第9話 謎多き男
勇者――レオンと初めて会った時の印象は、ごく普通の青年、だった。
各施設を鼓舞のために回っているという彼は、ヴィオラと大して年齢も変わらなかった。そのまとう気が常人離れしているということもなく、勇者と言われなければ素通りしてしまうかもしれない。顔立ちは整っていたが、その顔に浮かぶ笑顔はいつもどこか無理やり作ったようなものだった。
そんな青年の機嫌を伺うように周囲の大人たちが振る舞う様子は、どこか滑稽なようであり、痛々しくもあった。
これが勇者なのか、とぼんやりと思ったような記憶がある。
縁があって一緒に食事をしたこともあったが、それもレオンが王都に戻るまでの短い間だけの話だ。多分勇者という立場が好きではないのだろうな、と思った気がするが、そこまで突っ込んだ話をできる仲には結局ならなかった。
それでも勇者として前戦に立ち続けるのだから、レオンは強い使命感の持ち主なのだろう。
野菜を洗い終えたヴィオラは、軽く水気を切ると、種類ごとに調理台の上に並べ直していく。好物のレイズの花を真っ先により分けると、ヴィオラは口元に怪しい笑みを浮かべた。
見つけた時は嬉しかったものだ。これで肉の臭みが一気に和らぐし、言いようもなく良い香りがつく。これまた人間の国では取れないものだから、今から楽しみで仕方がない。
大量に集めてきたシャロンの実は、全て厨房に転がっていた袋の中へ。無心になってその袋を棒で叩き、シャロンの実を潰していた時、話が終わったのだろう、先ほどの男と料理長がヴィオラの元へと歩いてくる。
慌てて袋を背中に隠したヴィオラは、すでに始めていた作業を誤魔化すように笑った。
料理長は、レスター、と名乗った。
「人間のお嬢さん。初めまして。名前を教えてくれるかい」
「ヴィオラです、レスターさん……と呼んで良いかしら?」
「もちろん。それで、厨房で何がしたいって?」
「何がって、もちろん料理よ」
「それもそうだね」
ふっと頬を緩めたレスターに、ヴィオラは目を輝かせる。
魔王城であった人の中では、一番まともかもしれない。お前とか貴様とか言わないし、うるさくないし、羽で威嚇してこないし、無視しないし。
勢いよくレスターに近寄ったヴィオラは、小瓶に入れたままにしていた今朝のソースを取り出した。
時間が経ってしまったために、白く油が浮いているが、雰囲気は伝わるはずだ。こういうものを作りたい、と目の前に突き出してみるも、レスターの表情は冴えない。何に使うものか、想像もつかないと言った様子だ。
「これを食材にかけたり、絡めたりして使うの。食べてもらったほうが早いと思うから、1回作ってみても良いかしら?」
「良いだろう。でも、危険なことはやめてくれよ。あと、僕の許可なく食材には近寄らないでくれ」
そう言った瞬間、レスターの目が油断なく光る。
遠回しに、毒を盛るなよ、と言っているのだ。魔王城の食事を預かるだけある、温厚に見えて一筋縄では行かなそうな人物だ。
けれどヴィオラは別に毒を盛りに来たわけではない。適当に聞き流すと、ヴィオラはいそいそと料理を始めた。
「見ていても?」
「ええ」
本当はハーブの類は乾かしてから使いたいところだが、今朝味見した肉にはやや臭みが残る。香りをつけるものがないとヴィオラの舌にはきつい。
先ほど平台に並べておいたハーブのうち、今回使う分だけ取り分けると、残りは紐で根本を括った。これは後でヴィオラの部屋で乾かそう。
肉を浅めの皿の上に乗せ、隣の酒造庫へ向かう。所狭しと並ぶワインの樽からなるべく高級でなさそうなものを少し分けてもらうと、置いておいた肉に軽く振りかけた。最後に細かく切ったハーブを絡め、塩を乗せて揉み込んだら、肉の下拵えは終わりだ。
「魔王城ではワインをよく飲むの? たくさんあるみたいだけど」
「魔王様はお酒がお好きだからね。臣下も見習って飲むというものだ」
「良いことを聞いたわ、ありがとう」
脳内に、魔王様はお酒が好き、と書き込んでおく。
魔王に美味しいと言わせるという目標ができたのだ。そのための準備は大事。本当はもっと聞き出したいところだが、魔王について根掘り葉掘り効くというのもまた毒殺を疑われるだろう。
疑われる程度なら良いが、それで厨房を追い出されたら堪らない。ヴィオラはするりと話題をずらす。
「素敵な厨房ね」
「残念ながら、あまり使いこなせていないけどね」
「ここはレスターさんが作ったものではないの?」
「作ったのは魔王様だよ」
「え?」
思わず指を切りそうになったヴィオラは、慌てて手を止めてレスターを振り返る。
「魔王様が作った?」
「ああ、魔王様が幼い時にね」
「それって何百年前の話?」
「……なるほど、人間には魔王様について誤解があるようだね。かなり最近の話さ」
滑り落ちそうになった野菜に、慌てて調理台へ視線を戻したヴィオラは、野菜を切りながら聞き返す。
「誤解?」
「そう。人間の王は、血筋で王を決めていくと聞いたことがあるが、合っているかな?」
「ええ」
「魔王は違う。圧倒的な実力社会さ。一番力のある魔族に、残りが従う。だから、何百年と統治が続くことはほとんどない」
「魔王がすぐに変わるってこと? 裏切る人は出ないの?」
「裏切ったら消されるだけだ、そんなことをする意味は無いよ。直接戦って勝てるくらい強ければ分からないけどね」
なんでもないことのように口にしたレスターに対し、ヴィオラはひどく驚いていた。
てっきりあの男は何百年という時を王として生きてきたものと思っていたのだが、王位に着いたのはつい最近だという。
あの圧倒的な威厳と傍若無人っぷりもまた、侮られず統治を続けるための方法なのだろうか。
「魔族と言っても、その中の種族によって寿命は色々だからね。王が死ぬか力が弱るまでがその治世なんだ」
「本当に力が全てなのね」
「そう。そういう意味では、当分魔王様の交代はないだろうね。僕もそこそこ生きているけど、あそこまでの力を持つ魔王様は初めてだ」
「そんなに……。きっと、ものすごく強い種族なのね」
「それが、全く分からないんだ」
「分からない?」
「どの種族なのか誰も知らない。分からない。全く、謎の多いお方だよ」
話し過ぎた、とばかりに口を止めたレスターは、その柔和な表情を崩した。
「それなのに、人間と来たら。遠い昔も今も魔族を排除せずにはいられないらしい」
苦々しい声に、ヴィオラは目を逸らす。
魔王討伐部隊に入ったのは生きていく方法がそれしかなかったためで、それがどんな意味を持つかなど考えたこともなかった。魔王を殺せと、王の下す命令に、疑問を持ったことさえなかった。
「……人間は、嫌いで当然ね」
「特に戦いの中心にいるような者はね。僕なんかは、君に会うまで人間なんて見たこともなかったから、なんとも。というか、君に会って驚いているんだ。聞いていたのとは全然違う、ってね」
「私もよ。ここにきて、驚いたわ」
「うん。君なら、きっと受け入れてもらえるさ。でも、そのローブは良くないかもしれない」
「ローブ?」
するりとそれを肩から下ろしたヴィオラは、顔を強張らせた。
気づいてもいなかったのだ。刺繍された王家の紋章。これを身につけた人間が、今まで魔族に対してやってきたことを思えば、それは嫌に決まっている。そう思ったら、身体が勝手に動いた。
「ヴィオラ君!?」
脱ぎ捨てたそれを、迷わず暖炉の火の中へと放り込む。純白のローブは、最初は形を保っていたものの、やがて燻るようにじわじわと焦げて色を変えていく。
火がつけば、一瞬だった。ぼろぼろと形を崩し、灰となっていくそれを、ヴィオラは黙って見つめていた。
「……いいのかい?」
「ええ。私には不要なものよ」
はっきりと答えたヴィオラに困ったような笑いを溢した後、レスターは取り直すように手を叩いてヴィオラの手元を覗き込む。その瞬間、レスターの喉からうめくような声が漏れた。
「この白い物体は何だい?」
まるで流しの汚れを見たかのような顔をするレスターだったが、ヴィオラは得意げに胸を張った。
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