第24話 心配は愛情の裏返し

 冷たい風が頬を滑っていく。

 ノクスは、一度城内に戻るよりも、一気に中庭を飛び越えてエントランスから入る道を選択したようだった。確かにその方が、ずっと早い。

 ヴィオラを抱く腕には力が込められ、決して落ちることなどないのが分かる。ヴィオラを抱きしめたまま、悠々と、けれどかなりの速度で飛んでいたノクスは、一瞬の躊躇いの後に口を開いた。


「ヴィオラ。お前は連れて行かない」

「それなら、今はどこに向かってるの?」

「俺の部屋だ。外からも入れる。俺はな、同じ失態は犯さない」


 ヴィオラを包み込む腕に、ぐっと力が籠った。


「二度と、お前を傷つけさせたりはしない」

「だから安全な場所に閉じ込めておこうって?」

「嫌味な言い方をするな、お前のためだ。……言い方を変えようか? お前がいると俺は勇者との戦いに集中できない。だから大人しく守られていろ」

「……」


 その重々しい言葉に、ヴィオラは開きかけた口を閉じる。分かっている、ノクスの言いたいことは分かる。それに、正しいとも思う。

 けれどどうしても、死ぬかもしれない危険な場所にノクス1人を追いやることは、絶対に嫌だと心が叫ぶ。ひとりあの部屋に閉じ込められて、守られて、ノクスの安否を恐れてただ待つだけだなんて、絶対に、絶対に嫌だ。

 抑えたはずの言葉が、口をついて出た。


「嫌」

「……おい、ヴィオラ」

「私がいると足手纏いになるのは分かったから、そうね、私は絶対に介入しないと約束するわ」


 ノクスが危険に晒されない限りは、と心の中だけで付け足す。


「きっとノクスのことだから、透明化の魔法も使えるのでしょう? 確か光属の上級魔法よね?」

「人間の魔法理論は知らん」

「そう言うってことは、使えるんでしょう?」


 はあ、とノクスがため息をついた。


「この俺に使えない魔法があると思うか?」

「だったら、それを使って私をそばに置いてよ。レオン……勇者に、気づかれるような失敗はしないわよ」

「これから勇者との戦闘に赴こうという俺に、余計な魔法を使わせるのか?」

「ノクスにとっては使っている自覚もないくらい簡単な魔法でしょ?」


 私は、とヴィオラは強く宣言する。


「ノクスが戦っているのに、1人だけ安全な場所に閉じ込められているなんて絶対に嫌」

「全く、非合理極まりないと分からないのか? 我儘がすぎるぞ」

「人間なんて、非合理的な生き物なのよ。間違ってると知ってても、やらずにはいられないこともあるの」

「……」

「ねえノクス、分かって。……心配は愛情の裏返しなの」


 しばし黙っていたノクスが、やがて身体を傾け、進路を変える。ぐんと圧力がかかり、外に向かって飛び出していきそうな身体が、強く抱きしめられた。

 何も答えないのが、ノクスのせめてもの意趣返しなのだろう。けれど、最後にはこうしてヴィオラの意思を優先してくれる。そういう人だ。


 程なくして、全身に魔法がかけられる感覚があった。それと同時に、ノクスが一気に高度を下げる。

 ヴィオラの足が地面を捉えた。エントランスに繋がる廊下、奇しくもあの時と同じ場所だ。転びそうになったヴィオラを支えたノクスは、すぐにもう一度飛び立つ。


 エントランスの中央へと降り立ったノクスは、黙ってその赤い目を光らせた。背後からの気配に気がついた勇者レオンは、くるりと身体を返すと剣をノクスへと向ける。

 向かい合う両者。けれど、そのレオンの姿を見たヴィオラは息を呑んだ。


 やつれている、というのが正しいのだろう。金髪はくすみ、目には生気がない。これまでの道程の苦労を思わせるようなそのひどい姿に、さすがのヴィオラも言葉を失う。


 ――ヴィオラ、君のご飯はあったかいね。

 

 思わずというように呟かれた、あの時の言葉。穏やかな笑みを浮かべていたあの時のレオンとは、まるで別人のような姿だった。

 ノクスには、手加減する気は一切ないようだった。言葉を交わすこともなく、するりと抜き放たれた剣が躊躇なく突き出される。掠めただけでも死は免れないであろう、素早く情け容赦ない重い一撃。

 それがレオンの喉元へ届こうという時、レオンの手から、剣が滑り落ちた。


 からん、という乾いた音。


 警戒するように視線を向けたノクスは、凄まじい速さの斬撃を一度止め、地面を蹴って後ろに下がる。

 剣を取り落としたレオンに、何の策があろうかと、ノクスは疑いの視線を向けた。けれどすぐに、その目が見開かれた。


 落とした剣を、自ら遠くへと蹴り飛ばすレオン。腰に刺さっていた短剣すら後方へ投げ捨て、魔導具の類も全て外し、薬の瓶さえも地面に叩きつけて割る。完全に丸腰となったレオンは、掠れた声でノクスへと乞うた。


「……ヴィオラの、墓参りを、させてくれないか」


 あれ、と思った。


「その後僕は殺していい。拷問にかけるなりなんなり、好きにしてくれて構わない。ただ、ヴィオラに……僕がこの手で殺してしまったヴィオラに、謝ることだけ、許してほしい」


 悲痛な表情で、ノクスへと慈悲を乞うレオンを、ノクスは呆気に取られた顔で見つめていた。もちろん、ヴィオラも。

 ヴィオラの墓なんて、あるわけがない。ヴィオラはこうしてぴんぴんしているわけで、少なくとも今まで死んだことはないのだ。


「……勇者、お前の目的はまさかそれか?」

「そうだよ。一言ヴィオラに話しかけられれば、それで良い」


 どうしたものか、と思案にくれるように視線を泳がせたノクスだったが、すぐに思い出したように手を振る。何もない空間からするりと抜け出してきた黒色の糸のようなものが、一切の緩みもなくレオンを縛り上げる。

 その間も、レオンは抵抗しようとはしなかった。大人しく縛られたままのレオンに、ノクスが困惑した視線をヴィオラに送る。


「魔王、お願いだ。たった一瞬だけだから。ヴィオラの墓に行く一瞬だけ、僕に時間をくれ」


 完全にヴィオラに向き直ったノクスに、ヴィオラはなんとも言えない笑いを浮かべながら首を傾げる。ヴィオラの表情を目にしたノクスは、小さく溜め息をついた。


「全く、見事だな勇者。この俺でも、いや俺だからこそ、完全に無防備な相手を殺すような非道は躊躇う」

「っそれなら!」

「だがお前は一つ、思い違いをしている。決定的に、な」


 ノクスがひらりと手を振り、同時にヴィオラの身体を温かい感覚が走り抜ける。魔法がとかれたのだ。

 突然廊下の奥に現れたヴィオラに、レオンがしばし動きを止める。一拍置いて、その口から喘ぐような掠れ声が漏れ、制御を失った足がふらり、とよろめく。


「あー、レオン。その、久しぶりね?」


 どう話しかければ良いかも分からず、なんとも間の抜けた挨拶を口にしたヴィオラは、やがて曖昧な微笑みを浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る