第4話 レタス片手に
黙々とレタスを食べていたイグナーツの口が、やがてぽかんと開かれる。
予想通りの反応に、ヴィオラは得意げに笑った。
「美味しいでしょ?」
「……ぐっ」
にやり、と笑ったヴィオラはイグナーツへと近づくと、その悔しそうな顔を覗き込む。
「ほらほら、美味しいでしょ? 食べたことない味じゃない?」
「……」
頑なに口を開こうとしないイグナーツだが、その間も咀嚼をやめない口が何よりも雄弁にその感想を語っている。
時折フライパンへとちらちらと投げかけられる視線が、これまた分かりやすい。
「だから魔王城の食事は酷いって言ったのよ。ほら、私に食材と厨房を自由に使わせれば、毎日これが食べ放題よ?」
「……」
それでも何も言わないイグナーツから拗ねたように目を逸らしたヴィオラは、石像のように立ち尽くしているイグナーツの側を抜けて、適当に歩き出した。
魔王の居住区はわからないが、どこかで聞けば良いだろう。最悪通りかかった魔族を餌付けだ。
余ったソースを小瓶に移してしまい込むと、レタスを片手に、ヴィオラは魔王城を歩く。
「なっ!? 人間……!?」
「どうもこんにちは、魔族さん。私、魔王様に会いたいんだけど」
廊下に槍を掲げて立っていた、警備と思しき1人の男。
緑色がかった肌に、眠そうに上下に細められた瞳孔。明らかに人間とは異なる姿を持っているが、その顔立ちはどこか愛嬌がある。
すたすたと彼に歩み寄ったヴィオラは、笑顔で話しかけた。何事も第一印象が大切なのだ。
「貴様! どうやって魔王城に入った!」
「え、っと」
昨夜の記憶をたぐったヴィオラは、曖昧に笑う。
「多分聞かない方が……」
この魔王城は、一際高い山の上にあり、周囲を断崖絶壁に囲まれている。
いかにも魔王城、という立地の場所だが、決してそれは雰囲気作りのためなどではない。防衛上の理由からだ。
高所から低所への攻撃はいつだって強い。それが、壁を登攀してくる相手ならなおのこと。並の人間なら到底登れないであろうこの崖が、国王率いる人間軍がいつまでも攻めあぐねている理由の一つだった。
もちろんヴィオラは並の人間だ。だから壁など登れるわけはない。当然誰かに運んでもらうしかないのだが、あの時あの場にいたのはヴィオラと魔王、イグナーツともう1人の側近、アルノルト。
「魔王様の髪って綺麗よね。手触りもさらさらで……」
思い出したヴィオラがぼんやりと呟いた瞬間、目の前の男の表情が引き攣った。
「も、もう良い! 私は何も聞いていない!」
「そう? それなら良いけど。そんなことより、魔王様の部屋はどっち?」
「……貴様は魔王様の何だ?」
「え?」
ヴィオラは魔王の何か。
そう聞かれるとヴィオラでも答えに困る。友人や恋人などといった近い関係ではないのは確かだ。でも他人というには、いささか運命共同体すぎる。
しばらく考えたヴィオラは、首を傾げながら答えた。
「盾?」
「は?」
意味が分からない、というのを顔に貼り付けたような魔族を尻目に、ヴィオラは考え込む。
とはいえ、盾としか言いようがないのだ。ヴィオラの身柄など魔王の一存で簡単に決まる。そしてヴィオラは魔王を守る義務がある。
となると、盾以外の良い言い回しは思いつかない。
「でも待って、盾じゃ駄目よね」
「は?」
もはやヴィオラの視界には目の前の男は入っていないのだが、男は素直にヴィオラの話を聞いている。
「盾って言っても。正直ここまで勇者が入ってこれるなんて思えないし、もし入ってきても私みたいな普通の人間が咄嗟に魔王様を庇えるかは分からない。それをきっと魔王様は分かっているだろうから、私に盾以外の価値がなければ、魔王様は気まぐれで私を殺すかもしれない」
男はいつの間にか槍を側に置き、ヴィオラを覗き込んでいた。その手をレタスを持った手で掴んだヴィオラは、鼻息荒く叫ぶ。
「私は、まだ死にたくないの!」
「お、おう……」
男は完全に気圧されているが、当のヴィオラといえばどこ吹く風。その瞳を覗き込むと、熱弁を続ける。
「私にはここでの価値が必要よ。でも正直、私の回復術士としての腕は大したことないし、やっぱり取り柄といったら料理くらいしか思いつかないのよね。――そうだ」
ヴィオラはその思いつきに、目を輝かせる。
「魔王様の胃袋、握りしめちゃえばいいんじゃない?」
きっと目の前の男に視線を戻したヴィオラは、リンゴソースに浸したレタスを無言で男の口に突っ込んだ。
「ふごっ!?
「どう? 魔族さん的にも、これはいける感じ?」
黙ってもぐもぐと口を動かす男を注視していたヴィオラだったが、突然大声が空気を切り裂く。その後を追いかけるように、どたどたという大きな足音までも聞こえてきた。
「女!!!!」
「イグナーツ! だからうるさい!」
「女!!!!!」
「私はここだから! 朝っぱらから、城中を叩き起こすつもり?」
「イグナーツ」
突然後ろから聞こえた声に、ヴィオラは驚いて後ろを振り返る。
その時ちょうど、廊下の一部屋から1人の男が足を踏み出した。
丁寧に整えられた銀髪。神経質に前髪をなでつける手の奥で、銀縁の眼鏡がきらりと輝いた。
眼鏡の奥で光る目は緑。お手本のように整った笑顔を浮かべているが、その目は氷のように冷たい。
「イグナーツ。朝から喉の鍛錬を怠らないその勤勉な精神、尊敬いたしますよ」
「アルノルト! はっ、お前もこの女を見たら同じ反応になる!」
2本の視線がヴィオラ達に突き刺さった。
すなわち、笑顔でレタスを男の口に突っ込んでいるヴィオラと、突っ込まれている男と。
「失礼。一体何をされているのでしょう?」
腰を折ってヴィオラと視線を合わせたアルノルトが、完璧な微笑みを浮かべた。今までに姿なら見たことがあるが、いざこうして顔を合わせて会話をするのは初めてだ。
やや警戒しながら、ヴィオラは口を開く。
「朝食のお裾分けですね」
「無防備な相手の口に勝手に物を入れるのが、貴女のお裾分けなのですね。人間は何とも変わった風習をお持ちのようだ」
「出会ったばかりの相手を、女と呼び捨てて城中を追いかけ回すのが魔族の礼儀なのですね。勉強になりました」
皮肉っぽく返したヴィオラに、アルノルトは笑顔でイグナーツを睨め付ける。
さすがに自覚があるのか、気まずそうにイグナーツが目を逸らしたところで、ヴィオラはさっさと歩き出した。極悪非道、ではなさそうだが関わり合いになりたいタイプではない。
アルノルトの横を通り過ぎようとしたところで、その手が掴まれた。
ヴィオラは咄嗟に、アルノルトの顔を見上げる。手首を締め付ける手の力は万力のようで、いかにも室内派の文官といった風情の男でも、確かに人間ではないことが思い知らされる。
その苛立ちを表すように、背中の銀翼が揺れた。
「まだ私の質問に答えていませんよ。何をされているのです?」
「ですから、朝食のお裾分けです。これから魔王様の元に届けるつもりだったんだけど」
にっこりと笑うヴィオラ。しかし、その目は笑っていない。
アルノルトの銀翼がぴんと立つ。本能的に危険を理解したのだ。
嫌な予感に蝕まれたアルノルトが手を引っ込めようとしたが、ヴィオラの方が一枚上手だった。
「っぐ!?」
口中にレタスを突っ込まれ、怒りと困惑がないまぜになった表情を浮かべる男を前に、ヴィオラは両手を合わせて良い笑顔を浮かべた。
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