第7話 食べる胸像
「ここ、どこ……?」
見渡しても、廊下と扉、そしてこちらを見つめてくる胸像以外に目立つものはない。
追ってくる足音はもうないが、与えられた部屋に帰ろうにも、目印の1つも見つからない。誰かに聞こうと思っても、周りは人気がなくしんと静まり返っていた。
自力で帰るのは無理でも、今度こそ道を聞ける人を探そうとヴィオラは歩き出す。胸像のある突き当たりまで歩き、右を見る。長い廊下。左を見る。もちろん長い長い廊下。
深くため息をついたところで、ヴィオラはおかしなことに気がついた。
胸像と目が合う。
確かにヴィオラは移動した。だが、視線は真っ直ぐにヴィオラを見つめたままだ。
胸像を目を合わせたまま、ヴィオラはそろりと移動する。胸像の視線から外れたところで、ふう、と息をついた。軽く目を閉じ、眉間に指を押し当てる。どうやら疲れているらしい。それもそうだ。あんなに追いかけ回されたのは初めてなのだから。
次に目を開けた時、ヴィオラは胸像がこちらを見つめていることに気がついた。
「……ちょ、え、これ」
だがここは魔王城。そういうことも、あるのかもしれない。
ゆっくりと近寄ったヴィオラは、小さな声で胸像に話しかけてみる。
「初めまして。……えーっと、なんとお呼びすれば良いかしら?」
返事はない。
顔の横を縁取る石でできた巻き毛と、その中の無機質な瞳。それはどこからどう見ても石のそれで、先ほどまでのは夢だったのではないかと思えてくる。
「ごめんなさい胸像さん? 道を教えていただけたりは……しないわよね」
「……」
ヴィオラの視線の先で、わずかに、その瞳が動いた。
ひえ、と漏れかけた声を抑える。目の前の胸像が何者かはわからないが、とりあえず敵意はなさそうだ。
深呼吸を繰り返し、落ち着いたところで、ヴィオラは軽く首を傾げた。
微妙に視線が合わないのだ。胸像はヴィオラを見ているというよりも、どちらかといえば、その手の――。
「あ、もしかして、私の朝ごはん?」
胸像の視線を追ったヴィオラが問い掛ければ、胸像がかすかに振動した。
「それは、肯定?」
もう一度、振動。
どうやら目の前の胸像が、本当にヴィオラの朝ごはんを狙っているらしいことは理解した。石像に食事ができるのだろうか、という話は置いておいて、目下の問題は、ヴィオラの朝ごはんの残りが少ないことである。
胸像にあげてしまったら、ヴィオラの分は少ししか残らない。けれど帰る道がわからない以上、背に腹は代えられない状況ではある。
数秒迷った後、ヴィオラは半分ほどパンと肉をちぎり、恐る恐る胸像の口元へと近づけた。
その瞬間、胸像の目が閉じられる。訳もわからずヴィオラが固まっていると、胸像は何度か目を閉じた。
「もしかして、目を瞑れってこと?」
振動。
「仕方ないわね。でもこれをあげたら、私に道を教えてもらうから」
胸像が振動したのを確認して、ヴィオラは目を閉じた。
その瞬間、指先を駆け抜ける奇妙な感覚。ふわりと何かに包まれるような感触があって、思わずヴィオラが目を開けた時には、手元のパンは綺麗さっぱり姿を消していた。
「食べた……のよね? ねえ、あげたわよ。約束通り、私の部屋への道を教えて!」
しかし、胸像はぴくりとも動かない。白い眼球がすすすと滑って、ヴィオラの手の残りのパンを捉えた。
「まさかこれまで食べようって!? 胸像さん、それちょっと強欲じゃない? 私でもそこまで図々しくはないわよ」
しん、と動かない胸像。白い瞳が見上げてくる様子は、ただの石のはずなのに、何とも恨みがましげだ。
「これをあげたら、本当に道を教えてくれるのよね?」
こうなったら、と半ばやけくそで目を閉じたヴィオラ。
手からパンが消えたのを確認し、次に目を開けた時、ヴィオラは自分の目を疑った。
タイル張りの床に、漆喰の塗られた壁。張り出した窓は先端が尖ったアーチ状の優美なもので、上部には四葉の飾り窓が開けられている。窓の横に据え付けられているのは、見覚えのある立派な暖炉だ。
間違いなく、ヴィオラの割り当てられた部屋だった。
「……え」
さすがのヴィオラも、動きを止める。
転移系統の魔法の一種だろうが、それにしてはあまりにも高度すぎる。この魔法は転移する側の同意なしに発動すると、高確率で事故が起きるのだ。こうして気がつくこともなくヴィオラを移動させるなど、並大抵の技量ではできないだろう。
「さすが魔王城……」
その辺の胸像までもが、膨大な魔力と技術を有しているらしい。
「でもあの胸像さん、どうして私の部屋を知っていたのかしらね」
ヴィオラがここに越してきたのは数日前。あの廊下から動くことのできない胸像が、ヴィオラの部屋の位置を知ることなどできるのだろうか。
だが、考えても仕方がない。なんせ相手は朝ごはんを食べる胸像だ。
「待って私の朝ごはん」
何もなくなった両手を見下ろして、ヴィオラは力なく肩を落とした。
だが気を落としていても始まらない。昼ごはんという次の問題が残っている。
城壁の中には草も生えていたし、その中に1つや2つ食用のものがあるかも。
初めて部屋まで案内された時に、かろうじてエントランスの位置だけは知った。城壁から出なければ、特に咎められるようなことはないだろう。
部屋の隅に積んでおいた簡単な旅装を見に纏うと、ヴィオラは両手で重い扉を開いた。
◇
「やっぱり、ひっどい畑……」
基本的にヴィオラは旅の料理人だ。偵察部隊ともなれば野宿は当たり前だし、その度に大量の食料を抱えていくわけにもいかない。嵩張るのはもちろん、獣などに圧倒的に遭遇しやすくなるのだ。
だからこそ食料は基本現地調達。その辺に生えている野草の類を集めたり、動物を狩ったり魚を釣ったりするのが当たり前だったから、今更市場に並ぶような食材を期待するようなたちでもないけれど。
「これは、なあ……」
ぼうぼうに茂った雑草が、かろうじて畑であったと分かる空間を覆っている。この雑草はしぶといのだ。食べられないくせに、食べるものを駄目にする。ヴィオラの天敵である。
とはいえ、こいつの駆除は慣れたものだ。静かに目を閉じたヴィオラは、体内をめぐる魔力に意識を集中させる。
使いたいのは火属性魔法。そのためには、体内の雑多な魔力の中から、純度の高い火属性の魔力を抽出する必要がある。
少しずつ、糸をたぐるように。詠唱はいらない。集めた魔力を、一気に放出した。
ちり、と熱が頬を焦がした。目を開ければ、灰となった雑草。
「よし」
改めて畑に視線を戻したヴィオラは、植えてある野菜を今度こそじっくりと眺めた。
その中にシャロンの実を見つけて、ヴィオラはぱっと顔を輝かせた。魔族の暮らす地域でしか取れないそれは、人間の国では相当な貴重品だが、それがこんなに。シャロンの油は口当たりが良く、独特の香りのある最高級の油の1つだ。
つやつやと緑色のそれを取りたいものの、残念ながら袋の類が何もない。
ヴィオラは、ちらり、と周囲に目を走らせる。
見渡す限り森といった様子だが、きっと深くはない。森に入れば、すぐにでもあの断崖絶壁になるのだろう。人目はない。
「……んー、まあ、良いわよね」
ぐ、とヴィオラは履いていたスカートを持ち上げた。裾を寄せて片手で持ち、袋のような状態にする。反対の手で摘み取ったシャロンの実を、そこへ次から次へと放り込んでいく。ついでに、その周囲に生えていた使えそうな植物も、片端から。
収穫とは楽しいもの。一度始めてしまえば、止まらない。
そして、三刻ほどが経ち。
スカートいっぱいに入りきらないほどの植物を取り尽くしたヴィオラは、良い笑顔で厨房の扉を蹴り開けた。
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