第12話 餌付け攻防戦

「魔王様、美味しい?」


 今や恒例となった、大ホールでの食事。

 今までは魔王とその側近数名だけが大ホールで食事をとり、それ以外は適当に空いた部屋や自室でとるというのが慣習だったという。けれどそれはヴィオラが却下した。料理を運ぶのも取り分けるのも面倒だし、その間に冷めてしまうのが勿体無いからだ。それにご飯は、みんなで食べた方が美味しいに決まっている。

 がやがやと騒がしい大ホールの中で、ヴィオラは魔王にしつこく絡んでいた。


「……」

「どう? 今日のは美味しい? お酒が好きって聞いたから、ワイン煮っぽくしてみたんだけど」


 答えはない。けれどヴィオラはめげない。


 翌日も、そのまた翌日も、ヴィオラは魔王に迫る。


「魔王様! 今日はパイにしてみたの、今日はジャガイモじゃなくて真面目にパイ生地を焼いたんだから! 大変だったのよ!」

「魔王様! 今日は見た目重視で、そのまま花を使ってみたんだけど!」

「魔王様! 今日は派手に行こうと思って、爆発系統の術式を仕込んだ棒を刺してみたんだけど! ほらパチパチして綺麗でしょう? あっお肉が焦げ――っ!?」

「魔王様! 今日は環境重視で、光属の術式で夜景の映像をご用意してみました! 高いところからの景色を眺めながらの食事って良くない?」

「魔王様! 今日は――」


 あまりにもしつこいヴィオラに、魔王がついに根を上げたのは、毎食ヴィオラが絡むようになってから五日目のことだった。


「今日は何だ」

「えっ……」

「何だ」

「魔王様が返事をしてくれたことに、私感動してる……」


 溜め息をついた魔王が食事を始めそうになったのを、ヴィオラは慌てて止める。せっかく会話をしてくれる気になったのだ、これを逃すのは惜しい。


「できれば私のご飯の感想を聞きたいんだけど」

「……」


 無言のままカトラリーを握った魔王の手を、ヴィオラは咄嗟に押さえつける。驚いたように僅かに目を見開いて、魔王がヴィオラを見上げた。

 そういえば、前もそうだった。


「ごめんなさい。……触れられるの、嫌いだったわよね」

「いや」


 短い否定に、ヴィオラは目を瞬かせる。


「嫌いではないの?」

「だからそう言っている。耳が遠くなるのには早くはないか?」

「それならよかったわ。私、またやっちゃったのかと思った」


 笑ったヴィオラに、魔王は落ち着かないというように軽く首を振る。初めて見る様子に、ヴィオラは内心かなり期待しつつ次の言葉を待った。


「お前には怒りという感情がないのか?」


 けれど、迷いの末に吐き出された言葉は意外なもので。

 その意図するところが全く分からなかったヴィオラは、今度こそ首を傾げる。


「怒る? 何を?」

「なら良い」

「ちょっと気になるじゃない? そこで切るのあり? 私はなしだと思う」

「……」


 再びカトラリーへと手を伸ばした魔王の手を、今度こそヴィオラはがっちりと掴んだ。


「触られるの、嫌ではないんでしょう? 私が何に怒っていると思ってたのか、答えてもらうまで離さないから」

「ほう?」


 ヴィオラを見上げた魔王の目が、僅かに細められて弧を描く。楽しそうに笑った男は、掴まれていない方の手でそっとヴィオラの手を包み込んだ。


「っ!?」


 ヴィオラよりも冷たい手が、ひんやりとした心地よさでヴィオラの手を包む。人差し指の先から丁寧に指をなぞって撫で下ろしていき、指の間をくすぐる不埒な手に、ヴィオラが思わず手に力を込めれば、くつ、と喉の奥で男が笑い声を立てた。

 ヴィオラの手から離れ、手首を滑って肩に向かってゆっくりと腕を登っていく冷たい手に、思わずヴィオラがぱっと手を引けば、魔王は満足げな笑みを浮かべる。今度こそ食事を始めた男を、黙って見ていることしかできなかった。


 ヴィオラの手には、まだ触れられた感触が残っている。ヴィオラの体温よりは冷たかったはずのそれが触れた場所なのに、そこは妙に熱く感じられた。

 

「……っ魔王様! まだ私の料理の感想を聞いてない!」


 ヴィオラが大声を上げれば、ちょうど一口頬張ったばかりの魔王が視線だけでヴィオラを見上げる。そのまま二口目へと手を伸ばす魔王は、ある意味それだけでヴィオラの質問に答えているようなものだったけれど、ヴィオラとしては口に出して言わせないと満足できない。


「魔王様! だから感想をっ――!?」


 ヴィオラの言葉が途切れた。口に、柔らかく煮た肉を突っ込まれたからだ。もちろん、魔王に。

 抗議しようにも、口の中いっぱいに食べ物が詰まっている。口に物を入れて喋るなど、品のないことをするわけにはいかない。もそもそと咀嚼し、飲み込んだところで口を開こうとする。

 ヴィオラの口が半開きになった瞬間、今度は野菜が突っ込まれた。


「〜っ!!」


 膝を叩き、無言で抗議するヴィオラと、我関せずという顔で食事を続ける魔王。

 ヴィオラに手ずから食事を与える魔王というあり得ない光景に、食堂の中はしんと静まり返っているのだが、当の本人たちは気づく様子もない。


 新たに食べ物を入れられないように両手で口を覆い、どうにか口の中のものを飲みこんだところで、ヴィオラは抗議する。


「魔王様! 無理やり黙らせるなんて卑怯よ!」

「隙だらけなお前が悪い。自業自得だ」

「そりゃ魔王様からすればただの人間なんて隙だらけでしょう! 誤魔化そうたって無駄よ! ほら私の料理の感想!」

「……」

「あーもう、何でそこで黙るのよ! 意地になってるでしょう!?」

「意地になっているのは果たして俺か?」


 図星を突かれたヴィオラは唇を尖らせるとカトラリーに手を伸ばし、一番良さげな肉を突き刺す。

 そのまま仕返しとばかりに、魔王の口に突っ込んでやった。


 真紅の目が一気に見開かれ、僅かに顔が逸らされる。完全に不意を突かれたというその様子に、ヴィオラは勝ち誇った。


「ほら、美味しいでしょう!」

「……」


 意地になっているのは両者。

 結局決着はつかないまま、その日はお開きになった。



 ◇


 

「ヴィオラ!」

「レイク! おはよう」


 廊下ですれ違いざまに声をかけられ、ヴィオラは笑顔で手を振る。

 魔王城の中にも知り合いは増え、ヴィオラを受け入れてくれる者も増えた。例のローブを捨てたことも大きかったのかもしれないけれど、美味しいものを一緒に美味しいと言える関係が、ヴィオラは嬉しい。


 けれど、よく分からないことがひとつ。


「……」

「魔王様? 何、どうしたの?」


 通りすがりにヴィオラをじっと見つめ、満足げに鼻を鳴らして去っていった男。

 何がしたいのかさっぱり分からない行動に、ヴィオラは首を傾げた。


「最近、全然魔王様が分からない」


 前より魔王を廊下で見ることが増えた。それは長年魔王城に暮らしてきた者たちも同じことを言っているのだから間違いない。

 魔王と魔王城に住むものたちとの距離が近づくのは良いことだが、やたらとヴィオラに絡んでくる理由が分からない。もしかして仕返しだろうか、しつこすぎるヴィオラへの。


 考えたところであの男の考えが読めるわけもないのだ。早々に諦めたヴィオラは、人気のない廊下へと足を向ける。居住区とも大ホールとも離れたそこには、滅多に人は来ない。胸像が置かれているのもそのあたりで、ヴィオラにとってお気に入りの場所だった。

 

 いつものように廊下にたどり着いたヴィオラだったが、微かに聞こえてくる話し声にぴたりと足を止めた。どうやら今日は先客がいるようだ。すぐに離れるべき足が動かなくなったのは、不穏な響きを孕むその声の中に、魔王様、の単語を聞き取ったから。


「……おっそろしいよな、魔王様って」

「傲慢なとこは腹立つけど、逆らったら殺されるし?」

「近寄れないよな、あんなの。俺たちと同じ生き物じゃないって」


 あからさまな声に、ヴィオラは顔を顰める。


「……おい」


 咄嗟に叫び出さなかったのは、すぐにヴィオラの口が塞がれたから。

 後ろから抱きしめるような格好で、魔王がヴィオラを見下ろしていた。

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