第18話

 結局私は、退院の日まで放置されました。つまり、一週間。七日。168時間。10080分。604800秒。それだけの時間、私は一人寂しく病院で過ごしました。

 ある意味、拷問でしたね。

 スマートフォンがないのでどこにも連絡できず、暇つぶしにネットサーフィンもできませんでした。財布もないのでお金もなく、一階にある売店に行けば本くらいあるのに、それを買うこともできませんでした。

 談話室に置いてある本や雑誌、絵本を暗唱できるようになるほど読むしか、私にはできることがありませんでした。

 

「怒っているのかい?」

「逆に聞きますが、怒っていないように見えますか?」


 あなたが私の私物を持って病院に来るまで、私は生き地獄を味わいました。

 退屈は人を殺す。と、言ったのは、ロックミュージシャンのイギー・ポップでしたっけ? あ、少し違いますね。正確には、退屈と無関心が人を殺す。でした。

 とにかく彼は、下手をすれば死んでしまいそうな目に私をあわせたのです。

 今だってそうです。

 私服に着替えて検査と入院でかかった代金を(もちろん、彼のお金で)清算し、彼が運転するオンボロ車で走り出して一時間ほど経ったつい先ほど、あなたが声をかけてくるまで暇だったのです。


「仕方がなかったんだよ。君が搬送された二時間後に、次女が男湯のサウナ室から遺体で発見されてね。事情聴取などで時間を取られた。しかも、間が悪いと言うかタイミングが良いと言うか、入院していた女将が亡くなってしまったんだ。そのせいで、その時点で書かれていた遺書が有効になったから開示しようと言う流れになってね。警察と消防があれこれ捜査しているのを尻目に、遺書が開示されたんだ。内容は、次男が言っていた通りだったよ。いや、若女将が言っていたことにも合致していたな。それと言うのも、遺書が書かれたのが土地の値段が上がる前だったからなのか、次男には女将の貯金数千万が相続されるよう書かれていたが、旅館を含む土地の権利は若女将と死亡した三人で分割相続するよう書かれていた。つまり、若女将の総取り。最も得をする形になった。その後がまた厄介で……」

「それは、私を一週間も放置して無駄な時間をすごさせた言い訳ですか?」


 長々とそれらしいことを言ってはいますが、要は私のことを忘れていたのですよね?

 退屈過ぎて発狂しかけ、悪夢どころか淫夢まで見て、粗相をしたのかと疑うほどの寝汗をかくくらい夢にうなされるまで追い詰められた私のことを忘れていたのですよね?

 だったらまずは、そのことについて謝罪の一つもしてもらわなければ割に合いません。

 

「言い訳と言うか、報告と言うか……。知りたくなかったかい?」

「知りたかったに決まっているでしょう? だって私はあの事件のせいで怪我をして、一週間も入院させられたのですよ? しかも、私物が何もないので本当に何もできない無駄で暇な時間をすごすという拷問まで受けたのですから、知りたいのは当たり前です。ですが、報告の前に謝るのが先では? 私の存在を忘れて放置したことを、まずは一言謝るのが先ではありませんか? 日本には古来より伝わる最上級の謝罪、DOGEZAがあるのでしょう?」

「運転中に土下座はできないよ。でも、謝罪はする。ごめん。僕が悪かった。君に怪我を負わせてしまったことも含めて、僕の落ち度だ。申し訳なかった」

「言葉だけでは足りません。戻ったら、前々から連れて行ってくれとお願いしていた回らないお寿司屋に連れて行ってください。そうしてくれたら、今回は矛を納めましょう」

「君がそれで許してくれるなら、そうしよう」

 

 回らないお寿司屋の値段相場は知りませんが、回るお寿司屋とは比べ物にならないほど高いはず。ならば高い物ばかりを注文して、財布の中身を空にしてやりましょう。

 と、思いながら、私は「では、報告の続きをどうぞ」と返しました。


「ええっと、どこまで話したんだったかな。ああ、そうだ。遺書が開示されたあとからだった」

「そのくだりはもう結構です。どうせ、内容を聞いた若女将と次男が一悶着を起こしたのでしょう?」

「概ね、その通りだ。女将は次男に最も多く遺産を残すつもりで、はるかに価値が劣る遺産を残してしまった。逆に若女将は、他の兄妹が死亡したことで最も価値のある、坪単価百数十万円の土地を手に入れた。遺産の価値が原因で揉め事になったと言えば、その通りだな」

「ちなみに、次男は何と言ったのですか?」

「次男が、土地の権利を総取りするために他の弟妹を殺したんだと言って、若女将に詰め寄った」

「まあ、そう言うでしょうね。高が数千万の貯金と、一坪数百万円の土地なら後者の方が圧倒的に価値がありますから。ですがそれは、土地の値段が高騰する前に、亡くなった女将が遺書を書いたからそうなってしまっただけですよね? 結果論ですよね?」

「その通りだ。女将が遺書を弁護士の立ち合いのもとに書いた頃は、土地の値段は二束三文だった。つまり女将は、次男以外の兄妹には二束三文以下しか残すつもりがなかったと考えられる」

「それほどまで、女将は次男を溺愛していた。と、いう事ですか?」

「そうだ。それと言うのも、女将は5年前に事故で無くなったあの旅館の主人の後妻でね。次男は、その連れ子だった。あの旅館の関係者で、女将の血縁は次男だけだったわけだ」

「なるほど。そういう事情があったのなら、次男に他の兄姉よりも多く遺産を残そうと考えるのも自然ですね」


 依頼が舞い込んだ際に私がした調査は、あくまで身辺調査。家族構成と交友関係は調べられても、戸籍謄本を手に入れるか親族の事情に詳しい者から教えてもらわなければわからない情報は入手できていませんでした。

 女将が後妻で、次男が連れ子という情報が正にそれです。

 彼は警察に頼んで戸籍謄本なりを入手したのでしょうが、私にはそこまでできませんでした。


「あれ? でもそうなると、被害者の三人を殺す理由は、若女将にしかないことになりませんか?」

「それが、そうでもなかった。君は、若女将には一人暮らしをしている息子がいると言ったね?」

「ええ、そう報告しました。それが、何か?」

「次男は、その息子により多くの遺産を相続させるために三人を殺害したんだ」

「若女将の息子に、遺産を相続させる?」


 訳がわかりません。

 次男にとって、若女将の息子は赤の他人。若女将が息子に遺産を相続させようとするのなら話はわかりますが、次男がそうする必要はまったくありません。


「若女将の息子の父親は、次男だったんだ」

「は? 若女将の旦那さんは、番頭さんですよね? と、言うことは、息子の父親は番頭さんで……。ああ、そういうことですか」

「そう、君の想像通りだよ。若女将と次男は、恋仲だったそうだ」


 所謂、托卵。

 彼が次男の部屋の前にあった膳の食器をDNA鑑定させた理由も、今ハッキリとわかりました。彼はあの時点で、そのことを予想していたのです。

 食器についた唾液から次男のDNAを入手し、警察を使って市内に住む息子との親子関係を調べさせたのでしょう。

 若女将と次男がいつから愛し合っていたのかはわかりませんが、それならば動機が成り立つ……のですか?


「不思議そうだね。次男の動機が、理解できないかい?」

「ええ、まったく。さっぱりわかりません。だから、説明してください」

「さっきも言ったが、息子に多くの遺産を相続させるためだ。君が調べた通り、あの土地の坪単価は高騰している。売れば億単位の金が転がりこみ、次男が相続することになっている数千万円も、次男が逮捕されれば相続権を失って他の相続人が相続することになる。もしそうなった場合、若女将も何らかの理由で相続できなくなったら、遺産は誰が相続することになると思う?」

「夫である番頭……いえ、孫である息子ですね」

「その通り。遺産はそもそも、後妻ではあっても母親である女将が遺すものだから、若女将の配偶者である番頭は相続権がない。遺産の相続順位一位は子である5人の兄妹だ。だが、その五人全てが相続権を失えば、自然と女将の孫である息子の相続順位が繰り上がる。つまり、息子が遺産を総取りできる」

「その説明では不十分です。次男はともかく、若女将には相続を放棄する理由がありません」

「人生を、悔いなく終わらせるため」

「終わらせる? どういうことですか?」

「若女将と次男が、恋仲だったことは言ったね?」

「え、ええ。聞きました。その結果生まれたのが、息子だとも」

「次男と若女将は、堂々と結ばれることが叶わなかった人生に絶望していた。だが、子供には何か残してやりたい。苦労しないようにしてやりたい。だから、兄姉を殺して、自らも命を絶とうとしたそうだ」

「心中、ですか? では、あの事件は……」

「息子のために計画され、実行された。実行犯は次男。共犯者は、若女将だった。ここで重要なのは、相続が完了する前に相続権を失うことだ。仮に若女将が相続したあとに死亡なりすれば、配偶者である番頭にも相続権が発生してしまう。だから相続する前に、もっと具体的に言えば遺書が開示される前に相続人全てが相続権を失う必要があった。まあ、女将が亡くなってしまったので、遺書は開示されてしまったがね。長男の殺害は、若女将が共犯だったのなら何も謎はない。若女将が預かっていたQRコードの画像を次男のスマホに送り、それを使って部屋に侵入して殺害した。次の三女殺害……ああ、君にはまだ話してなかったが、爆殺されたのは三女だった。で、だ。あれは予め男湯のサウナ室に監禁しておいた次女を、塩素系洗剤と酸性洗剤を混ぜて発生させた塩素ガスで殺害するためでもあったんだ。要は、三女殺害で用いられたトリックが、次女を殺害するためのトリガーでもあった。実際、男湯のサウナ室には塩素系洗剤と酸性洗剤が入った容器が、ちょっとした振動で落ちて混ざるよう細工がしてあったよ。さらに、爆殺などという派手な手段を用いた理由は、もう一つあった。なんだと思う?」

「わかりません。意地悪をしないで、教えてください」

「旅館を手放しやすくするためだ。あの爆発でサウナ室どころか女湯も半壊。殺害方法が派手なため、マスコミの食いつきも良くなる。そうなればあの旅館で殺人事件が起こったことは知れ渡り、営業はままならなくなるだろう。営業がままならないのなら、建物ごと土地を売り払ったとしても、誰もそれ以上の邪推をしない。ああ、そうだった。薬剤服用歴からはわからなかったが、長男殺害に用いられた睡眠薬は、次男が個人輸入で購入している未認可の薬だとわかり、彼の荷物からも発見された。それが、証拠の一つとなった」

「はあ、そうですか」

 

 違和感がある。いえ、違和感どころではありませんね。

 辻褄があっていません。

 遺書が開示された時に、次男は若女将が遺産欲しさに三人を殺害したのだと言って詰め寄ったと、彼は言いました。

 つまり次男は、若女将と結ばれることが叶わなかった人生に絶望し、心中しようとしていたのに言い逃れをしようとしたのです。

 さらに、若女将の行動にも不自然な点があります。

 時間さえかければ、警察が地道な捜査の末に真相を解き明かしてくれたかもしれないに、若女将は彼に依頼しました。

 300万円もの大金を即金で払ってまで、探偵である彼を招いたのです。

 おかしくないですか? 連続殺人を画策している人が、わざわざ邪魔者を招くでしょうか。いいえ、しません。しないはずです。だって、意味がありません。

 最終的に心中を考えていても、第三者を巻き込む必要など皆無。

 彼と言う部外者を招かず目的を果たせば、それで終わりだったのです。と、言うことは、若女将は次男と共謀して三人を殺そうなどとは考えておらず、心中しようとも考えていなかったと思われます。

 次男もそうです。

 三人を殺害した時点で、次男は目的を果たしています。

 たとえ遺書が開示されようと、相続する前に若女将と心中するだけ。それだけで、息子に女将の遺産を全て渡すことができるのです。それなのに、若女将に詰め寄る必要がありますか? 言い逃れをする必要がありますか? いいえ、ありません。

 その時点で死ねば、目的は完全に果たされるのです。

 ならばやはり、犯人はこの二人ではありません。別にいます。

 それは他ならぬ、涼しい顔をして車を運転し続けている彼。彼が画策した連続殺人事件の犯人として、利用されただけだからです。


「動機と行動に矛盾がある。そう思っていそうな顔だね」

「ええ、思っています。その矛盾は、どう説明するつもりですか?」

「さっきまで僕が説明した動機は、すべて次男が語ったものだ。これでわかるかい?」

「次男が? では、若女将は? 次男が言ったことを否定したのですか?」

「否定した。おそらく、今も否定し続けているだろう」


 余計に辻褄が合わなくなってしまったではないですか。

 次男と若女将は恋仲で、息子に遺産を全て渡して心中するつもりだった共犯関係なのでしょう? それなのに、これでは次男が若女将に裏切られたようではありませんか。

 いや、そうなのですか? そうだとしたら、辻褄は合います。

 若女将は次男に、息子に遺産を残して心中しようと持ち掛けました。ですが若女将は、心中するつもりなど最初からなかったのです。

 その証拠が、彼への依頼。

 おそらく若女将は、女将が自分たちにはたいして遺産を残さない。大した価値のない、旅館の権利と土地くらいしか残さないと予想していたのではないでしょうか。

 その予想に土地価格の高騰が加わり、それが若女将に弟妹の殺害を決めさせ、昔からの関係が継続していた次男を利用することを思いつかさせた。 

 要は、欲に駆られたのです。

 次男が若女将に詰め寄ったのは、若女将を疑うことで、逆に疑いを自分へと向けさせるため。素行の悪い前科者の自分が兄姉を大切に思っていた風を装えば、若女将より疑われると考えたのでしょう。心中しようと言われ、それを受け入れるほど若女将を愛していた次男は、土壇場で情に負けた。自分だけが罪をかぶり、若女将を助けようとしたのです。

 次男からすれば、その後の若女将による否定は、自分の意をくんでくれたように思えたでしょうね。 

 ですが、実際は利用されただけ。次男は利用するだけ利用されて、若女将に切り捨てられました。

 主犯の若女将に誤算があったとすれば、彼を利用するつもりで招いたものの、明らかにするはずではなかった托卵の事実や次男を利用した悪事まで明らかにされたことでしょうね。

 考えが足りないと言いますか、浅いと言いますか……。呆れてしまうほど、若女将は彼を侮っていたようです。 


「と、言うと思ったら大間違いです」

「どうしたんだい? 急に」

「いえ、お気になさらず。感情が抑えきれず、漏れ出てしまっただけですので」


 真犯人は彼。次男と若女将は彼に利用された被害者。これは大前提です。それなのに私は、二人が犯人である前提で考えさせられました。

 それが何度経験しても悔しくて、腹立たしい。


「ちなみに、次男はどうなりました? 自殺しましたか?」


 それを悟られたくない私は、話題を変えました。いえ、本来の話題に戻したと、頭の中でとは言え言い換えるべきでしょうか。

 けっして、迂闊にも言葉として漏らしてしまった感情を悟られたくないから話を逸らしたわけではありません。

 

「いいや、逮捕されたよ」

「あら、意外ですね」

「何が、意外なんだい?」

「所長が解決に導いた事件で、犯人が必ず自殺しているからですよ」


 私も一緒に巻き込まれた過去の11件に限られますが、犯人役は全員、彼の推理に追い詰められて自殺しています。

 今際の際に誰も彼もが、「やっぱり、自分はやっていない」と言いたげな目をして死にました。


「まるで、僕が殺したと言いたげだね」


 感情が顔に出ていたのか、彼は自嘲気味に笑いながら返してきました。

 その自嘲は肯定ですか? それとも、「何を馬鹿な事を」と、暗に言っているのですか?そんな疑問を込めた視線を向けていたら、彼はチラリと私を見てから言葉を続けました。


「僕は自慢じゃないけれど、これまでの人生で嫌になるほど凶悪な事件に関わった。君はもちろん、それくらいのことは調べているんだろう?」

「ええ、知っています。で? それがどうしたのですか?」

「推理で犯人を追い詰めて自殺させる僕は、ある意味で人殺しだろう。それは否定しないし、罵られるなら甘んじて受け入れる。だが12回……いや、君と出会う切っ掛けとなったあの事件を含めて、13回も連続したことは今まではなかった」

「それは、どういう意味ですか? まるで、私が犯人を自殺に追い込んだように聞こえるのですが?」

「すまない。言い方が悪かったね。犯人を自殺に追い込んだのは、間違いなく僕だ。君じゃない」


 まどろっこしい上に、回りくどい。それらに加えて、厭味ったらしく感じます。あなたは、何が言いたいのですか? まさか、私が関わったから犯人の自殺率が増えたと言いたいのではありませんよね? もしそうなら、先ほどあなた自らが言ったことを否定することになってしまいますよ?

 それらの疑問を視線に込めて送り続けたのですが、彼は答えてはくれませんでした。見知った道を通り、終には事務所の前に車が止まっても、「……着いたよ。怪我が完治するまでは、ゆっくり休みなさい」と、言っただけで、彼は私の視線を無視しました。

 


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