第3話 料理というより食材
「代わりに私の命を助けてくれれば、それでいいわよ」
「俺を守る?」
魔王が鼻で笑った。時間の無駄だった、とばかりにその手に魔力を凝集させ始める男を、ヴィオラは慌てて手を振って止める。
「話は最後まで聞くものでしょ。ねえ、魔王様って短気だって言われない?」
「早く本題に入れ。それとも、最期の時間を引き延ばしてでもいるつもりか?」
「もう、仕方ないわね。だったら教えてあげる、勇者、って知らない?」
「聞いただけ無駄だったな。この俺の時間を奪った分、きっちり
「信じてないの?」
その、あっけらかんとした口ぶり。
なんの含みも持たぬそれに、魔王は微かに眉を寄せると動きを止めた。
「魔王様なら、とっくに知っていると思ってたけど。意外だわ、情報網が狭いのね」
「いちいち人の神経を逆撫でするような妄言を吐く時間があるのなら、その首が胴体と繋がっている時間を惜しむことだな」
「そっちこそ、いちいち人を脅す時間があるなら、真面目に勇者のことを考えたら?」
地面に落ちたローブを拾い上げると、埃を叩いて羽織る。
先ほどから寒くて仕方がないのだ。それもこれも、冷気を振り撒いている目の前の男のせい。
「勇者は実在するわよ。話したことあるもの」
「その言葉を俺が信用すると思えるならば、随分と幸せ者だな」
「信じないなら好きにすれば良いけど。でも不思議に思ったことはない? 魔族は何もしてないのに、ここ十数年になって一気に魔王討伐が活性化したのはなぜか」
「……」
「私もそうだけど、魔法がある程度使える人間は、一生職には困らない。それくらい陛下は魔王討伐の人員を集めてる。それは確かな勝算があるからだと思わない?」
ヴィオラはその場でくるりと回る。広がった白いローブの上に描かれるのは、金色の糸で刺繍された王家の紋章。正式な魔王討伐部隊の一員である証だ。
「それもこれも全て、ただひとり魔王様を殺せる勇者が現れたから――ね、筋が通る話でしょ?」
「だから何だ」
「え、死ぬのが怖くないの?」
「俺が?」
「そう。いくら魔王様と言っても、勇者を前にした時に、どうなるかわからない」
だから、とヴィオラは笑った。
「私が魔王城に行って、守ってあげる。だって魔王様、勇者の顔知らないでしょ? 私が魔王様の顔を見た以上、どうせ元の場所には返してくれないだろうから、魔王城に住み着こうと思って。どう?」
勇者とは、かつて出会い、短い期間ではあるが言葉を交わした仲だ。
勇者――レオンを利用することに罪悪感が全くないといえば嘘になるが、魔王城といえば難攻不落で有名だ。正直今の人間と魔族の戦は、魔族側に攻撃する気がないために壊滅は免れているものの、圧倒的な人間の劣勢。
魔王城までレオンがやってくるだなんて、そんなことが起こるわけはない。向こうはヴィオラのことなど覚えてもいないだろうから、こうして名前を利用することくらいは許してほしい。
名前だけでヴィオラの命が救えるのだ、使命感の強い彼なら怒らない。
うん、とヴィオラは頷いて、もう一度繰り返した。
「勇者に対する備えをしていても、損にはならないんじゃない? 悪い話じゃないでしょ?」
「なるほど」
前触れもなく、魔王がヴィオラとの距離を詰めた。
魔王の手が、意思を持って動く。片方はヴィオラの腰へ。決して逃さぬと言うようにまとわりつき、力がかけられる。
「仕方ない、命だけは助けてやろう」
「助かるわ」
「その代わり」
もう片方の手は喉へ。鋭く尖った爪が、無防備に晒された白い喉へと押し当てられた。
ちくりとした痛み。
「お前の言う勇者が魔王城へ訪れたら、俺を庇って死ね。名誉なことだろう?」
ヴィオラは、一瞬言葉に詰まった。
取引の内容にではない。その、魔王の纏う空気に。今にも叫び出して慈悲を乞いたくなるような威圧感の奥に何かを滲ませた、不思議と感情のこもった空気だった。
「……じゃあ、取引成立ね」
意外そうに眉を上げた魔王に、ヴィオラは笑う。
「意外だった? でもね、どっちにせよ魔王様に捕まった時から、私が死ぬことは決まってたの」
喉に押し当てられた手を両手で握りしめ、ヴィオラは宣言した。
「だったら開き直って、これから思いっきり楽しませてもらうから!」
かすかに見開かれた真紅の瞳に、つい笑ってしまいそうになった。
――この時のヴィオラは知らない。
勇者レオンの率いる王都の正規軍が、ゆっくりと、だが確実に、今この瞬間も魔王城に迫っているということを。
◇
「女!!!!!」
「うるさいイグナーツ」
「その口の利き方は何だ!! この僕を誰だと思っている!!!」
「はいはい、魔王様側近……いや、ストーカー第二号のイグナーツでしょ」
「ストーカーとは何だ!!」
魔王城、厨房。
ぼんやりと外が明るくなり始めている早朝。にもかかわらず大声を張り上げるイグナーツ。
全くもって、朝から元気なことである。
ため息をついたヴィオラは、横で騒ぎ立てるイグナーツを無視して手を動かす。
厨房の平台の上に山積みにしてあった食材たちを物色するヴィオラに、イグナーツが怒鳴る。
「無視をするな!! 何をしている!!!」
「何って、料理だけど」
「料理、だと?」
「うわ、本気で困惑した顔。出てくるご飯が全部ほぼ食材な時点で分かってたけど、やっぱりここって料理しないのね?」
初めて魔王城にやってきた時は、ヴィオラはそれなりに期待していた。
何せ、魔王城だ。どんなところかとうきうき半分、怖いもの見たさ半分という気持ちでやってきたのだが、その予想に反してやや薄暗いものの普通に人間も住めそうな場所だった。
けれど、そんな気持ちも、その日の晩餐の時点で霧散した。
皿に乗った牛肉。焼いてはある。
皿に乗ったレタス。洗ってはある。玉ねぎ。茹でてはある。
皿に乗ったパン。パンだけはあった。
以上。夕食。
なお、昼食も朝食も同じものとする。
ヴィオラはキレた。三度の飯は至福。こんなの、生きていけるわけがない。
ということで、ついに早起きして厨房へと滑り込んだ。けれどこのとにかくうるさい魔王の側近――イグナーツにいきなり見つかった。
「料理、だと?」
全く意味がわからないというように眉を寄せるイグナーツを横目で見ながら、ヴィオラは手を動かす。
イグナーツは魔王の右腕であり、真紅の髪に大柄な体躯を持つ堂々たる美丈夫だ。その背中から生える羽は、竜を彷彿とさせるような立派なもの。初めて出会った時はすわ殺されるかと警戒したものの、魔王に心酔しているらしい彼はヴィオラに害を加えようとはしない。
どうやらヴィオラの面倒を見るように言い付けられているらしく、毎日のように顔を合わせるうちに分かった。イグナーツは、残虐非道な魔族なんて大嘘、ただただ、魔王命のうるさい男である。
とはいえヴィオラのお目付け役。早朝から見つかるとは思わなかったが、さすがに追い出すのは気が引けて、そして今に至る。
「料理などと妙なことをするのは人間くらいだ!」
「はいはい、でも私は人間なの。厨房を使うくらいいいでしょ。魔王様も好きに過ごしていいって言ってたし」
「そうだ女!!! どうやってあの誇り高き夜の闇の大魔王たるあのお方に取り入った!!」
「誇……なんですって?」
イグナーツと言い争う間も、ヴィオラの手が止まることはない。
てきぱきとレタスをちぎり、厨房に山積みになっていたパンの間に挟む。勝手に使って良いかどうかは分からないが、あんな食事にはもう耐えられない。それにこれだけあるのだ、1つ2つもらったところで気づかれないだろう。
とりあえず、と持ち歩いていた小瓶を取り出す。良質な油だ。
埃をかぶっていた小さいフライパンを取り出すと、洗ってさっと油をひく。同じく厨房に吊るされていた牛肉を、くすねて、いや分けてもらって薄く切り、軽く塩をまぶすとフライパンへと乗せる。
じゅっと音が上がり、油が跳ねた。
驚いたようにイグナーツが一歩後ろに下がった。魔王の側近というくらいだから強い魔族だろうに、意外と怖がりだ。
こっそり吹き出したヴィオラを、イグナーツは黙って睨みつけた。けれどそのやることに興味があるのか、もう口を開こうとはしない。
それを良いことに、ヴィオラは淡々と作業を進める。
この魔王城での食事。一応食材はまともなものがある。
だからこそ、一番は味付けだ。食材の味といえば聞こえは良いが、何もつけない野菜など草だ、草。食べられたものじゃない。
香ばしい匂いを上げ始めた肉をフライパンから拾い上げると、野菜の上に無造作に重ねる。フライパンに残った油へと視線を戻したヴィオラは、平台へ積んであったリンゴへと手を伸ばした。
さらさらと皮を剥き、細かく刻んで油と肉汁の残ったフライパンへと放り込む。本当はバターでも欲しいところだが、どこにしまってあるか見当もつかないし、さすがにこれ以上勝手にもらうのは忍びない。
リンゴが飴色になるまで火を通し、それをさっと肉と野菜の上にかければ、即席の朝食の出来上がり。
作り終えた2人分の朝食を布に包むと、ヴィオラは立ち上がった。
「待て!! どこへ行く!!!」
「イグナーツ、魔王様のところに案内して」
「まさかそれを差し上げるつもりか?」
「ええ」
「何をするつもりだ!!」
「お礼よ、お礼。一応衣食住……いや衣住かな、その保証はしてもらったわけだから、お礼の挨拶くらい行かないと」
「やめろ!!!!」
凄まじい大声に、空気がびりびりと震える。両手が塞がっていて耳を塞ぐこともできないヴィオラは、恨みがましくイグナーツを見上げた。
「そんな怪しいものを毒味もなく魔王様に差し上げるなどと!! ふざけたことを申すな!!」
「毒味したいの? そんなに食べたいのね。そんな遠回しにねだらなくても、言ってくれればあげるわよ」
「違う!!!」
「だからうるさいって」
1人大騒ぎするイグナーツを黙らせるために、ヴィオラは余っていたレタスを一枚ちぎると、フライパンを滑らせてソースに絡め、勢いよくイグナーツの口に突っ込む。
「むぐっ!? ちょ、ふぉま」
「はい、味見」
最初は嫌そうにヴィオラを見下ろしていたイグナーツだったが、さすがに吐き出すようなことはしない。黙ってもぐもぐと咀嚼しているイグナーツを、ヴィオラはじっと見つめていた。
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