第5話 逃走中 in魔王城
「〜っ!! 何てことをするのです!」
次にアルノルトが口を開いたのは、行儀良く全てのレタスを噛み砕き、飲み込んだ後だった。細い指先で何度も自らの口元を撫でているアルノルトに、ヴィオラは意地悪く問いかける。
「どう? 魔王城の味気ない食事に慣れた舌には、刺激が強かったかしら?」
「……」
「美味いな! これは!」
歓声を上げたのは、先ほどヴィオラにレタスを突っ込まれた男だ。
細い目を限界まで見開き、きらきらと輝かせながらヴィオラの手を握って振り回す。
「今までで一番だ!」
「でしょう? 私の料理の腕はあの腹立つパーティーメンバーでも認めるくらいだったのよ。あーまって、思い出すだけで腹立ってきた! 私の夕食にしてやろうかしら」
「貴様……ではなく、名前を教えてくれ!」
「私はヴィオラ。これ、魔王城でも流行りそうな感じ?」
「私の名にかけて誓おう。これは美味い。家族にも分けてやりたいほどだ」
「家族、って、そうね、魔族にもいるのよね……」
ヴィオラは小さく目を瞬かせた。
今までに魔族といえば倒すべき敵。血も涙もない、生まれ持った力に酔って人間の命を奪うことに快楽を見出すような連中だと教えられてきた。
けれど、目の前の男は。イグナーツは、アルノルトは。見た目こそ違えど、普通に話していれば今までヴィオラが接してきた人間と変わらない。関わり合いになりたくないような性格の男も、混ざっているけれど。
「今まで、魔獣の巣窟にでも潜り込んだ気分だったけど……」
「ヴィオラ! またこれを作る予定はあるか!」
「ええ、私はもう二度とあんな味気ない食事はしたくないの」
「それならまた分けてくれ! 同僚にも配りたいんだ」
「もちろん! やっぱり、作った料理を喜んでもらえるのは嬉しいわよね」
元パーティーメンバーはといえば、ヴィオラが料理を作るのは当然のことと言いたげで、お礼の一つも口にしようとはしなかった。ヴィオラは回復術士として雇われているのだ。料理はいわばオプション、ボランティア。誰かがやらなければならないことを、代わりに引き受けていたのに。
「どうした、ヴィオラ?」
「ううん、すっごく腹立つことを思い返していただけよ」
「そうか、大丈夫か?」
「ええ、優しいのね」
少し驚きながらもヴィオラが笑えば、男は動揺したように目を逸らす。
その様子を見ていたアルノルトは、我慢ならないとばかりに会話に割って入った。
「お嬢さん」
「それって私のこと?」
「はい。私はまだ、勝手にこれを食べさせられたことを許してはいませんからね」
「え、口に合わなかった?」
「……」
口は悪いとはいえ、外見通り真面目な男らしい。
嘘をつくこともできず言葉に詰まったアルノルトに、ヴィオラは笑顔で畳み掛ける。
「そっか、口に合わなかったのね。それならいいわ、もうアルノルトに分けるのはやめる」
「……」
「イグナーツは欲しいって言ってくれたからあげるわ」
「言ってないぞ!!!!」
「じゃあいらない?」
「……」
沈黙したイグナーツを見つめて、ヴィオラは楽しそうに手を合わせた。
「アルノルトはいらないらしいから、その分もイグナーツにあげるから安心してね」
「……」
「おい、女」
珍しく小さな声で注意を促したイグナーツが、ヴィオラを引き寄せて耳元で囁く。
髪の毛が擦れて微妙にくすぐったく、ヴィオラは笑い出しそうになるのを堪えた。
「アルノルトは怒らせると怖い! やめておけ」
「私は売られた喧嘩は買う主義なのよ」
「それでも、アルノルトだけはやめろ!」
「イグナーツでも怖いの?」
「あれの本気は魔王様でも受けるのを嫌がられる」
「え、本当?」
恐る恐る振り返ったヴィオラの眼前には、目元を引き攣らせた笑顔を浮かべる男がいた。
心なしか、空気が冷たい。ひんやりと指先から凍っていくような感触に、ヴィオラは思わず一歩下がる。苛立たしげにばさりと振られた銀翼が起こした風で、近くに置かれていた花瓶が落ちて割れた。その喉から紡がれるのは、触れたものを片端から凍り付かせていくような絶対零度の声音だ。
「お嬢さん」
「……ねえイグナーツ」
「なんだ女」
「ごめん私逃げる!!」
一声叫んだヴィオラは、くるりと踵を返すと廊下を走り始めた。
必死で足を動かせば、石が組み合わされた壁が流れていく。タイルの張られた床は、ヴィオラが足をつくたびに硬質な音を響かせた。先が尖ったアーチ型の戸口から戸口へ、埃を被った部屋を通り抜ける。
螺旋階段を駆け上り、駆け降り、ヴィオラは走る。
後ろからは足音が2つ。1つはどたどたと騒がしいもの。先ほども聞いた、イグナーツのものだ。
もう片方は滑るような、頑張って耳を澄ませれば聞こえるようなもの。その静けさが怖い。考えるまでもなく、その主は明らかだ。
だからヴィオラは逃げる。
「っ、はあっ……」
ちらり、と辺りを見渡して、ヴィオラは頭を抱えた。適当に走ったせいで、案の定道に迷ったようだ。似たような廊下のせいで、以前に通った道かどうかも判断できない。こうなったら、もう見つけた道を進むしかない。
足を止めたヴィオラは、近くに立っていた、警戒するようにヴィオラを見ている魔族の男へと声をかけた。
「すみません、あの――」
す、と。
喉元に向けられた槍に、発そうとした言葉が喉につっかかる。
「人間、なぜここにいる」
「え、とこれには事情があるの。詳しくは魔王様に聞いてほしいんだけれど、信じて、侵入はしてないわ」
なおも怪しそうにヴィオラを見つめる男は、ゆっくりと槍を下ろす。だがその右手は腰に添えられたままだ。きっと、短剣を隠し持っているのだろう。
狭い城の中では、槍よりも軽くて取り回しの効く短剣の方が扱いやすい。その一切の油断のなさが、男の本気を物語っていた。道を聞けるような雰囲気でないのは、確かだ。
後ろから足音が聞こえてきて、ヴィオラは道を聞くことを諦め、くるりと後ろを向くとまた走り出した。
すれ違う誰もが、ヴィオラを警戒と忌避の混ざったような眼差しで見つめる。
それから逃れるように、ヴィオラは頑なに前だけを見続けた。
人間と魔族。
憎み合う2つの種族だ。ヴィオラも散々、魔族とは滅ぼすべき悪だと言われ続けてきた。
それでも。
――これは美味い。家族にも分けてやりたいほどだ。
魔族の中にだって、ヴィオラのご飯を美味しいと言ってくれる人もいたのだ。
どれだけ走ったのかは分からない。
1つの扉が目に飛び込んできて、ヴィオラはわずかに歩調を緩めた。
やけに装飾の凝った扉だ。一目見るだけで重いと分かる、長い年代を経てきたであろう大きなそれは、不思議と見るものの視線を吸いつけた。
惹かれるように、ヴィオラはその扉を眺めながら歩く。後ろから迫る足音に、慌てて思い切り地面を蹴ったところで、
「きゃっ!?」
思い切り、何かにぶつかった。
らしくもなく可愛らしい悲鳴をあげて、ヴィオラはよろめく。そして謝罪をしようと、慌てて視線を戻した先には。
錯覚ではなく周りに黒い霧を漂わせた魔王が、その赤い瞳になんの感情も宿さず、黙ってヴィオラを見下ろしていた。
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