いた」

「魔王城に攻め込むため。勇者が誕生したから侵攻を始めたのではなく、侵攻をしたいから勇者ぼくをでっち上げたんだ」

「その言葉の証拠は?」


 がた、と椅子の音を立てて立ち上がったノクスは、目を細めてレオンを見つめた。同時に巻き起こった風で、ローブの火が一気に掻き消える。

 闇に沈んだ室内の中、ノクスは探るように声を低めた。


「お前が勇者ではないと俺に信じ込ませ、その裏では俺の首を狙っていると言われても、俺は信じるぞ?」

「それならすぐにでも僕を殺せば良い」

「……ほう?」

「僕は抵抗しない。でもその前に、今後の話がしたい」


 言葉通りに両手をあげ、丸腰であることを見せつけたレオンは、真っ直ぐにノクスを見つめ返しながら告げる。


「国王が侵攻を始めた理由が勇者じゃないなら、必ず他の理由がある。そこをつけば、この戦いを終わらせられるかもしれない」


 部屋の空気が一気に揺れた。

 ノクスが凄まじい風を巻き起こしたのだ。グラスが床に落ち、砕け散る音がする。ばらばらと書類が飛び散る中、ノクスは静かに目を伏せた。


「一つ聞かせろ。……国王が、過去に俺の姿を見たことはあるか?」

「……何の話?」

「答えろ!」


 それは怒号だった。

 その圧に耐えきれず、窓が砕け散る。吹き飛んだカーテンの隙間から、強い日差しが差し込んだ。

 明るい光を目に受けながら唇を噛み締めるノクスのただならぬ様子に、誰もが固唾を飲んで様子を伺っている。気圧されたように、レオンが答えた。


「あるよ。遠目だけど、魔王を捉えた映像が城に持ち込まれたことはあった」


 しばらく、ノクスは沈黙を守っていた。

 誰かが身じろぎする気配がした。その音に我に返ったように顔を上げたノクスは、わずかに震える吐息を溢した後、落ち着いた声で口にする。


「なるほど」

「……ノクス?」


 ヴィオラが名前を呼び、手を引いても、ノクスは目を合わせようともしない。

 相変わらずレオンだけに視線を注ぎながら、ノクスは淡々と告げた。


「ならば無駄だ。あの男は俺を殺すことを諦めない」

「どういうこと」

「貴様が分かる必要などない」

「でもそれじゃ戦いを終わらせられない」

「貴様は」


 苛立ったように曲げられた指先で、長い爪がかすかにその手の皮膚を引っ掻いた。


「なぜそんなにも、戦をやめることを望む? 今まで戦の中心にいたお前が?」

「ヴィオラがそれを望むから」

「わ、たし?」


 突然放たれた自分の名前に、ヴィオラは驚いてレオンを見上げる。ヴィオラを見下ろしたレオンは、柔らかい笑みを浮かべて頷いた。

 

「そう。君はさ」


 レオンの手が、優しくヴィオラの頭の上に乗せられた。


「不可能な期待につぶれかけていた僕に、君はさらに荷物を乗せることはしなかった」


 ふ、とレオンは笑った。

 勇者ではない。本当はなんの力も持たない。民なんて救える気がしなかった。その期待を背負って戦えるとは到底思えなかった。

 でも、ヴィオラは最初から最後までレオンに何も期待しなかった。


「それが僕にとって、どんなに嬉しかったか」

「……いつの、話をしてるの」

「君は覚えてなくていいよ」

「レオン」


 いいの、と繰り返したレオンは、ノクスへと向き直った。


「僕は好きにしていい。信じるも信じないも自由だし、殺しても脅しても交渉の材料に使ったっていい。ただ、この戦いをヴィオラが望まないなら、僕だって望まない。そのために僕を使って」


 言いたいことは言った、とレオンが言葉を切る。

 誰もがノクスの言葉を待っていた。しかし、いつまで経ってもノクスは何も口にしようとしない。

 ただ、その落ち着きなく揺れる髪の毛だけが、その心情を語っているようで。長い爪が食い込んだその白い手から、すっと鮮血が流れる。


「……拘束しろ」


 長い沈黙の後、ノクスはそれだけを口にした。

 鍛えられているはずの男たちにも、一瞬の迷いが生じる。明らかに生まれた隙に、けれどレオンは逃げなかった。大人しく拘束されているレオンの脇を、ノクスが通り過ぎていく。


「ノクス!」


 ヴィオラの呼びかけに答えることもなく。


 黙って去っていく後ろ姿に、ヴィオラは立ち上がる。

 その背に追い縋るように、ヴィオラが走り出したところで、後ろから小さな声がかけられた。


「ヴィオラ」

「……レオン」

「追いかけるの?」

「ええ」


 ヴィオラの一切迷いのない返事に、レオンはかすかに笑う。


「……魔王が好きなの?」


 ヴィオラは目を閉じて、微笑んだ。


「ええ」


 今度こそ駆け出していくヴィオラを、もう誰も止めない。

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