第10話 突発的な食事会

「これ?」


 嫌そうな顔をするレスターも気にせず、ヴィオラは白い物体をその鼻先へと近づける。


「即席のチーズみたいなものよ。まあ今朝作ったものでちゃんとした発酵もできてないし、本物のようにはいかないけれど」


 早朝、厨房の隅に積んであった新鮮な牛乳。痛みやすいので、少しばかり分けてもらって、簡単に準備をしていたのだ。

 牛乳を入れた鍋を火にかけ、一気に沸騰させる。朝食用にと用意されていた果実の中から一番酸味の強いものを選び、汁を絞って熱い牛乳の中に加える。

 分離したものから、固形の部分だけを取り出して冷やしたものがこれだ。


 先ほどまで洗って千切っておいた野菜たちを一気に大皿に取り分けると、その上にチーズを乗せる。肉の脂身が強いから、さっぱりした味付けのほうが良いだろう。


「ねえレスター、お酢の類って置いてない?」

「……何を作ろうとしているのかな?」

「大丈夫よ、その口ぶりだとあるのね?」

「まあ、リンゴ酢で良ければあるけど。昔仕入れたけど、酸味が強すぎて使っていないんだ」

「仕入れた? 人間から、ってこと?」

「高位の魔族は、人間になりすまして交易をすることもある。その時に頼んだんだ」


 厨房の奥の方をごそごそと漁っていたレスターは、やがて埃の積もった一本の瓶を取り出した。一度厨房の外へ出て行ったかと思うと、派手なくしゃみの音が聞こえる。

 戻ってきたレスターは、疲れた顔でピカピカの瓶をヴィオラへと差し出した。


「ありがとう、助かるわ」


 早速開けて軽く舐めてみたヴィオラは、満足して微笑む。ちょうど良い酸味だ。

 小さな器にそれを移すと、刻んでおいたショウガを加えてかき混ぜる。これだけだと酸味が強すぎるから、蜂蜜か砂糖が欲しいところだが。

 それをレスターに伝えれば、レスターはもう何も言わないという顔でヴィオラに小瓶を差し出した。

 出来上がったそれを躊躇なく野菜へと振りかけたヴィオラに、レスターは短い悲鳴をあげた。


「ちょ、ヴィオラ君?!」

「美味しいのよ。そんなに大量には入れないから、安心して」


 最後に幾らかの香味野菜、隠し味にレイズの花を加えて軽く混ぜれば完成だ。

 下拵えをしていた肉も、そろそろ焼いて良いだろう。火をつけてもらったオーブンに、さっと肉を放り込む。厨房に、肉の焼ける良い匂いが漂い始めた。


 ここまで来ればほぼ完成だ。くるりと振り返ったヴィオラは、厨房の扉がわずかに開いていることに気が付く。

 その隙間から覗く見慣れた羽に、ヴィオラは口元がにやけるのを抑えられなかった。


「イグナーツ?」

「お、女!!」

「何、昼ごはんまでねだりにきたの?」

「……」


 観念したのだろう、扉を開けたイグナーツが堂々と室内に入ってくる。けれどその表情はどことなく気まずそうだ。

 その瞳がオーブンの中で焼ける肉に気がついた瞬間、ぐぅ、と間の抜けたお腹の音が響く。


「……っ」


 堪えきれず吹き出したヴィオラを睨みつけて、イグナーツは叫んだ。


「女!!!! これは違う、そう、誰にも食べられないのも可哀想だからな!!! もらいにきてやった!!」

「別にもらってくれる人ならいるから、お気遣いなく」


 照れ隠しなのを承知の上でヴィオラがいえば、イグナーツはぐっと言葉に詰まる。物言いたげに口元が動き、羽が落ち着きなく揺れた。あまりにも分かりやすい。分かりやすすぎる。

 それでもヴィオラがイグナーツを無視して料理を進めれば、イグナーツの小声が聞こえた。


「……欲しい」

「え? 何か言った、イグナーツ?」

「〜っだから!! 女!! 貴様の料理が欲しいと言っている!!!!」

「それだったら最初から素直に言えば良いのに。そうね、隣の部屋で待っててくれる? 大ホールは魔王様が使うのだろうし、隣に並べるわ。他に食べたい人がいたら呼んでくれる? ……アルノルトでも良いわよ?」

「ふん!! 呼んできてやろう!!!」


 ひとしきり騒いだ後にイグナーツが出ていき、レスターとヴィオラは顔を見合わせる。そして同時に吹き出した。


「っイグナーツ、面白過ぎよ」

「イグナーツ様のあんな姿は、初めてだね」

「そうなの?」

「泣く子も黙る魔王の右腕、イグナーツ様、だからね」

「え、そういうキャラなのイグナーツって?」


 本気で困惑するヴィオラに、レスターは笑いを収める。


「君の前では、どうやら恐怖の魔王の側近も形無しらしいな」



 そして、料理が出来上がった頃。

 できたものから隣の部屋へ運んで行こうと、扉を開け放ったヴィオラは、中の状態にぴたりと足を止めた。

 良いところで、ひとりか2人。誰もいなくて当然とすら思っていたのに。数十人の魔族たちが、5、6個しかない椅子を取り合って無言で戦っている。元々小さい部屋だ、それなりの密度だった。

 ヴィオラの後ろから部屋を覗き込んだレスターも、え、と声を漏らした。


「……どうしてこうなったの?」

「多分だけど、イグナーツ様かな」

「え?」

「きっと、あちこちに知らせてくださったんだろう。彼はなんだかんだ好かれているからね、これくらいは集まって当然かな」

「料理も足りないし、部屋も狭いわ」

「料理は手伝おう。しかし、部屋はどうしたものかな」

「やっぱり、大ホールを使うしかないわよね」

「あそこは魔王様が使われる」

「だから一緒に食べれば良いんじゃない?」

「は?」


 くるりと踵を返したヴィオラは、躊躇せずに反対の扉を開け放つ。もちろん続く先は大ホールだ。

 

 アーチ型の高い天井と、光を取り込むために大きく設けられた窓。広い室内で一際目立つのは、彫刻の施された立派なマントルピースが備え付けられた暖炉だ。

 一辺に10人が座っても余るような長い机が、部屋を分断するように置かれている。その一番端の席に腰掛けていた魔王は、突然の乱入者に目を細めた。


「またお前か」


 溜め息と共に吐き出された言葉にも、ヴィオラはめげない。


「提案があるんだけど」

「却下」

「話も聞いてくれないの?」

「お前如きに割く時間が惜しい」

「どうせ暇してるくせに」


 レスターの制止も無視し、つかつかと室内に踏み込んだヴィオラは、長い机に両手をついて宣言した。


「今から皆さんに私の料理を振る舞うことになったから、ちょっとここ借りるわね」

「は?」

「そっちが私の話を聞かないなら、私も聞かない。黙ってここを使うから。あ、でも、私は優しいから」


 にっこりと笑ったヴィオラは、わざとらしく手に持ったままの肉を見せつける。


「魔王様にも分けてあげる」

「……」

「あれ、てっきりいらないって言われると思ったけど。そっかそっか、私の朝ごはんは美味しかった?」

「うるさい」

「皮肉を言う余裕もないの? 珍しい」


 元々無礼なのは魔王の方である。そしてヴィオラは、失礼な振る舞いが嫌いだ。徹底的に煽りたくなる。売られた喧嘩は、買う主義なのである。

 隣の部屋を開け放ったヴィオラは、中に向かって叫んだ。


「部屋を変更するわ! 隣の大ホール! 魔王様の許可は貰ったから安心してね!」

「……魔王様がいらっしゃるのか?」

「ええ」

「お、俺は帰るぞ!」


 部屋から飛び出そうとした男の前に、出来上がった肉を突きつける。すん、とその男の鼻が動いたのが分かった。


「帰るの?」

「……」


 その男が黙って部屋に戻れば、もう逃げようとするものはいなかった。

 魔王が黙って腰掛ける部屋に、恐る恐るといった調子で男たちが入っていく。その雰囲気はこれから食事というよりも、これから処刑という感じだ。

 おかしい。食事の場は、同時に幸せな団欒の場でもあるべきなのだ。


「魔王様って、すごく怖がられているのね」


 誰かに聞かれたら大騒ぎになりそうなことを呟きながら、ヴィオラはレスターと慌てて食事の用意をする。

 どうにか人数分の料理を作り終えた時には、結構な時間が経っていて。待たせたことを詫びながら食堂の扉を開ければ、その空気はやや緩んだものになっていた。


 魔王の両隣にはイグナーツとアルノルト。魔王は側近の2人と言葉を交わしているようだったが、時折近くに座る者たちにも声をかけていた。話しかけられた者たちの表情には緊張が見てとれるが、恐れているというよりも尊敬に震えていると言った様子だ。

 心なしか、魔王の表情も柔らかい。今までヴィオラに向けられた表情が、あまりにも剣呑なものだったから尚更そう感じるのかもしれないけれど。


 レスターや他の料理人にも手伝ってもらいつつ、どうにか料理を配り終わった時には、ヴィオラは汗だくだった。


「どうぞ皆さん!」


 ヴィオラの声に、魔族たちは許可が出たとばかりに料理へと飛びつく。

 1人1人取り分けていると時間がかかってしまうから、大皿によそって置いておく方式だ。その食べ方は人間特有のものらしく、彼らにとっては新鮮だったようだが、困惑しながらも勢いよく料理に手を伸ばしている。


 ハーブとワインで臭みを取った肉は、大粒の塩でシンプルに味をつける。焼き加減は、硬くもなく生でもないちょうど良いところ。付け合わせに、野菜をさっぱりとあえてチーズを添えたサラダ。パンは軽く温めただけだが、あの後搾り取ったシャロンの油を薄く塗っておいたために舌触りが良くなっている。肉を焼く傍ら作っていた野菜のスープも、どうやら好評のようだ。


 夢中で料理を頬張る男たちの姿に、ヴィオラは満足のため息をついた。

 ちらりと魔王に目をやれば、がっつくような様子は見せないもののその手は止まっていない。二食目にしては上々だろう。


 賑わう大ホールと、食器が立てる涼やかな音。


 追加の料理を持ってきたヴィオラに、1人の男が声をかけた。


「人間。名前は?」

「ヴィオラよ」

「ヴィオラ、その、美味かった」

「そう!? ありがとう!」


 ぱっと弾けるような笑顔を返したヴィオラに、男も口元を緩める。

 

 突発的に始まった食事会は、大好評のまま幕を閉じた。

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