第23話 甚振る趣味はない、のでは

「お前のように言い返してこないから張り合いがないな」

「素直じゃないって言いたいの?」

「その答えを聞いて誰が素直だと思う? ほらヴィオラ、たまには素直になったらどうだ? 他ならぬお前の願いだ、どんなことでも叶えて差し上げよう」

「それなら」


 ヴィオラは悪戯っぽく微笑むと、ノクスに向かって両手を伸ばした。


「抱き上げて。お姫様抱っこ希望よ」

「……は?」


 不意を突かれたノクスの顔。そう、この表情が見たかったのだ。

 

「なんでも叶えてくれるんじゃないの? 一度やってみたかったのよね、最強の魔王に抱かれて人を見下ろすの」

「良い趣味をお持ちのことで」

「ちょっと浮いてくれると嬉しいわ」

「はいはい、俺の姫君は我儘極まりないな」


 そうは言いながらも、楽しそうに口元を綻ばせたノクスが、そっとヴィオラを抱き上げる。その思いがけない優しい手つきに、意表を突かれてヴィオラは押し黙った。

 もっと軽い気持ちだったのだ。驚かせてやろう、と思ったくらい。

 それなのに、まるで壊れ物を触るような手つきでヴィオラを抱き上げたノクスに、顔に熱が集まってくるのが分かる。


 こうして触れ合っていると嫌でも感じるのだ。普段は服の下に隠れている、思いの外鍛え上げられた硬い身体を。冷たいどころか落ち着くくらいには慣れてしまった、ヴィオラより少し低い体温を。


「これで満足か、我が姫君?」

「え、あ、そうね」


 明らかに赤いヴィオラの顔に気がついているだろうに、ノクスはそれに言及せず、レイドへと目を向けた。ノクスに抱き上げられるヴィオラの姿に、顎が外れそうなほどに驚いていたレイドは、ノクスに見つめられて、ひく、と頬を痙攣させる。


「分かるだろう? 俺にも心がある。そして俺は、」


 言葉を切ったノクスは、抱き上げたままのヴィオラの髪に音を立てて唇を落とす。


「この通りだ。さて、問題を出そう」


 ちり、と空気が焦げる気配。ざわざわと揺れる森の音に、ラーラの啜り泣きが混じる。次々と枝が弾け飛ぶ音に、レイドはびくりと体を震わせた。


「今の、俺の感情は?」

「……ひ、いっ」

「答えないのか? 仕方がない、制限時間を設けよう」


 その一言とともに、一気に空気の温度が下がった。だらだらとレイドの顔から流れていた汗が、凍りついて動きを止める。ラーラの涙が、地面に落ちて砕け散った。


「ここまで場を整えたんだ、あとは答えるだけだろう? ほら簡単だ」

「レイドくん! い、や、私っ……」

「ラーラちゃん。お、俺が、君を助けっ――」

「聞こえないな。今のは俺の問題に答えたのか?」

「ノクス。人を甚振る趣味はないんじゃなかったの?」

「ああ。ただ何事にも、例外というものがある。俺の場合は、お前が関わればそれは全て例外だ」

「……」


 見事に沈黙させられたヴィオラは、黙ってノクスの首に回した腕に力を込める。

 信じさせてやる、とノクスは言った。正直、もう信じるしかないところまで来ていると思う。

 思うけれど、それならどうしたらいいのか、ヴィオラには全く分からない。


 空気が冷えていく。歯の根も合わぬほどに震えているレイドに、ヴィオラはちらりと視線をやった。そろそろ限界だろう。ヴィオラは彼らに聞きたいことがある。このまま殺されたら、困るのだ。


「ノクス」


 名前を呼んでその腕に手をかければ、ヴィオラの言いたいことを察したのかノクスが露骨に顔を顰めた。


「却下」

「話を聞いて。とりあえずこの気温、なんとかしてよ」

「お前に害はないようにしているだろう」

「私の問題じゃないのよ。言ったわよね、聞きたいことがあるって。それも達成できなかったら、わざわざ嫌な思いしてこんなところまで出てきた意味がないのよ」

「……」

「なんでも叶えてくれるって言ったわよね。ねえノクス、止めて」

「そんな意図で言ったわけではないんだがな」


 わざとらしく鼻を鳴らして視線を逸らしたノクスだったが、軽く目を閉じた瞬間に、急激に周囲の温度が戻る。

 安堵のあまりか、声をあげて泣き出したラーラに、ヴィオラは肩をすくめた。


「ねえレイドさん。分かるかしら、今のノクスを止められるのは、私だけなのよ」

「……あ、ああ! なんでもする、だからヴィオラ、頼む!」


 ようやく自分の立場を理解したのか、一気に色を失った顔で、レイドが縋るように口にした。


「それなら、私の質問に答えて。人間軍の戦略は? 今勇者は何をしているの? 陛下は何を考えてる?」

「そ、それは……」

「答えられない?」

「答えたら、こ、殺される」

「答えなくても同じじゃない?」

「……」


 優しい声で、ヴィオラは語りかけた。


「答えたら、あなたにはまだ猶予があるわ。なんらかの武勲を立てて罪を償うもよし、いっそ国外に逃げ出すもよし。答えた方がまだ幸せな未来があると、思わない?」

「ひっ、だ、が……」

「ねえ、それとも陛下への忠誠を気にしてる? 考えてもみて、陛下が命の危機に晒されることはないのよ。秘密を明かすくらいなら、命を捨てろだなんて、命を失うはずもない人が言っているのよ?」

「ゆ、勇者、は」


 迷いを振り切るようにして、話し始めたレイドに、ノクスがヴィオラの耳元で囁く。


「全く見事な口上だな」

「ノクスならこうすると思って」

「勇者、は」


 震える声で2人を見上げたレイドが、口にする。


「い、今の勇者一行は、囮、です」


 しん、と静まり返ったその場。


「……え?」

「今の勇者一行の中に本物はいません。本物の勇者は、単騎、最短ルートで魔王城への突入を」


 レイドの言葉が切れた瞬間だった。

 耳をつんざくような音が、魔王城中に響き渡る。不安を煽るような、明らかに異変を感じさせる不快極まりない音。瞬間、顔を強張らせたノクスは、目を閉じると意識を集中させた。

 そして、かっと見開かれた真紅の目が、真っ直ぐにヴィオラを捉える。


「――勇者だ。場所は、エントランス」


 一瞬言葉を失ったヴィオラだったが、すぐに頷く。


「行きましょう」

「ああ」


 ノクスに拘束され、その場に座り込んだレイド一行をそのままに、ヴィオラを抱き上げたノクスは強く地面を蹴る。

 ぐんぐんと遠くなっていく大地に、ヴィオラはノクスを抱く腕に縋るように力を込めた。

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