第18話 再会

 ――お前が、俺なしでは生きられなくなったら、その時はやめてやるよ。


 おかしい、と何度目かも分からない呟きを、ヴィオラは漏らす。


 魔王城、ヴィオラの部屋。5年の間に埃だらけになっているとばかり思っていたその部屋は、その予想に反して、ずっと使われていたかのように何もかもがそのままだった。

 掃除されているのとも違う。いや掃除はされているのだが、ヴィオラが出しっぱなしにしていた本はそのまま机の上にあるし、脱ぎ捨てていた上着もそのまま寝台の上へ無造作に放られている。

 まるで時が止まったかのように、ひっそりとその部屋は保存されていた。


 こうしてヴィオラの部屋が残っていたというだけでも驚くような話なのに、ノクスはまるで別人だ。


 熱の篭った視線でヴィオラを見つめ、あまつさえ、あんな、唇を――。


 顔に集まってくる熱に、ヴィオラは慌てて首を振った。おかしい、何かの間違いだ。

 そうだ、5年もかけて蘇生すれば愛着も湧くはず。1日かけて作った渾身の一品をうっとり見つめてしまうような、そういう感情、だろう。


 それならば、なぜ、ノクスはヴィオラを蘇生した?

 

 何度目かも分からない、おかしい、という声を漏らしたところで、勢いよくヴィオラの部屋の戸が叩かれた。


「女!!!」


 扉を開けるまでもなく、訪れた相手を理解したヴィオラは立ち上がると、扉へと歩く。イグナーツ、と声をかけ、扉を開けたヴィオラは、目の前に広がる光景に息を呑んだ。

 廊下いっぱいに、人が詰まっている。初めて料理を作った時の、最初の部屋を思い出すような光景だ。


「イグナーツ? これ、どういうこと?」

「もちろん」


 言葉を切ったイグナーツが、に、と珍しい笑顔を作る。


「皆、貴様の目覚めを待っていた連中だ」

「え……?」

「ヴィオラさん」


 真っ先にヴィオラへと歩み寄ってきたのは、アルノルトだ。

 神経質そうに眼鏡を押し上げる手が、微かに震えているのを見て、ヴィオラは目を瞬かせた。


「素晴らしくお寝坊でいらっしゃるようですね」

「相変わらずで何よりよ、アルノルト」

「……私の責任です。申し訳ない」

「え?」

「貴女を死地に追いやり、刺された貴女をただ見ていることしかできませんでした。それは――」

「アルノルトのせいじゃないわよ。イグナーツのせいでもね」


 どうやらこの真面目な男は、ずっと、あの日のことを気にしていたらしい。

 さっと言葉を遮ったヴィオラは、何でもないことのように笑顔を浮かべた。


「私が決めたこと。生きてるんだから、良いでしょ。……まあ、私のご飯が食べられなくなったことだけは、可哀想だけど」

「……ええ、とても味気ない食事でしたよ」

「でしょうね! 私の料理が恋しかった?」

「それは、もう」


 ふ、と相好を崩したアルノルトは、片手で背後を指し示す。


「貴女に挨拶したい者はこの通り、廊下に詰まるくらいにはいますから、私はこれくらいにしましょう。……何にせよ、無事で良かった」

「アルノルトが素直だ」

「いらないことを言う口は塞いで差し上げましょうか? 人の好意は素直に受け取っておけば良いのです」


 アルノルトを押し除けるようにして出てきた男が、ヴィオラの手を握りしめる。


「ヴィオラ君」

「レスターさん! 会いたかったわ」

「私の時とかなり対応が違いますね」

「アルノルトは一言目から喧嘩売ってきたじゃない」


 顔を見合わせて、笑う。

 レスターたちに引きずられるようにして部屋を出たヴィオラは、そのまま厨房へと連行される。その期待の目を見れば、ヴィオラとしてはもう応えるしかないわけで。


 厨房に立ったヴィオラは、室内を物色し始める。

 食材は残っている。だが外の畑は全滅に等しかったし、ヴィオラが5年前にいそいそと溜め込んでいた調味料の類ももう駄目になっているだろう。ほとんど期待せずに、調味料をしまっていた棚を開けたヴィオラは、何度目かも分からない驚きを味わうことになった。


 全て、何事もなかったかのように収まっているのだ。5年前の油。普通に考えたら、使い物にならないどころか見るも無惨な有様だったはずだ。

 呆然と立ち尽くすヴィオラに、苦笑したレスターが説明する。


「魔王様だよ」

「ノクスが?」

「ここだけ時間の流れがゆっくりになっている」

「……それ、とんでもない高位魔法じゃない?」

「少なくとも、この世界で使えるのは魔王様くらいだろうね」

「なんで、そんなたかが調味料なんかに……」


 呟いたヴィオラだったが、棚をかき分けたところでぴたりとその手が止まる。

 恐る恐るというように、調味料の隙間からひしゃげたフライパンが引っ張り出された。


 こちらは、ひどい状態だった。見慣れた赤い取っ手がついていなければ、フライパンであるということすら分からなかったかもしれない。

 何かに叩きつけられたかのように折れ曲がったそれを、爆薬でも扱うかのようにそろそろと目線の高さまで持ち上げたヴィオラは、聞くのが怖いと思いつつレスターへ問いかける。


「これは?」

「……魔王様だよ」

「なんでこうなったの?」

「それは、まあ……僕の口からは語れない、としか。君が目覚めなくなってすぐのことだ、許して差し上げてくれないか」

「許すって、別にフライパン一つでどうこう言わないけど……何をしたらこうなるのかしら?」


 にこり、と笑ったきり一切口を開こうとしないレスターに、ヴィオラもそれ以上の追求を諦める。

 予備のフライパンを引っ張りだしたヴィオラは、厨房の入り口に隠れているつもりで全く隠れられていない男たちへと問いかけた。


「何が食べたい?」


 一斉に騒ぎ出した男たちを、ヴィオラは手を振って止める。何を言っているのか、全く聞き取れない。少なくとも何十品という料理名が挙げられていることは分かった。どう考えても今から全て作るのは無理だ。

 誰に聞こうか、と悩み始めたところで、入り口付近がしんと静まり返る。


「ヴィオラ」


 こつこつと厨房内に入ってきたノクスに、ヴィオラは弾けるような笑顔を浮かべた。

 ノクスに聞けば良い。それなら絶対に喧嘩にはならないし、誰もが選ばれた料理に納得するだろう。しかも同時にノクスの好物まで聞き出せる。格好の機会だ。

 5年経った。5年経ってしまったが、ヴィオラはノクスに美味しいと言わせるという夢を諦めてはいない。


「ノクス!」


 思わず弾んだ声に、ノクスは満足げな微笑みを浮かべた。

 しかしそれも、すぐに真顔に戻る。ヴィオラへと近づき、片腕で抱き寄せたノクスは、耳元で囁いた。


「何をしている?」

「見れば分かるでしょ」

「お前はまだ万全の状態ではない」

「私が初めてここに来た時みたいなご飯を出され続けたら、いつまで経っても万全の状態にはなれないわよ。それに、ノクスも私のご飯を食べたいんじゃない?」

「ああ」

「……えっ?」


 あっさりと肯定したノクスに、ヴィオラは目を剥いた。恐ろしいほどに素直だ。素直すぎて、一周回って怖いし達成感がない。


「食べたいの?」

「ああ」

「本当に?」

「だから食べたいと言っている。5年の間に耳が遠くなったか? だが」


 そこでふっと声を潜めたノクスが、吐息を絡めて囁く。


「いくら料理中とはいえ、この状況は、気に食わない」

「この状況?」

「魔王城は男が多い」

「ええ。それで?」

「言わないと分からないか?」

「何を?」


 肩をすくめたノクスが、ヴィオラの耳元から身体を引いた。そのまま戸口で固唾を飲んで見守る男たちへ、すっと視線を滑らせる。紅玉の瞳に影が落ち、ゆらりと奥で暗い赤が蠢く。

 顎を包むように掴まれ、上を向かされた。痛くはないが抗えぬ力に、ヴィオラは咄嗟に片手で口元を覆った。


 物問いたげに、ノクスがヴィオラを見つめる。けれどヴィオラも負けていられない。威嚇とばかりに抗議の意味を込めて見つめ返せば、ノクスはヴィオラの手の上に唇を落とした。するりと、魔力がヴィオラへと流れ込む。


「粘膜でないと効率が悪いな」

「っノクス!」

「言っただろう。これは治療行為だ」

「だったらもっと淡々とやってよ! ノクスの行為はいちいち」


 口篭ったヴィオラの姿に、ノクスはくつくつと喉の奥で笑い声を立てる。


「いちいち、なんだ」

「なんでもないわよ」

「そうか」


 ヴィオラからあっさりと手を離したノクスは、やや離れた厨房の壁へと寄りかかる。


「ワイン煮だ」

「え?」

「今日の食事を決めていたのだろう? それとも俺の色気に10秒前の記憶まで飛んだか?」

「……自分で言うところが残念ね」

「事実だからな」


 臆面もなく言い放つ男に、ヴィオラは諦めの溜め息をつく。

 そして背伸びをすると、5年前と変わりなくぎっしりと調味料の詰まった棚へ手を伸ばしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る