第11話 屈服させるのは

 食事会は大好評だった。


 たまたま一度開催しただけの食事会だったが、頼まれて回を重ねるにつれ次第に人数が増えていく。大ホールに置かれた机は1つ、2つと増えていき、最初は戦々恐々といった様子だった魔族たちも、食事時になると笑顔で大ホールまでやってくるようになった。

 扉の外から興味半分、緊張半分といった様子で覗いていた男たちを手招きしたら、一瞬の躊躇いの後にほっとしたような顔で入ってきたこともあった。その顔を見れば、最初にヴィオラの喉元に槍を突きつけた彼だった。


「その、あの時はすまなかった」


 気まずそうな声で謝る彼に、ヴィオラは笑って焼きたてのパイを差し出した。


 ヴィオラの作る料理は美味しいと評判で、皆ヴィオラが魔王城にきてくれて良かったという。そんな言葉を向けられるたびに、わいわいと賑わう大ホールを見るたびに、ヴィオラは口元を綻ばせずにはいられないのだ。

 美味い、の一言が、こんなにも嬉しい。やはり大人数で食べる食事は、何よりも美味しいのだ。

 

 けれどただ1人、魔王からだけは美味しいの一言が引き出せていない。それが悔しくてたまらないヴィオラである。


「ねえ胸像さん。魔王様ってどうやったら美味しいって言ってくれるのかしら」


 いつものように胸像に餌付けをし、その隣に寄りかかってヴィオラはぼやく。

 初めて朝食を作った時に出会った胸像は、今も変わらずそこでヴィオラを見ていた。時折、食事を与えては話を聞いてもらっている。ヴィオラは勝手に友達だと思っている。


「よく分からない人なのよ。私の料理は少なくとも嫌いではなさそうだけど、偉そうだし、自分勝手だし。でも、それだけだと納得できないというか」


 あの立派な厨房を作ったのは、魔王らしい。料理をしないはずなのに、どこであんな、人間のヴィオラが使いやすいと感じる厨房を知ったのか。


 ――どの種族なのか誰も知らない。全く、謎の多いお方だよ。

 レスターの呟き。


 ――……俺が理を外れた存在だと?

 初めて会った時、わずかな含みと共にヴィオラに向けられたその言葉。


「私のことは嫌いなのかもしれないけど、本当に態度通り偉そうで近寄りがたい人なのかしら」


 がた、と胸像が揺れた。驚いてヴィオラは、その真っ白な顔を見上げる。


「え、なに、魔王様のことに詳しいの?」


 振動。この場合は、肯定か。


「それなら教えてくれない? 魔王様ってどんな人? ……って答えられないわよね」


 胸像が一度目を閉じた。これは、初めて胸像を見つけ、部屋に飛ばされた時と同じ。きっと、ヴィオラをどこかに移動させるつもりなのだ。

 一瞬迷ったヴィオラだったが、すぐに頷いて目を閉じた。


 全身がふわりと浮く感覚。

 そして次に目を開けたときは、暗闇だった。


 

 目を閉じても開けても変わらないような暗闇。どこに飛ばされたのか全く分からない。

 ヴィオラは座り込んだ格好のままで、足に当たる感触はひどく柔らかかった。ぐ、と地面を押したところ、柔らかく沈み込んだ後に微かに反発するような感触がある。

 これと良く似た感触をヴィオラは知っている。寝台の上だ。


 まさかね、と笑ったあたりで、少しずつ目が慣れてきた。室内であることは確かだ。四方を壁に囲まれた空間の中に、ぼんやりと家具と思しきものが浮かび上がっている。

 ヴィオラがいるのはやはり寝台の上のようだった。誰のものかは分からないが、いきなり人を他人の寝台の上に飛ばすなど、なかなか攻めたことをする胸像である。それとも、衝撃を和らげようというヴィオラへの気遣いなのだろうか。


 そんなことをつらつらと考えていたヴィオラだったが、その息が急に詰まった。

 やや左にある、大きな影を目にしたからだ。目を凝らせば、その影は微かに動いている。

 頭と思しき場所から流水のように流れ落ちる髪の毛。その上を飾るのは、立派な、角。渦を巻くそれを目にした瞬間、ヴィオラは自分が誰の寝台の上に飛ばされたかを理解した。


「ちょ、胸像さん……」


 確かに、確かにヴィオラは魔王のことを知りたいと言った。

 けれどだからと言って、いきなり本人の寝台の上に転移させるとは如何なるものか。


「あ、えー、魔王様?」


 返事はない。突然寝台のうえに現れたヴィオラに動揺するでもなく、当たり前のようにヴィオラの存在を認めるでもなく、まるでヴィオラなど存在しないかのように反応を返さないのだ。


「ごめんなさい、でもこれは私のせいじゃなくて、あの廊下にいた胸像さんが勝手に、ね? ほら、あの――」


 突然ぐっと腕を引かれ、ヴィオラは体勢を崩した。なすすべもなく崩れ落ちようとする上半身を、力強い腕が支える。


「……え?」


 魔王に抱き止められた格好のまま、ヴィオラは恐る恐る上を見上げた。

 暗闇の中で、真紅の瞳はぼんやりと発光しているように見える。相変わらず何の感情も宿さぬその目を、ヴィオラは困ったように見つめ返した。


「あの、ありがとう?」

「……」


 それでも魔王は、ヴィオラから手を離そうとしない。それどころか、ヴィオラを抱く腕に力を込める始末だ。


「えっと、魔王様?」

「何だ」


 ようやく反応が返ってきたことにほっとしながら、ヴィオラは問いかける。


「離してはくれないかしら?」

「なぜ?」

「なぜ、って……魔王様は、私に何をしようとしているの?」


 暗闇の中でも、魔王がふっと笑ったのが分かった。細められた目が、艶を持って蕩ける。吐息と共に零された言葉は、腰が砕けそうな微熱を含んでいた。


「寝台の上に男と女がいて、することと言えばひとつだろう?」

「……色は好むけれど、相手は選ぶのではなかったの?」

「覚えていたのか。だが好みというのは、変化するものだ」


 すす、と魔王の指先がヴィオラの腰を撫で下ろす。明らかに色を思わせる手つきに、当てられたように勝手に熱くなる頬を無視して、ヴィオラはつんと顔を背けた。


「ねえ、同意なく女を襲って楽しい?」

「最初に色仕掛けをしたのはお前だろう?」

「あの時は命がかかってたから。今から襲ったらそれは同意なしになるわよ」

「いつまでその強気な態度が続くか、見ものだな」

「魔王様」


 顔を思いっきり顰めたヴィオラは、真っ直ぐに男を見つめ返す。


「私は抱かれたところで、あなたの思い通りにはならないわよ」

「……」


 動きを止めた男に、ヴィオラは身を捩って腕の中から抜け出した。抵抗されるかと思っていたが、その様子もなくヴィオラは無事に寝台から降りた。

 黙ってヴィオラを見つめ、艶かしく垂れ落ちる髪をうるさそうに払った男に、ヴィオラは言い放つ。


「確かに魔王様はそういうの慣れてそうだし、あなたの技術なら私を落とすくらい簡単なのかもしれない。そうやって力とか、色仕掛けとかで他人を屈服させることが、今までのあなたにとって人を思い通りにする方法だったのかも。でもね、私を従わせたいのなら、それは逆効果よ」


 真っ暗な室内の中、何かを蹴り飛ばしながらヴィオラは扉へ向かって歩く。


「私は、私を大切にして甘やかしてくれる人の方が好きなの。魔王様みたいに、無理やり従わせようとするんじゃなくて、ね!」


 扉へと辿り着き、振り返ったヴィオラは、魔王に向かって一本指を突き出すと最後に宣言した。


「それに、屈服させるのは私。何がなんでも、美味しいって言わせてみせるから!」


 踵を返したヴィオラが勢いよく扉を開け放ったのと、その扉が外側から開かれるのが同時だった。

 途端に飛び込んできた強烈な光に、ヴィオラはさっと目元を覆う。


「魔王様、失礼しっ――!?」


 指の隙間から見上げれば、そこに仁王立ちするのは1人の男。動揺を含んで、その大きな翼がびくりと揺れる。真紅の髪が、ぴんと逆立った。


「魔王様の、魔力の香り……?」


 ヴィオラは自分の身体を見下ろす。その拍子にヴィオラの肩から、抜けたばかりの長い漆黒の髪が滑り落ちた。

 室内には、寝台の上で気だるげに身体を横たえる魔王。


 きゅ、と目の前の男の瞳孔が収縮した。


「女!!!!!!」


 魔王城中に響き渡るような大声だった。

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