第29話 勇者と魔王城
「ヴィオラ。やっぱり、やめない?」
「どうして?」
魔王城、大ホール。湯気をたてる料理が並んでいるそこは、普段なら食事を摂りにきた魔族で溢れかえっているのだが、今日ばかりはほとんど誰もいない。
ヴィオラと、レオン。ヴィオラに引っ張ってこられたためにとても嫌そうな顔をしているノクス。ノクスについてきたイグナーツ。それだけだ。
勇者が大ホールにいる。
その噂を聞いたものはすぐに回れ右をしたし、耳にしなかったものは一歩踏み込んだ途端に回れ右をした。ぽつん、と1人座ったレオンは、ヴィオラに謝る。
「ごめん、僕のせいで」
「何落ち込んでるの、らしくないわね」
一蹴したヴィオラは、どん、とレオンの前に焼き上がったばかりのパイを置く。
「それにここにいる人はレオンの味方よ? せっかく一緒にいる味方に対して辛気臭く振る舞うなんて失礼じゃない」
両手を広げて味方よ、と繰り返すヴィオラ。
ほら、とヴィオラが手で指した先には、目の前の肉に真顔でナイフを突き立てるノクスの姿がある。
「……味方、よ」
黙々とナイフを動かすノクスの姿を見つめていると、あっという間に、その目の前に肉片の山ができあがった。その隣には、ノクスしか見ていないイグナーツ。
「味方、よ!!」
「そうだね」
レオンは小さく笑うと、ゆっくりとカトラリーへ手を伸ばし、パイを頬張り始める。それを見て満足そうに頷いたヴィオラは、腰に手を当てると胸を張った。
「大丈夫よ、舐めてもらったら困るわ! 彼らはね、もう二度と魔王城の美味しくないご飯には満足できないんだから!」
そしてその言葉は、現実になった。
レオンが大ホールで食事をするようになってから、1日後。
早くも数人の男たちが、入り口から顔を覗かせる。中でほわほわと良い匂いを漂わせる料理に、飢えた男たちのお腹が、ぐう、と音を立てた。
それを耳ざとく聞きつけたヴィオラが、笑顔で手を振る。反対の手の上で、焼けたばかりの肉がじゅうじゅうと音を立てていた。
こっそりと室内に滑り込んだ男たちは、そそくさと食事を頬張って、すぐに出て行こうとする。その机の上に、ヴィオラは焼きたてのアップルパイを置いた。
顔を見合わせた男たちは、苦笑すると席に座った。
3日が経った。
皮肉を振り撒きながら現れたアルノルトの口を、ヴィオラはレタスで塞いでやった。眼鏡の下の笑っていない目を見て、ヴィオラは逃げ出した。
笑いながら走る廊下の途中、何人もの魔族とすれ違った。誰も彼もが、ヴィオラに飢えたような目を向けた。
7日が経った。
大ホールは、ほとんど元の様相を取り戻していた。げっそりとした男たちが、もう限界、と言いながら凄まじい速度で飛び込んできて、次々に大皿を空にしていく。
最後に入ってきた男は、ほとんど埋まった席を見て、ふん、と鼻から息を吐くとレオンの隣に腰掛けた。
驚いたように目を見開いたレオンだったが、黙ってその男の皿に取り分けたばかりの肉を乗せた。
男は、黙って肉にかぶりついた。
「美味いな」
男が漏らした言葉に、レオンはうん、と頷いた。
「ヴィオラの料理は、昔から美味しいよ」
「その通りだ」
会話もそこそこに必死に料理を頬張り始めた男に、レオンは穏やかな目を向ける。
そして立ち上がると、室内に向かって静かに頭を下げた。
その姿は、きっと誰も見ていなかった。誰もがヴィオラが腕によりをかけて作ったご馳走に夢中なのだ。
一度目を閉じたレオンは、ゆっくりと腰掛けた。
「ほら、レオン。大丈夫だって、言ったでしょ?」
「ヴィオラの言う通りだね」
苦笑したレオンは、誇らしげなヴィオラを見上げて目を細める。
「君には敵わないな」
ふふん、と胸を張ったヴィオラは、空になった大皿を持って厨房へと引っ込んだ。
追加の料理を持って大ホールへと戻りながら、ヴィオラは呟く。
「みんな今日はよく食べるわね……?」
「勇者には負けたくないでしょう、それは」
ちょうど大ホールに入ってきたアルノルトが肩をすくめた。確かにレオンは昔からよく食べる。今もかなりのペースで大皿を空にしているのだろう。
「そういうものなの?」
無言でかちゃり、と眼鏡を直したアルノルトが卓につく。無言でヴィオラに料理を催促する男に、ヴィオラは苦笑して再び料理を取りに戻った。全員でこのペースで食べていたら、どう考えても足りなくなるだろう。追加で作った方が良いかもしれない。
レスターに声をかけ、厨房へと引っ込む。
黙々と追加の料理を仕上げ、しばらくして料理片手に戻ってみれば、何人かは床に転がっていて。
未だ料理を頬張っているのは、レオンとノクス、イグナーツ。アルノルトは無言でテーブルに突っ伏している。
死屍累々といったそんな様子に、ヴィオラは肩をすくめた。
「ヴィオラ!」
ヴィオラの手の上の皿に気がついたレオンが抑えた歓声をあげる。
「まだあるんだね」
「まあね。でも、これで最後にするわよ」
どん、と皿を卓に置くと、ヴィオラは腰に手を当てた。
「分かる? 私は美味しく食べて欲しいの。競争するためには、もう作りません!」
「僕はまだ食べたいけど」
「レオン、限度ってものがあるわよ」
その薄い腹のどこに入っているのか、まだ腹八分目だと訴えるレオンに、ヴィオラは呆れた笑みを浮かべる。
「今はここで終わりなの」
「午前のおやつ、楽しみにしてるね」
「作らないわよ」
「え」
「本気でがっかりした顔しない!」
相変わらずの食欲である。懐を探って小さな袋を取り出したヴィオラは、中身を確認するとレオンへと放った。
フォークを握りしめたままの片手で器用にそれを捕まえたレオンは、いそいそと口を開いて中身を確認する。
「あ、乾燥させたリンゴだよね。昔くれた」
「今はそれしか持ち合わせがないから、それで凌ぐのよ……って、今食べない!」
「美味しそうだから」
「今食べたらもうないからね。……ノクス?」
視線を感じたヴィオラは、ふと後ろを振り返る。じ、と無感情にヴィオラを見つめる真紅の瞳に、ヴィオラは首を傾げた。
「もしかしてノクスも欲しかった?」
「いや」
「それなら何か用?」
「……いや、良い」
すぐに目の前の皿に視線を戻したノクスに、さらに首を傾げる。何がしたかったのだろうか。
しかしその疑問も、あっという間に小袋の中を空にしようとするレオンを止める中で忘れ去り。
片付けに、と踏み込んだ大ホールは派手に散らかされたひどい有様だったけれど。
活気の戻ったその場所が、ヴィオラには嬉しくて仕方がなかった。
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