第22話 後悔している、なんて嘘

「ヴィオラ! 本当に、生きていて良かった。久しぶりだね!」


 両手を広げてわざとらしい笑顔を貼り付け、こちらを見上げる剣士の男――レイドを、ヴィオラは冷めた目で見つめ返す。死んだと思っていたヴィオラの生存を聞かされたのだ。もう少し驚くかと思っていたが。

 おそらく本当に、ヴィオラという人間に興味がないのだろう。

 

 元パーティーメンバーだった彼らが到着したという城門まで来てみれば、城壁の上にはとんでもない人だかりができていた。ヴィオラのかつての仲間を一目見ようと集まっているのだろうが、ヴィオラとしては彼らを仲間などとは認めたくない。

 

 なんせ、当時は全てラーラを中心に世界が回っていたのだ。ラーラが疲れれば休憩。ラーラのやる気がなければその日の偵察は途中終了。誰かが怪我をしても、ラーラの気が進まなければヴィオラに仕事が回ってくるし、逆にラーラがやる気に溢れている時は手を出すことは許されない。

 料理だけはヴィオラが毎回作っていたが、それも当たり前のこととして黙殺。


 彼らを見つめる目が、少しばかり恨みのこもったものになってしまうのも、仕方ないことだと声を上げて主張したい。


「ヴィオラちゃん! あの時から、私辛くて辛くて……本当に、夜も眠れなかったの。ご飯も食べられなくて、すごく痩せちゃって。ヴィオラちゃんが忘れられなかったの!」


 可愛らしいと称される笑顔を浮かべ、両手を大きな胸の前で組み合わせたラーラが、ヴィオラに向かって話しかける。あの時は視界にも入っていないという感じだったのに。

 それもこれも、ヴィオラがノクスに気に入られ、魔王城に住み着いているからだろう。メンバー全員でよってたかって、ヴィオラのことを昔の大切な仲間だったと記憶を改竄している。全くもって、都合の良い話だ。


「……久しぶりね」


 渋々言葉を返したヴィオラは、これから言われることは全て聞き流そうと決めた。そもそもヴィオラは魔王城から出るつもりもノクスから離れるつもりもないし、今回の目的としては少しでも彼らから人間軍、ひいては勇者の情報を聞き出すこと。


「ヴィオラちゃんがいなくなってから、私たちとっても大変だったのよ」

「そう」

「代わりにこのラーラが食事を作ってくれたんだ」

「もう! レイドくん、ヴィオラちゃんの前では黙っていようと思ったのに、なんで言っちゃうの! 私なんか本当に下手くそなんだから、ヴィオラちゃんと比べないでよ」

「そんなことないよ」


 力説するレイドの鼻の下が伸びているのを見て、ヴィオラは首を振った。

 ヴィオラの方が料理は上手い。この場合は謙遜ではなく事実だ。普通、魔王討伐に出るような人間は料理をしない。携帯食で済ますのが一般的だ。ラーラの腕前もご多分に漏れずひどいものだった。一度だけ、ラーラが主張して作った料理を食べたことがあるのだから間違いない。


「ラーラちゃんの料理が一番さ」


 何を見せられているのか、とヴィオラはため息をつく。なお、この時点で囮にしたことへの謝罪は一切ない。もう面倒になって、さっさと本題に入ろうと口を開きかけたところで、2人の会話を遮るように低い声が響いた。


「ラーラ、と言ったか? なるほど、ヴィオラ以上の料理というのなら、一度食べてみたいものだな」

「ノクス!」

「ま、魔王っ!?」


 今までの腑抜けた表情はどこへやら、空から城壁へと降り立ってきたノクスの姿を捉えたレイドは、あっという間に逃げ出そうとする。けれどその体はつんのめったように止まり、レイドは恐怖に顔を歪めた。


「な、なんだこれは!」


 動けなくなる魔法だろう。ヴィオラも一度だけかけられた。

 どういう類のものかはヴィオラには全く分からない。運動系統のものと想像くらいはつくが、解除方法など考えるだけ無駄だ。とりあえず、ああなったらノクスが魔法を解くまでは決して動くことはできないだろう。

 

 レイドの様子に気がついたラーラが、泣き出しそうな表情を浮かべる。ラーラもまた、気がついたのだ。自分の身体の制御が、すでにノクスの手のひらの上にあるということに。

 レイドの後ろに控えていた他のメンバーたちも、一拍遅れて自分たちの状態に気がついたようだった。引き攣った悲鳴が上がる中、この状況を引き起こした張本人は、ヴィオラの隣に降り立って悠々と笑う。


「ヴィオラ、勝手に俺の目の届かないところに行くなと言ったはずだ。もう忘れたのか?」

「だって、ノクスはこうして来てくれるでしょう? 私がノクスから離れないんじゃなくて、ノクスが私を追いかければ良いの」

「全く、それがこの俺に言う言葉か?」

「傲岸不遜っぷりを、誰かさんから学んだのよ」

「順調に俺の色に染まっているようで、素晴らしいことだな」

「ちょっと言い方!」


 ヴィオラがかっと顔に集まる熱を自覚したところで、一つの声が空気を切り裂いてヴィオラたちの元へと届く。


「離せ!」

「なぜ?」


 すっと目を細めたノクスが、精一杯の虚勢をかき集めて叫んだ男へと視線を向ける。その様子には明らかに怒りがこもっていて、真紅の瞳を正面から見返すことになったレイドはひっと喉の奥から悲鳴を漏らした。


「お前は俺の居城たる魔王城に勝手に侵入した。その報いは当然受けるべきだろう? それとも、他人の家に武器を持って土足で踏み込むのがお前らの流儀なのか?」

「お、俺たちはヴィオラのパーティーメンバーだ」

「勘違いしないでくれるかしら? パーティーメンバーよ」

「俺たちはヴィオラの仲間なんだ! そんな俺たちに手を出したら、魔王、お前の愛するヴィオラがどんな気持ちになるか!」

「私の言っていること聞こえてる? 私はあなた達がどうなるか、全く興味がないんだけど」

「魔族は知らないが、人間には心がある! お前が真にヴィオラを愛していると言うのなら、俺たちの扱いを考えた方がいいぞ魔王!」

「やっぱり聞こえてないわよねえ」


 昔からレイドにはこういうところがある。気持ちが盛り上がると、ヴィオラの言うことなど一切耳に入らなくなるのだ。

 圧倒的に事実を誤認したまま、最高の口上を決めたとばかりに胸を張るレイドの姿は、正直言って滑稽で痛々しい。


「なるほど、言いたいことはそれだけか?」


 まるで他人事のようにぼうっと考えていたヴィオラは、しかし隣から聞こえてきた声に恐る恐る視線だけを動かしてノクスを見つめる。

 声が冷たい。氷河どころではない冷たさに、怒りを向けられているわけでもないヴィオラの背筋さえも冷たくなる。その顔を見れば、清々しいほどに無感情だった。一切の表情が抜け落ちたその顔は、ある意味でとても魔王らしく、そしてとんでもなく怖い。


「俺は優しいからな、問答無用で貴様らを消し炭にする前にいくつか事実を教えて差し上げよう」


 1つ目、とノクスが口にした瞬間、鋭い風が吹き抜ける。刃のようなそれは、レイドの顔のぎりぎりを掠めて通り過ぎ、その頬にごく浅い傷を作った。


「俺が貴様らに何をしたところで、ヴィオラは気にしない。そうだろう?」

「ええ」

「そんな、ヴィオラちゃん?! 私を見捨てるの!? 仲間だったじゃない!」

「昔から、足を踏んだ方はすぐに忘れても、踏まれた方はいつまでも覚えているって言うわよね。……ラーラさんたちにとっては仲間だったかもしれないけど、私は一度もあなたたちを仲間だと思ったことはないわ。それに、囮にしたこと、私は簡単に忘れないわよ」

「……そ、えっ、そのことはごめんなさい! 私、あの、後悔してずっと謝りたくて、謝れなくて辛くてっ」

「今の今まで忘れてたくせによく言うわ」


 はあ、とため息をついたヴィオラは、面倒になって会話を切り上げた。全くもって会話に内容がない。相手にするだけ時間がもったいないのだ。この時間があったら夕食の仕込みをしたい。


「理解したか? 俺は貴様らを、心のままに好きにできるというわけだ。他人の威光に縋るな、情けない」


 2つ目、とノクスが口にした瞬間、再び風が駆け抜けた。今度血が滲むのは、顎。明らかに首に向かって距離を詰めたそれに、レイドが怯えるようにきつく目を閉じる。


「人間と同じように、魔族にも心がある。……そして俺にもな。俺が言いたいことが分かるか? いや、その脳味噌では無理か」

「ひっ……」


 怯えるばかりで言葉を返そうとしないレイドに、ノクスは肩をすくめてヴィオラに視線を向けた。

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