第3話 一章〜惜別〜 3
ある日の放課後、修一は委員会があり居残っていた。
その帰り、階段を降りようとして何か声が聞こえた気がして立ち止まる。耳を澄ますと上階から呻き声のようなものが聞こえた。
この上は屋上への出口があるだけで、普段は誰も行かない場所だ。修一は音をたてないように階段を登る。声は荒い息遣いのようだ。踊り場を回ると屋上のドアが見えた。誰も見えなかったが、手すりの陰に気配がする。声を掛けようか迷いながら更に歩を進めた。
やがて、目を疑う光景が視界に飛び込んできて、頭の中が真っ白になる。そこには、壁を背に立つ下田と、その前に跪く由希哉がいた。
修一は、咄嗟に飛び出し下田を突き飛ばした。
横の壁にぶつかり尻もちをついた下田の胸ぐらを掴み上げる。
「やめろ!」
拳を振り上げた修一の腰に由希哉がしがみついて下田から引き離そうてとしながら叫んだ。
「下田!行け!」
下田は修一の手から逃れ立ち上がると、ズボンを上げながら階段を降りていった。
「待て!」
追いかけようとしたが、由希哉が取り縋る。
「よせ!落ち着け!」
「離せ!」
「あいつに怪我させたら、お前も面倒な事になるんだぞ!」
修一は肩で息をしながら向き直った。由希哉の真摯な瞳と視線がぶつかる。下田を庇っているのではなく、修一の為に引き留めているのだと理解した。
気遣ってくれた人は、その綺麗な髪も顔もいやらしい欲望の残滓に汚されている。頬の汚れをそっと指で拭った。
「わっ、バカ、いいよこんなの」
由希哉は自分のシャツの裾で修一の手を拭く。目頭が熱くなった。
「…ごめん」
「なんでお前が謝るんだよ」
熱いものが込み上げて頬を伝う。
「…こんな…めに…合ってた…な…て…」
由希哉の姿が悲しかった。どうして気付いてやれなかったのか!拒絶されても食い下がって問い詰める事はできたはずだ。自分の不甲斐なさが悔しい。
「…バカだな」
今度は由希哉が修一の頬を拭った。
トイレに行き、二人揃って顔を洗う。
「…なんで、あんなことされてたんだ?」
「教えない」
きっぱりと告げる。この現状に修一の関わる余地はないと言う強い意思が感じられた。
さっき触れられた由希哉の手の感触が頬に蘇る。
「もう、下田に会うなよ」
「なんで?」
「なんでって…」
「いいんだよ。俺が納得してやってるんだから」
さっさとトイレを出てしまつた由希哉の後を追ったが、話しのきっかけが掴めないまま校門を出る。
「俺、用あるから」
由希哉は駅とは反対の方へ歩き出した。あちらには住宅街があるだけだ。修一を避ける為の嘘なのだろう。
「俺にできることないのか?」
数歩、後を追って問い掛ける。納得してやっているとは言ったが、楽しんでいるようにはとても思えない。あんな関係は間違っている。
「あるよ。ひとつだけ」
立ち止まりはしたが、由希哉は振り返らないまま続けた。
「それは、忘れること。お前にできるのは、それだけだ」
毅然と放たれた宣告に、修一は返す言葉が見つからない。
やはり、閉ざされた扉を無理矢理こじ開けることは出来なかった。それ程、遠ざかる背中には強い拒絶があったのだ。
由希哉は何事もなかったように過ごしている。修一はひとつだけできると言われた『忘れること』をできずにいた。
夏休み前に修学旅行があったが、由希哉は当日になって体調を崩し欠席した。担任に確認してみると、だだの風邪という事だ。修一は旅先でお土産を買った。
夏休みからは、受験モードで予備校化する。ホームルームとは別に、志望校別のクラス編成が組まれた。修一と樹は国立文系、由希哉は国立理系、拓真は私立医系だ。
特別授業のクラスが別になってしまったせいもあり、話すきっかけもないまま、夏休み、二学期と過ぎていった。
終業式の日、学校の最寄り駅付近はクリスマスイブの華やぎに溢れていた。駅からは帰宅を急ぐ人々が絶えず吐き出されて行く。
補修を終えた修一がひとり駅付近まで来た時、走るように向かって来る男に肩がぶつかる。勢いでタタラを踏み、路地に2、3歩入ってしまった。通りへ戻ろうとして、ふと視界の端に何かを捉える。路地に目を凝らすとゴミ箱の陰に人が倒れていた。
こちらに脚を向け伏せるようにしているので、顔は見えないが、男性らしい。
「大丈夫ですか?」
近づいてしゃがみ込み、ギクリとする。
「辻井⁈」
由希哉は閉じていた目を開け身体を起こそうとした。
「うっ…」
何処か痛むところがあるようで起き上がることができない。それでも、顔だけは向けた。
「東堂?」
「大丈夫か⁉︎今、救急車呼ぶから、もう少し我慢しろ」
修一はスマホを取り出す。
「いや、いい…大した事ないんだ」
また身体を起こそうとする由希哉に手を貸して、取り敢えず上半身だけ起こして壁にもたれさせた。
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