第8話 人間と魔族
魔王城の厨房は、その使用頻度には比例せず、立派なものだ。
部屋の中央に置かれているのは、よく磨かれた大理石の大きな平台。その周りをコの字形に囲むようにして、調理用の台やオーブンが設けられている。
平台の上には無造作に籠が置かれ、その上には大量のリンゴやレタス、リーキが積み上がっていた。ところどころヴィオラの見覚えのない食材が混ざっているのは、魔族の住むこちら側でしか取れないものなのだろう。
踊る心を押さえながら、ヴィオラは厨房の中へと足を進める。
食材の外は目立った調理器具の置かれていない平台の上に、ヴィオラはスカートから収穫してきた植物を取り出して並べていく。積んである立派な食材と違って、野草やハーブの類ばかりだが、これがまた良い味になるのだ。
「こんにちは。ねえ、こんな良い厨房、あれしか料理をしないなんて勿体無いと思わないかしら?」
「うわっ!? に、人間!?」
何やら手元で野菜の根をちぎっていたらしい男の元へと歩み寄り、ヴィオラは声をかけた。しかし、返ってきたのは悲鳴。驚かせたヴィオラも悪いとはいえ、男はすっかり手をとめ、ヴィオラを凝視している。ちらちらと外に視線を向けているのは、きっと衛兵の助けを求めたいのだろう。
だが、ヴィオラとしても大ごとにはしたくない。事情を説明すると、ヴィオラは笑顔を浮かべて礼をとった。
「ちょっと厨房の一部を借りたくて、突然来てしまってごめんなさい」
朝ごはんを作った時は、時間が早かったためか厨房には誰もいなかった。魔王討伐部隊として過ごした時期が長かったために、ヴィオラは朝が早い。
つまり今朝のは不法侵入、という訳なのだが、今度こそきちんと許可を取ろうと、ヴィオラは両手を合わせて上目遣いで頼み込む。
「そんなに広い場所は使わないし、後片付けも全部私がやるから! お願いします!」
「う、え、わ……」
それでも言葉を失っているらしい男に、ヴィオラは首を傾げる。
ヴィオラが人間なのを気にしているのかと思ったが、この反応は嫌がっているというよりも怖がっているといった方が正しいだろう。わなわなと両手を震わせる男の顔を覗き込もうと、一歩ヴィオラが近づいた瞬間、弾かれたように男が飛び退った。
その拍子に調理台にぶつかった男は、そのまま逆さまに乾かされていたワイングラスに頭をぶつける。ぶつかりあったグラスが涼やかな音を立てる中、男はいくらか正気を取り戻したようだった。
「あ、あの、恐れながら」
「ん?」
「ええと、人間……様は、魔王様とどういったご関係で……?」
「魔王様と?」
先ほども聞かれたばかりの質問に、ヴィオラは口元に指先を当てる。
盾、と答えるのは簡単だが、この男はヴィオラが魔王と関わりがあるなど知らないはず。そう問い掛ければ、疑うような表情はそのままに、目を合わせないで男が答えた。
「ま、魔王様の魔力の残り香が、貴女様の体に」
「魔力の残り香?」
自分の腕を見下ろしたヴィオラは、自分の鼻に押し当て、すんすんと嗅いでみる。当然、何の匂いもしない。実力のある魔術士なら、分かったりするのだろうか。
「残り香って、するものなの?」
「人間には分かりませんか。その香りは間違いなく魔王様のものです、しかも強烈な。魔王様はどんな強力な術をおかけになられたのか」
「私、知らない話なんだけど」
知らぬ間にかけられていたというのか。あの男のことだ、一体どんな術をかけたのか想像もつかない。想像もつかないけれど、それがひどく意地悪いものであることは簡単に想像できる。
ヴィオラの不安に対して、男は迷わず首を振った。
「今かけられているわけではありません。残り香ですから」
「そういうものなのね」
魔王が使うほどの高位の魔法となれば、ヴィオラには全く勝手が分からない。
今効力を発揮しているものでもないというのなら、別に気にすることもないだろう。楽観的に考えたヴィオラは、目下の問題へと視線を戻す。
平台に積み上がる野菜。つまり、昼ごはんである。
「それで話がずれてしまったのだけれど、厨房を借りても?」
「……料理長に確認してもよろしいですか」
「ええ、手間をかけさせてしまってごめんなさい」
男が厨房の奥へと歩いて行き、1人の男に話しかけている。
その男が手にしている野菜にも負けぬ、鮮やかな緑色の髪。短く切られた髪はそのほとんどが布に覆われていた。
こんな適当な料理でも、料理長がいるらしい。だからやはり、食に興味がないというよりは、手間暇をかけて料理をするという文化が存在していないのだろう。
人間と魔族の住む世界が断絶されて久しい。
元々同じ国に住んでいた2つの種族だったが、魔族の横暴が手に負えなくなり、戦いが勃発した。決着のつかない長い戦いの末、それぞれの王が互いに住む場所を分け、不可侵の協定を結んだと、ヴィオラは聞かされている。それ以来2つの種族が交わることはほぼなかった。それぞれ独自の進化を遂げたというのも、頷ける話だ。
とはいえその境界は、少しずつ薄れつつある。
今まで不可侵を侵す者は犯罪者であり、処罰されるべき対象だった。
しかし、突然勇者が現れてしまった。その結果、国王自ら、大それた夢を抱き始めた。
首を振ったヴィオラは、手持ち無沙汰に野菜を見つめながら溜め息をつく。
人間には体系化された魔術や魔道具があるが、魔族には天性の魔法への親和性がある。
どちらが勝つにしろ、いざ戦いとなれば泥沼化は避けられない。国王が魔王を殺そうと不可侵を侵し始めてから、既にどれだけの戦いが繰り広げられたのだろうか。
すでに民は苦しんでいるのだ。魔王討伐には人員も費用もかかる。村の働き手の徴収、増税、喘ぐ民たちの姿を、ヴィオラは何度も目にしてきた。
「……こんなこと、さっさとやめればいいのに」
小さく呟き、ヴィオラは野菜へと手を伸ばした。
使用許可が出なかったら怒られよう。何もしないのも勿体無い。
壁に埋め込まれた巨大な器に溜められた水を、栓を引き抜いて少しずつ流しながら、ヴィオラは黙々と野菜を洗う。
単調な作業は、魔王討伐部隊の訓練施設で何度も繰り返したものだ。
かつて日課であったそれは、今や勝手に手が動く域にまで到達している。
人間の国に散らばる訓練施設は、国王の命令により急拵えで作られたため、孤児院や捨てられた家を改築したものが多かった。ヴィオラが所属していたのもそんな中の1つで、森の側にある小さな屋敷だった。
訓練に参加し、ある程度使えるようになったら実践に出る。特に優秀なものは中央へ、そうでないものは組分けされて偵察部隊へ。
その日のための、特に変わりない訓練の日々。
そこでヴィオラは、勇者に出会った。
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