第26話 勇者と回復術士

 元は孤児院だった、森のそばの小さな屋敷。小鳥の鳴く声ばかりが聞こえる、のどかな場所。

 その庭にぽつんとある小さな井戸の横で、いつものように野菜を洗っていたヴィオラは、風に乗って届く喧騒にふと顔を上げる。


 噂によると、今日は勇者が鼓舞のためにやってくる日らしい。とはいえヴィオラに興味はない。会ったこともない勇者を遠くから見たところで、何かが変わるとは思えないのだ。すぐに視線を落としたヴィオラは、やめていた作業を再開した。

 しばらくの間、黙々と野菜を洗っていた手元に突然影が落ちて、ヴィオラは身体を捻って影の主を見上げた。


 ちょうど光を遮るようにして、1人の青年が立っている。その髪は金、瞳は青。涼やかな美貌にも関わらず、その表情には妙に人間味がなかった。


「どなた?」


 小さくヴィオラが問いかけた声にも、目の前の青年は答えない。

 ただ黙ってその場に座り込み、ぼんやりと野菜を洗うヴィオラを見つめているだけだ。そちらがその気なら、とヴィオラもその存在を無視する。見て面白いものでもないと思うが、見られたところで別に問題はないのだ。


 籠に山盛りになった野菜もあらかた洗い終え、立ちあがろうとしたところで、その青年が口を開いた。


「その野菜、何に使うの?」

「これ?」


 手に持った野菜に視線を落としたヴィオラは、すらすらと答える。


「こっちのジャガイモは煮てからパイに。セージは一部はそのまま料理に使うけど、全部は使えないから乾燥させるわ。リーキは、そうね、煮込んでスープにしようかしら。……って、こんな話面白い?」

「そんなに」

「でしょうね」


 それならなぜ聞いたんだ、という質問は胸の奥に飲み込んで、ヴィオラは今度こそ立ち去ろうとする。

 その手を、目の前の青年が捉えた。


「今度は何?」

「君、ここにいるってことは、魔王討伐部隊の一員なんだよね」

「ええ」

「それなら、勇者を見に行かないの?」

「なんで?」


 首を傾げたヴィオラは、スカートについた汚れを払うとせっせと歩き出す。


「私まで見に行ったら、誰が今日のご飯を作るのよ。勇者様はご飯なんて作ってくれないでしょ?」

「……見たら、元気が出る、とか」

「全然。興味ない人の顔を見て何になるの?」

「興味、ない?」

「ええ。陛下とかからすれば最後の切り札!って感じなのかもしれないけど、私は別に魔王が倒されてもそうでなくても、どうでも良いし」

 

 それなら、と青年は言った。その声に縋るような響きを聞き取って、ヴィオラは足を止めて振り向く。


「君はどうして討伐部隊に入ったの?」

「それしか道がなかったから」

「危ないよ」

「野垂れ死ぬよりいいでしょ?」

「勇者に絶対に守ってほしいとか、ないの?」

「ちょっと、顔も知らない人にそんなこと頼むほど図々しくないわよ」


 無言になった青年に今度こそ背を向けて、ヴィオラは言う。


「私、戻って良い? ご飯の仕込みをそろそろ始めないと、できてなかったら怒られるわ」

「最後に聞かせて」

「何?」

「君の名前は?」

「人に名前を聞くなら自分から名乗るのが礼儀ってものじゃない?」


 一瞬、青年が口籠った。肩をすくめたヴィオラが屋敷に向かって歩き始めたところで、後ろから小さな声がする。


「レオン」

「私はヴィオラよ」


 短く答えたヴィオラだったが、すぐにその足が止まる。

 レオン、と言った。レオンというのは、まさか、あの勇者レオン――。




 がしゃん、という凄まじい音。飛び起きたヴィオラは、慌てて枕元にある明かりの電源を叩く。

 わずかに魔力が吸い取られる感覚があって、部屋がぼんやりと照らされた。明るくなった部屋に、目を細めたヴィオラは音の出どころを探そうと部屋を見渡す。


 元凶はすぐに分かった。寝台の横で倒れている、勇者レオンの剣。彼が唯一引き抜けたという、王族に伝わる聖剣だ。


「そういえば、預かっていたんだったわ」


 ノクスに渡したらあっという間に廃材にされそうだったので、とりあえずとヴィオラが受け取ったのだ。

 地面に倒れたそれを拾い上げ、机の上に載せ直す。すっかり目が覚めてしまって、もう一度眠れそうにはなかった。


「懐かしい夢を見たものね……」


 ぼんやりと余韻に浸りながら、ヴィオラは朝の支度を始める。

 簡単に髪を梳かして、服に袖を通していく。ヴィオラが元々持ってきた服は使っているうちに傷んでしまったから、これはどこからかノクスが手に入れてきたノクスの趣味だ。少々ヴィオラには可愛らしすぎるように思うが、貰っている手前文句などつけられない。


 レオンの名前を聞いた時は焦った。何せ、勇者その人に向かって興味ないと言い放ってしまったのだ。

 めちゃくちゃに怒られる覚悟はしたが、予想に反してレオンは怒らなかった。それどころか、何かと理由をつけてヴィオラのいる施設にやってくるようになった。

 最初は面倒に思っていたものの、レオンはヴィオラの作る料理を美味しいと褒めてくれる。それに免じて、時々2人で話をしていた。


 支度を終えたヴィオラが外へと出ようと扉を開けかけたのと、外から扉が叩かれたのは同時だった。


「うわっ!」

「ごめんなさい! レオン、まさかいるとは思わなくて」

「そんな、勝手に来た僕が悪いから気にしないで。やっぱりヴィオラは、ここにいても朝が早いんだね」

「習慣になっているから。レオンこそ早いわね」

「同じく、鍛錬の癖が抜けなくて。剣がないのを忘れてたよ」

「ごめん、いくらレオンでも剣は渡せないわ」

「違うよ、剣を取りに来たわけじゃない」


 そしてレオンは、涼やかな笑みを浮かべた。


「ここでも、料理長をやっているんだよね? それなら、手伝えないかと思って」


 その言葉に、ヴィオラはしばし悩む。

 手伝ってくれるというのならば頼んでも良いのだが、一応ここの住人の口に入るものだ。レオンにはノクスの魔法が、ヴィオラでも気配が感じられるくらいには強烈にかかっているのは分かっているのだが、レオンがノクスを狙っている可能性をまだ否定できない以上、厨房に入れるのは危険な気がする。


 そのヴィオラの悩みを感じ取ったのか、レオンはかすかに目を伏せた。


「僕が、っていうのも危険な話だね。いいよ、気にしないで」

「……あの、レオン。本当に私の墓参りに来たの?」

「うん」

「それで捕まっても良かったの? だって、レオンは国の希望で」

「ヴィオラに謝れるなら、それでも」


 すっと表情を消したレオンは、静かにヴィオラに向かって謝罪する。


「ごめん。僕が、君を傷つけた。守るって、言ったのに」

「あれは私が自分で傷つきにいったんでしょ。傷つけたうちに入らないわよ」

「ねえヴィオラ。……どうしてあの時、魔王を庇ったの?」

「……」


 ヴィオラは答えられなかった。

 取引、というのは簡単だ。けれどそれは、ヴィオラが自らの命のために、目の前のレオンを売ったということで。

 人間軍の苦戦は知っていたし、ノクスの圧倒的な強さもその手勢の多さも知っていた。だからこそ、まさかレオンが魔王城にまでやってくるという想定はしていなかった。

 ノクスが、あえて魔王城に誘い込んで自分で勇者を討とうだなんて、そういう性格だなんて、あの時は知らなかったのだ。

 けれどそれは、言い訳だ。


 ヴィオラの沈黙をどう取ったのか、レオンは誤魔化すように小さく笑う。


「無理に答えなくて良いよ。答えたくないならそれで良い。……ねえヴィオラ、ご飯を作らなくて大丈夫? 怒られたりしない?」


 その気遣いに感謝しながら、ヴィオラも笑って答える。


「大丈夫よ。お腹空いたと主張されることはあっても、怒られるようなことはないから」

「……本当に、君にとってここは居心地が良いんだね」

「ええ」

「傷つけられたりは、しない?」

「見ていたでしょう。ノクスが私を守っているのに、魔王城で私が傷つけられるわけがない」

「魔王を信じているの?」

「信じて、ね」


 そうなのかもしれない。

 初めて会った時は殺されると思ったし、魔王城に来てからも気まぐれでいつ殺されてもおかしくないとは思っていた。けれど今は、ノクスがヴィオラに傷ひとつつけることはないと、断言できる。

 それはきっと、すごく、この上なく、大切にされているからで。


「ええ、そうね」


 けれどノクスは、ヴィオラにその先を求めない。

 大切にするばかりで、大切にしてほしいとは言わない。気持ちに気づけ、と言っても、気持ちを返せ、とは言わない。

 ヴィオラにはノクスの望みが分からない。だからきっと、どこかできちんと話さないと。


 一度強く目を閉じたヴィオラは、厨房に向かって歩き出す。


「レオン。厨房にはまだ入れられないけど、話し相手くらいにはなってくれる?」

「それはもちろん、喜んで」


 ヴィオラはやや早足で、厨房へと急いだ。


 だから、ヴィオラは気づかなかった。

 ヴィオラが背中を向けた瞬間、レオンが城の中心へとちらりと視線を向け、その瞳が翳ったことに。

 痛いほどに握り締められたレオンの拳が、そこにない何かへ手を伸ばすように、腰のあたりを滑ったことに。

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